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津軽海峡横断 【青森組】

2020年8月。
青森の地元新聞に堂々と載っていた記事。
「大間崎からカヌーで津軽海峡横断」
弘前市在住の二人の男性が、シングル艇で津軽海峡を横断したというものだ。

青森県に住んでガイド活動をしているが、すぐ上に流れる津軽海峡に興味は持ちつつも、機会とタイミングを見つけられず日々を過ごしていた。
この記事を読み、すぐに津軽海峡の海図を取り寄せた。
ようやく、津軽海峡を横断してみたいという気になった。
1人で渡るのは嫌だったので、この苦しみを分かち合えるメンバーをSNSで募集したら嬉しいことに皆、手を挙げてくれた。
この時点で決まったことは、決行は2021年6月。
目的は「津軽海峡を横断し、函館に行き、うまいものを食べる!」

津軽海峡横断計画(案)1


年が明け、津軽海峡横断の日程が近づいてくる中で、計画を詰めていった。
その中で、フェリー会社に人とカヤックのみの運搬は可能かと問い合わせると、頑なに断られていた。
今回の計画の中で一番ネックになったのは海峡横断後のカヤックの運搬の部分。北海道から参加するメンバーもいたので、それであれば北海道に自由に動ける車が1台、青森側に自由に動ける車が一台あればいいよね、なんていう話になり、出発地が青森/龍飛崎→目的地/函館の青森組、出発地が北海道/函館→目的地/大間の北海道組と別れることになった。

青森組のメンバーは、長野・一滴Paddle&MountainGuide 中村さん、東京・パドルクエスト堀川さん、宮城・なかのカヤック中野さん、青森・北三陸OUTDOORS・大津の4人。
北海道組のメンバーは、北海道・BLUE HOLIC SEAKAYAKSTATION嘉藤さん、和歌山・くまのエクスペリエンス上野さん、沖縄・GoodOutdoorジョニーさんの3人。皆、日本セーフティカヌーイング協会(JSCA)を通して知り合った仲間、先輩方々だ。
今回の記事は、青森組で出艇した大津が書いているので、龍飛から函館間の記録となる。

皆に用意してもらった日程は6月8日~6月11日までの4日間。
巷では、なかのカヤック中野さんが来る遠征は天気が味方するという噂もある。果たして、中野さんが高気圧を連れてくるという噂は本当なのか。
そして、海峡横断後、無事函館で海鮮とビールとラッキーピエロのハンバーガーは食べられるのか。

天気図では、8日は日本海側に高気圧があるが、まだ寒気も残り、不安定な状態だったため、出発せずに停滞。龍飛崎からの景色は、ほぼ視界ゼロ。
おかげでじっくりと計画を立てながら、龍飛を観光することができた。
津軽海峡歌碑の道路を挟んだ後ろにいる、たっぴの母さん。話しかけられたら最後。モノを買わないと帰してくれない、なんならお釣りが出る札を出すと、お釣りが出ないようにあと一品買えと言われる。
何十円ほどの余剰分はおまけするから、と。
結局、お釣りが出ないように2品も買わされてしまった。
津軽海峡冬景色の歌碑のボタンを押し、音楽に合わせて後ろでタンバリンの音が聞こえ出したらもう逃げられない、そう思った方がいい(笑)。
名物「たっぴの母さん」とはまさしくその通り!!

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9日は高気圧の中心が北東北にとどまるだろう。
北海道組にも確認を取り、青森組、北海道組どちらとも9日に出発することになった。夜も南西の風が5m以上吹いていた。青森組は、朝4時に出艇。きっとこの風も高気圧が近づいてくれば落ちつくはずだ。

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9日早朝。朝2時に起床し、各々が4時の出艇に向けて準備を始める。
6時間、7時間漕ぐときの一番の心配事はトイレ問題。
本流上でのもしも、を考えた時。履物は、ドライパンツだ。
きっとひどいことになる。もう履けなくなってしまうかもしれない。一生匂いが取れないかもしれない。色移りもするかもしれない。考えるだけで恐ろしい。しかし、便利なものもちゃんとある。お腹が痛いわけではないが、下痢止めを飲むだけでこんなに気が軽くなるのであれば、飲まないわけにはいかない。

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そうして、パッキングを終わり、朝4時出艇。
海流の弱い時間を狙っていたので、ある程度岸に沿って進み、龍飛崎を目指さずに沖を目指し340度(松前郡福島町)に頭を向けて進むことに決めた。この日のキャンプ地は、知内町の海岸を予定。出発前の予報では、午前中は南西の風は収まらない。

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津軽半島の地形を見れば、岸沿いは西風は抑えられそうだなと思っていたが、漕ぎ出してみるとそれなりに西風を受けていた。
そうして1時間ほど進み、休憩を入れる。
ここから、岸を離れて進んでいく。
風は当たり前に感じる。進めば進むほど海流も感じるようになってきた。
風波なのか、海流なのか、いや、どっちもか。空も、どんよりしている。
ハットが風に煽られないように、ずっと左に首を傾けていた。
2時間も漕ぎ進めれば、海流の中にいた。
風と海流のダブルパンチ、福島町へ頭を向けて進んでいるのだが、龍飛崎が西にどんどん離れていく。
漕いでいても、前方に目標物がなければ、流されている実感はなかった。
ただひたすら340度に頭を向けて信じて漕ぎ進めるのみ。

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そのうち、龍飛崎も見えなくなった。
少しずつ、大型船が見えるようになってきた。
事前に聞いていた話では、海流よりも、本流を進む大型船の方が怖い、と。日本海からくる大型船は流れに乗って太平洋に進み、太平洋からくる大型船は流れに逆らって日本海側へ進む。アプリで見た情報では、流れに乗ってくる大型船は20ノット程度、流れに逆らう大型船は10ノットほどの速度だ。
こんな大型船を交わすべく、皆で前方180度見渡し、船に気を使いながら進むが、運がよかったのか。遠くでは大型船が見えていたが、漕ぎ進んでいる中で私たちの近くを通過する大型船はなかった。
そんな中、中村さんが言う。「尿意がしてきた!大津君、カヤックおさえてちょうだい!」

