2023年のMr.ChildrenのHANABI
昨年の秋、遠方に住む子どもから電話があった。
「⋯⋯ちょっと⋯⋯助けてほしいんだけど⋯⋯こっちに来れたりする?」
と、遠慮がちに言う。
「行くよ。明日の始発に乗るから」
時刻はすでに23時を回っていたけれど、私は即答した。
寝てなんかいられない。咄嗟にそう思った。
子どもは、ASDやADHDの特性から様々な生き辛さを抱えていて、これまでにも、学校や部活動の人間関係の中で幾度も傷ついてきた。
それらすべてを親のせいにして、親を憎むことで、自分を守ってきた面もあったのだろう。
かつて私は子どもから、あからさまに憎悪を向けられて、「毒親だ!」と断罪された。
けれどもそんな、暴言や暴力に怯えていた日々は、もう遠い。
大学進学を機に子どもが家を出てからは、私たち親子の関係性も少しずつ変化してきた。
久しぶりに会った子どもは、パニック発作を起こして酷く怯えていた。
日々の暮らしに疲弊し、将来への漠然とした不安を抱えて、それでもたった一人で立ち向かおうとしていた。
少しずつ話を聞き、食事をし、また少し話を聞き、クイズ番組を見て笑っているうちに、ふと気付くと子どもは眠っていた。
それは私のよく知っている、幼い頃と同じ寝顔だった。
年末に電話で、その後の経過を聞いていた時、
「正月に帰省するついでに、新しいパソコンを選んであげるよ」
と、子どもが言った。
秋に滞在した時、私が年代物のパソコンの不具合をぼやいたことを、覚えていたらしい。
私は不意に、亡くなった父のことを思い出した。
ある日父が、離れて暮らしていた私に、ワープロを選んでほしい、と言ってきた。
パソコンはおろかワープロさえも、各家庭に広く普及する以前の頃である。
父が何かを相談する時は、長女か次女に決まっていて、それまで私を指名することはなかった。
成人してから父と二人きりで出かけたのは、あの一度きりだったかもしれない。
私は、自分が仕事で使い慣れている機種を薦め、一緒に実家へ持ち帰って初期設定を済ませた。
「ほぉ、さすがだな⋯⋯」
と目を細める父を見て、私は何とも誇らしい気持ちになった。
それは私が、父から認めてもらった、最初で最後の経験だった。
家電が相次いで故障したこともあり、本当はまだ、パソコンを買い替える予定ではなかった。
けれども「この子はきっと、こんな形で気持ちを伝えたいのだ」と、私は思い至る。
かつての私がそうだったように、自分の得意分野の知識で役に立ちたい、と願っているのだ、と。
私は思わず胸が詰まって、涙が溢れそうになる。
「……お願いしようかな」
と言うと、子どもは
「わかった」
と短く、けれどもちょっと嬉しそうに答えた。
約束通り子どもは、逐一私の希望を聞いて機種を見繕い、年末にネットで商品を予約してくれた。
そうして年が明け、私たちは二人で、初売りの混んだ繁華街へと繰り出した。
子どもは朝から上機嫌で、時折り鼻歌を歌っている。それは15年ほど前に流行った医療ドラマの主題歌で、時を経て今でもよく聞く曲だ。
「あれ? 音楽、苦手じゃなかったっけ?」
そう聞くと子どもは、少し困った顔をして
「⋯⋯あれはまぁ、姉ちゃんへの忖度⋯⋯」
と言い淀む。
上の子はピアノにバンド活動にと、音楽一色の学生時代を過ごしたけれど、下の子は歌も楽器も苦手だったはずだ。
「だって俺が、音楽まで得意だったらマズいっしょ。音楽できないキャラ、でいくしかなかったんだよね……」
私は、咄嗟に言葉が見つからない。
胸が詰まって、また涙が溢れそうになる。
上の子もまた発達障害の特性があり、苦手なことや、できないことが多くて、何かと辛い経験ばかりだった。
それでも、五歳からはじめたピアノをきっかけに、唯一音楽だけは得意だった。
子どもたちが幼かった頃、寝付くまでの間、あるいは自転車の前と後ろに乗せて、私はたくさん歌を歌った。
もう一回、もう一回、と乞われるたびにいつまでも、そらで歌える童謡をリピートした。
そんな子どもの一人が、音楽は苦手で歌も楽器も不得意だなんて、どうして信じ込んだのだろう。
私は、より特性の強い上の子を慮るあまり、無言の圧力でこの子に、忖度を強いたのではないか。
親子の間に問題が起こった時は、例外なく親の方が悪い。
たとえどんな事情があったとしても、子どもは不適切な養育をされた虐待の被害者だし、親である私は傷つけた加害者だ。
「ミスチル、いいよね。私もよく聞いてるよ」
そう言うと、子どもは深く頷いてから、最近よく聞いているお気に入りのグループや曲を教えてくれた。
ほとんど知らないアーティストばかりだったけど、楽しそうに説明してくれるだけでもう、私は胸が一杯になる。
この子が音楽を嫌いじゃなくて、本当に良かった、と私は思った。
新しいパソコンを持ち帰ると、子どもはあっという間に初期設定を済ませ、私が使いやすいようにカスタマイズしてくれる。
ありがとう、と何度も繰り返す私に子どもは、はにかんだ笑顔を見せた。
元旦の夜、たくさん用意したおせち料理とお雑煮をきれいに平らげて、子どもたち二人は深夜まで、懐かしいゲームに興じていた。
リビングに、たくさんの笑い声が響く。
姉弟はとても仲が良い。
二人の笑顔を見ていると、まだ間に合うような気がしてくる。
一度は背を向けられた子どもたちだけど、私はもう一回、この手を伸ばしてもいいのかな、と。
やがて子どもたちは、軽く手を振って、それぞれ自分の場所へと帰って行った。
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