12月1日は
母方の祖父の命日です。
わたしの記憶に間違いなければ、大正6年生まれです。
「太陽の子」映画版は劇場に行けませんでしたが、テレビ版の石村裕之を、ちょうど同年齢? で出征した若かりし祖父と重ねて観ていました。
あのドラマを観て、もう一人思い浮かべたのが、「プリンプリン物語」の脚本を手がけた石山透さんです。
石山透さんが学生時代科学者を目指していらしたのは知る人ぞ知る話です。配属の研究の内容(爆弾関係)に違和感を覚え、ラジオやテレビのお仕事に転向されました。プリンプリンのデルーデル国編に出てくる「一見、スイカ風...新型爆弾」というのはおそらくは実体験からの発想なんですよね。コミカルな内容でありながら、どうりで物語全編から反戦の強い思いがひしひしと伝わってくるのです。
わたしはこの物語のノベライズ版を引き受けさせてもらった時に、全く未知の書き方で自信はないのに、なんとしてもこの仕事は断ってはいけないと歯を食いしばってやらせていただきました。
初心者が約半年間で段ボール箱5、6箱の台本とVHSに目を通し、毎月250枚を書き下ろしシリーズにまとめるのは至難の業でした。ピーク時は睡眠1時間半でやっていました。
家族に大迷惑をかけ(とりわけ当時幼稚園児だった次男)反省ばかりの仕事となりましたが出版までなんとか運んで下さって胸を撫で下ろしたものです。
この画像は、唯一残っている祖父の二十代の写真ということです。当時ので今のところ見つかっているのはこの一枚だけ。
若かりし祖父の顔は、細面で整っていて憂いがあり、贔屓はありますが昔のドラマに出てくる二枚目俳優のよう。
やっぱり言い過ぎかもしれません。
ただいま入院中の母がよく言っていたものです。
「わたしたち三姉妹のうち、一人でも父に似たものがいても良かったのにねえ」と。
妹たちを巻き込んで言ってました。
母と祖父の話はまだまだ続きます。母はいま生きてしつこい肺炎と戦っておりますが。
今日のところはこれにて失礼します。
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