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選べなかった私たちは の話

職場の子供の暴言暴力、日々の疲れ、思春期の中学生の弟、持病のこと、色々なものが混ざりあったストレスでまた薬をたくさん飲みたい衝動に駆られた。
ので、急いでグラスに氷をつめ男梅サワーのもとを入れ炭酸水を注いで喉に流し込んでいる。いまここ。

「スーパーポジティブ能天気でも、そうやって時間を使うほうが私を邪魔するもの全てに勝てる。」
https://note.com/umitakemura/n/n915df68f3dad

先日noteでこんなことを言っていたけれど、本当はこんなものです。まだ全然完全じゃないのよ。



生まれてくる場所環境は選べない。これはみんな一緒。
小さい頃の両親の離婚も、そのあとの生活と私とひとつ下の弟は選べなかった。

私たちを育ててくれた家族(主に父と祖母)は、いわゆる「毒親」というものだった。親を毒呼ばわりするのもひどいものだが、一般に言われているのだからしょうがないよね。
おかげさまで、20才になる年に精神病患者になった。

同時期、心から愛していた人に「どうして家族を信じてあげられないのか」と言われた。
そのときは私の家族が普通じゃないと知らなかったし、自分の病気の原因が実は家族だと思いもしなかったから、ひたすらひたすら自分を責めてみたりした。歩道橋から飛び降りようとしたり初めて薬を大量に飲んだり首を吊ったりまたまた薬をいっぱい飲んだりした。

でも今思う。
私たちは選べなかったんだよ。

思い出すと今でも涙ぽろりしてきちゃうから今日ここで最後にする。
さぞかし幸せな家庭で育ってきたんだろうね。それが当たり前だと思ってしまうくらいに。正しいと思ってしまうくらいに。
あの人に対する残った気持ちは、愛でも恨みでもなく、哀れみだった。

だから私は母がいなくなってしまって良かったのだと思う。
今はここに書ききれないくらい沢山のことがあって、母と新しい父と妹と弟と猫2匹と暮らしている。幸せだよ。

こんな幸せな生活が当たり前になってしまっていて「幸せ」と感じることすらできなくなるのなら、私はあの15年間母がいなくなってしまって良かったのだ。


選べなかった私たちは、誰よりも当たり前のことを幸せと感じることができる。

選べなかった私は、何度も死にかけて、育ててくれた家族を捨て苗字を捨て、戸籍を移し、新しい家族の養子になり、新しい私になることを選んだ。
親孝行?くそくらえだよ。


どうしても選べないものがある。
あのとき選べなかった分、選べるようになったその瞬間がきたら躊躇なく飛べばいい。

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