はやく世界が、役に立たないもので溢れますように。

2020年はもっと、たのしい年になるはずだった。

お正月の広告はどれも、「株式会社○○は、東京2020オリンピックを応援します。」なんて定型文で溢れていたし、新国立競技場が完成した日の朝のワイドショーのコメンテーターたちは、いつもよりなんだか少し浮かれていた。東京というか、日本中が2020年が来るのをどこか心待ちにしていたような気がする。そして、待ちに待った2020年がやっと幕を開けた、はずだった。

だけどそこからたった数ヶ月で、状況は一転した。最初はニュースの中のどこかの国の知らない誰かの出来事だったのに、だんだん自分のまわりにも影響してきて、今ではもう日本どころか世界中が混乱している。「寒いからどこも行きたくない」なんてワガママを言っていた去年の年末の自分に戻って、教えてあげたい。暖かくなったらディズニーランドは休業するし、花見も全部中止になって、夏の花火も、オリンピックも2020年はできなくなって、"SF映画の物語の中にでもいるんじゃないか?"と錯覚するくらい非現実的な日々が、もうすぐやってくるんだよ、と。

ついこの前アメリカの専門家が、この状況が落ち着くには2022年までかかると発表したというニュースが流れてた。嘘みたいな本当の話の中で生きているいま、もう何を信じたらいいのか正直わからない。見えない先を考えるより、1カ月後、半年後、生きていくために貯えておくことがいまの私の精一杯だ。SNSでは「○○は数十年前にこの状況を予言していた!」なんて面白おかしく書いている人もいて、そこまで予測するならおわりの時期までちゃんと予測しといてよなんて思ったり、思わなかったりしながらそっとミュートボタンを押す。

2月の末頃にはもう少しずつ、駅の広告が真っ白なただの紙に変わってたり、街に貼ってある映画のポスターの公開日の箇所だけ近日公開にすり替えられていた。それを見て、コピーライターの大先輩たちが「3.11の時に広告って無力だなと本気で思った。」と講義中に口を揃えて話していたことがふと頭に浮かんだ。まだ学生だった私はあまりピンときてなかったけど、その言葉だけがずっと記憶に残っていた。

働く上での社会的意義なんてこれまで考えたこともなかったけど、なんかそういう小難しいことを最近は柄にもなく考えることが増えた。コピーライターはキャッチコピーで命を救えるわけでもなければ、誰かの空腹を満たせるわけでもない。今話題の言葉で言ってしまえば、キャッチコピーは不要不急なのだ。リーマンショックも3.11も社会人として経験していなかった私はやっと、あの言葉の意味をひしひしと痛感している。


不要不急って、そもそもなんだっけ。テレビも映画もお笑いも音楽も、全部いらないものなんだっけ。いや、そんなわけないじゃんとみんな頭ではわかっているけど、確かに今はちがうかもと少し立ち止まって、いつもの日常が一刻もはやく戻ることを待っている。そんなことぼーっと考えて湯船に浸かっていたら、ちょっと前のタワーレコードのポスターを思い出した。

音楽は役に立たない。
役に立たないから素晴らしい。
役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい。
(坂本慎太郎)

あぁ、今はまさに、"役に立たないものが存在できない世界"そのものだ。これまで当たり前にあった、役に立たないけれど人々を励まし、心を癒してくれたものたちが日常から消えつつあって、生きる気力がだんだんと薄れていっている。不要不急と言われているものたちこそ人生を豊かにしてくれる、人間にとって一番大切で素晴らしいものなのに。

そう思えたら、今の自分にできることは何があるんだろうって、昨日よりも前向きに考えられるようになった。地球が元気になったら、いきつけの居酒屋でみんなで乾杯して、キャンセルした家族旅行の予定を立てなおして、気になっていた映画を絶対に観に行く。そうしよう。

はやく世界が、役に立たないもので溢れますように。