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第3話 ただ家族の「感情のゴミ箱」として生きていた【小学校時代②】

こんにちは。
ライトコピーライターの海島たくやです。

今回は前回に引き続き、私の小学校時代
時に「家庭内」で起きた出来事を共有させていただきます。
何かみなさまの人生のヒントになれれば幸いです。

私が小学校の時期になると、両親の態度は一変します。

それまで、自由にこども時代を楽しんでいたのですが、
とにかく「勉強しろ!」といわれるようになるのです。

・いい学校に入らないと、いい人になれないぞ
・いい会社に入るために、今がんばれ!

と教育熱心な親に変わってしまったのです。

その理由は、両親に「学歴コンプレックス」があったからでした。

両親とも「高卒」で、いろいろと社会でバカにされることが多かったようです。

「高卒のくせに~」
「低学歴がえらそうに意見なんていうな!」

など言われたそうです。

その反動で、子供にだけは、苦労させたくない!と思うようになったとのことです。

しまいには、父が家族のためにこの時期に転職。
家計をより「安定」させるために「公務員」に転職したのです。

それまでの父は、家に帰ってきてもとても優しく
よく遊んでくれたり、家族にも優しく接してくれました。

しかし、私が学年が上がるごとに、家の中は
とても殺伐としていきました。

よく父は、意味もなく家族に大声を出し、怒鳴り散らしたり
食卓に醤油を持ってこないという理由だけで
機嫌が悪くなったり、とにかく
「ストレスの発散」として家族を扱っていました。

朝起きれば「とにかく勉強しろ!」というばかりです。

また、この前後に祖父が亡くなりに続き
母が原因不明の体調不良になるなど
(のちに筋ジストロフィーと診断される)
母が動けないことを「ただ怠けているだけだ」と決めつけ
父は母にも八つ当たりをしていました。

私は、学校でのいじめなどで居場所がなく
家に帰っても家族はゴタゴタしていて
どこにいても居場所がありませんでした。

まだまだ甘えたい時期でもありましたので
母に甘えようとしても「無視」されたり

「お前は勉強だけしれてばいいんだよ!」
「甘えるんじゃない!」

といわれるばかりです。

家にも、学校にも、どこにも「居場所」がありませんでした。

小学生ながらいつしか
自殺を考えるようになっていました。

あの頃どうやって生きていたのか
今思い出そうにも、ただ苦しく辛いことばかりが
思い出として出てきます。

唯一、私が救われたのは、学歴とは関係ない「音楽や美術、工作の時間」でした。

ピアノやリコーダーで音楽を奏でたり
粘土で理想の街と称して、ミニチュアで架空の街を作ったり
紙に理想の場所をイメージして絵を描いたり

独りで黙々と現実から目を背けることに没頭していきました。

そうして、ますますひどくなっていく父の暴言に耐え
家族の「感情のゴミ箱として役割」を引き受けて
生きていったのです。

中学に上がっても、ますます苦しい出来事がつづくのです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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