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4、5時間ほど漕ぎ進みだんだんと空が晴れてきた。そして、北海道の山が見えてきた。松前半島太平洋側から丸山665m、岩部岳794m、池ノ岱山526m。この目印が見えだすと、想定内ではあるが思ったよりも東に流されていることに気づく。龍飛を離れる時とは逆で今度は目的地が近づけば近づくほど流されていることを実感する。

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陸が見えれば行程の半分は過ぎたはずだ。
少しホッとし、確実にゴールが近づいていることがわかると元気も出る。
気が付けば本流部分を抜け出したのか、風が収まったのか、海況は少しずつ落ち着いてきた。
漕ぎ始めて6時間。陸が見えてもまだたどり着けないもどかしさ。
見えてからが長いし、陸に近づけば近づくほど、結構な流れを感じた。
無心でモクモクと漕ぎ進んでいた。

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7時間も漕げば、ゴール間近のチェックポイント矢越岬を回り込み、いよいよ知内町。
ゴールまでもう少しなのに、海流、風を真横から受け、まったく進んでいる気がしない。
時折飛び跳ねるマグロのようなものに遭遇し、少し元気が出た。
キャンプ地はもう間近。肩回りも、腹筋も、腰も、お尻も、そろそろいい感じに出来上がっていた。がんばれ!がんばれ!と自分に言い聞かせ無事にキャンプ地に到着。
結局、出艇後の1時間以外の行程はすべて海流の影響を受けていた。
本当に、よく頑張った。こんなに風の中この距離を漕いだのは、7年という私の短いカヤック人生の中でも初めてだ。約47キロ、7時間43分。

到着後、皆で苦労をねぎらって、乾杯。
このビールのおいしさは、海峡を横断した人にしかわからないだろう。
富士山に登頂した時の感覚とすごいよく似ている。8合目あたりから酸素濃度が薄くなり、一歩ずつしか進めない。苦労して一歩踏み出し、立ち止まり、一歩踏み出し、たどり着いた。山頂が見えてからが一番苦しかった。
きっとこの喜びは、同じ類のものなんだろうな。
この日は、私はまだ明るいうちの夕方6時半に眠りにつき翌4時まで寝ることができた。おそるべし、津軽海峡。

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翌日は知内町から函館湾まで約36km。
ベタ凪の海に気が抜けて、私が「今日はご褒美の海ですね!」なんて甘いセリフをはくと、堀川さんが「最後まで気はぬけないよ。」と言う。
イルカと一緒に漕げることなんて、そうそうない。
時間こそかかるが、何も問題なく函館湾へ。

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ゴール目前に。函館湾内で津軽海峡フェリーの航路に入っていたようで、フェリーが近づいてきた。ダッシュで航路を外れる。
(地形図に記載している航路とフェリーの航路は別なのか??)
動き出してから思いのほか速いスピードで近づいてくるのと、大型船の引き波が思いのほか大きく、しかもその波のピッチが速いのと。
とっさにバウを波に向ける。しかし、スケッグを出していたことを忘れていて危機一髪。危ない危ない。完全に気が抜けていた。
旅は、最後まで気が抜けないということを肝に銘じておく。

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北海道組も無事に函館から大間にたどり着き、車の回送も終え、こちら側の到着が少し遅れたために合流することはできなかったが、無事ゴールに到着し、カヤックを車に積み込み、問題なく帰りのフェリーに乗船することができた。
正直、また津軽海峡を渡りたいとは思わない。
でも、この苦労の先に皆でのむ乾杯のビールの喜びと、達成感は何事にも捨てがたい。それに、次渡るときは技術的にも知識的にも、もっとうまく渡れるような気がする。
富士山の時もそうだった。もうこの一回でいいや、富士山は見るもんだというと、二回、三回と機会が回ってくる。いらぬ心配か、またその機会が来ればそれはその時に考えよう。

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帰りのフェリーでラッキーピエロのチキンバーガーを食べながら穏やかな津軽海峡を見て思ったことは。
やっぱり、津軽海峡に凪は似合わない。

お付き合いいただいた皆さま、どうもありがとうございました!
また壮大に遊びましょう!

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2021/6/25追記
2021/6/24付の宮城・石巻の地元新聞に中野さんが登場したようです。
そういえば、津軽海峡を渡ろうと思ったきっかけってこれと同じで、新聞の記事を見て触発されたことだったな、そんなことを思いました。
この記事を見た、誰かの何かの挑戦に連鎖されていくことを期待します。
渡りたい!と思ったらすぐ渡れるか、と言われれば相応の準備は必要だと思いますし、シーカヤックで津軽海峡を渡りたい!と思う人が増えればいい、と思えるかというとそれはうなずくこともできませんし、渡りたい人を快く送り出せるかというと、悩みどころです(笑)。でも、やる価値は十分に感じます。
この新聞を見てシーカヤック?なんだそれは!!と興味を持って、やってみて、なんだこれは面白いじゃないか!!となって、津軽海峡がいつか挑戦してみたい場所、と思える人が増えるのであればそれはそれで嬉しい事ですね。
むしろ、その繋ぎが僕らの存在意義のような気もしています。
津軽海峡も、日本国内におけるひとつの最高峰なのかなぁ。
石巻近辺であればきっと、なかのカヤックなかのさんが優しく知識技術見聞を教えてくれる!はず!!!

次の企画はなかのさんに期待!!

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