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UMILABO TIMES #4 - 山田みかん さんと「うみらぼ広報会議」!

こんにちは!
うみらぼに関わってくれている人にフォーカスしたインタビューメディア『UMILABO TIMES』第4弾は、元々テレビ局記者としてうみらぼを取材していただき、この夏からは広報周りをサポートしていただいている 山田みかん さんのインタビューです!(聞き手:吉田貫太郎)


山田みかん(やまだ・みかん) さん
三重県出身。中京テレビで約10年記者として勤務したのち、
2023年に広報支援・事業コンサルティングの会社「Shireru」を立ち上げ独立。
うみらぼでは、1周年イベントのプレスリリース制作を担当するなど、広報のスキルを生かして関わっている。
読書が趣味で、聞き取り調査がライフワーク。最近の調査テーマは「アントレプレナーシップ教育」。
子どもの自立心を育むアントレプレナーシップ教育に、自治体がどのような思いで取り組んでいるのか に注目している。


取材をきっかけにうみらぼへ

——山田さんと川野さんは、どういった経緯で知り合ったんですか?
山田:私が中京テレビの記者だったころ、ある新聞に川野さんが廃真珠工場のゴミを片付けているという記事が出ていて、取材させていただいたのが始まりですね。

——ニュースの題材探しの中で、たまたま見つけたのがきっかけなんですね。
川野:共同通信の記者さんが取り上げてくれて。その後、中部経済新聞さんに掲載された記事を見てもらい、たしかSNSでご連絡もらいましたね。

2022年2月17日 中京テレビ「キャッチ!」にて放送されました
現在のうみらぼ

——うみらぼに来られたのは取材の一度だけでしょうか?
山田:そうですね。取材で1度訪問して、うみらぼに関わりたいという思いをずっと持ったまま働いていました。
その後、テレビ局を退職する時に川野さんに直接会いに行って、関わらせてもらえないかと直談判しました(笑)。
川野:退職・独立のお話を聞いて、スピード感にびっくりしました(笑)。
同時に、「うみらぼに関わりたい」と言ってもらえて、とても嬉しかったです。

——そして今年から、うみらぼの広報周りをサポートいただいていますね。
山田:川野さんが「数時間の手伝いでもいいよ!」と言ってくださるので、気軽な感じでお手伝いさせていただいてます。うみらぼのプロジェクトがどんどん進んでいくのを見て、自分も地域に貢献しているような気持ちになれて楽しいです。
うみらぼに関わると、三重のことや海のことなど、いろんなことを知れるのも良いところですね。今後、関わりたいという仲間がさらに増えていくといいなと思います。
川野:うれしいお言葉ですね……ありがとうございます!!

三重県出身・地元嫌いだった山田さん

——元々東海エリアのご出身ですか?
山田:三重県の伊勢生まれ・松阪育ちです。ただ、私は地元があまり好きではなくて。
——どんな部分が好きではなかったんですか?
山田:松阪市に関しては、小学校の頃、学校教育にあまり力が入っていなかったように感じていました。
塾に行って他市の子と話すと、他の市はさまざまな取り組みが松阪市より進んでいて、それであまり地元愛が芽生えなかったのか、早く外に出たいと思って地元を離れました。

——三重を出られたのは大学進学のタイミングですか?
山田:そうです。大学進学で東京に行きました。その後、地元の東海エリアに戻るつもりはなかったんですが、ご縁があって雇っていただいて、戻ることになって。
働きながらも、どこか地域に愛着が湧かないような日々を過ごしてましたね。
——東海エリアだと愛知県内だけでなく、岐阜や三重に行くこともあったんですか?
山田:そうですね。愛知・岐阜・三重ですね。
「愛知はこんなすごいところがあるし、岐阜もこんなにすごいのに、三重は……」と思っていました。
でも、取材で川野さんのお話を聞くうちに、こんなに地元に貢献したいという思いを抱いている三重県の人がいるんだと思って。同じ三重県出身の者として、すごく素敵だなと思いましたし、自分自身をちょっと見つめ直すような気持ちにもなって、できることがあればご協力したいという気持ちになりましたね。

テレビ局でのキャリアについて

——中京テレビには長く勤められたんですか?
山田:2014年入社で、約10年勤めました。
入社して8年半くらいの間、取材して番組にする記者の仕事をやらせてもらって、その後1年ちょっとは、全国ネット番組の広報担当でしたね。
夕方に放送している「ヒューマングルメンタリー オモウマい店」という番組や、深夜に放送している「それって!?実際どうなの課」などの番組の広報をしてました。

記者時代の山田さん
うみらぼに取材に来た山田さん(写真右下)

——テレビ局の記者の仕事は何となくイメージがつくんですが、テレビ局の広報は具体的にはどんな仕事をするんですか?
山田:一般の会社の広報さんと一緒で、メディアに取材に来てもらえるようにアプローチしたり、対外的に情報を発信したりするのが仕事になります。テレビ番組の広報では、テレビ雑誌などのエンタメ系のメディアに取材に来てもらい、より多くの記事に取り上げてもらえるよう仕事をするという感じですね。

——テレビ局のキャリアの中で、いい経験になったなという思い出はありますか?
山田:川野さんに会えたことも含めて、いろんな人に会えたことですね。
テレビ局の肩書きを使ってたくさんの人に会いに行って、地元のエリアで何が起きているのか取材できたというのは、本当にいい経験をさせてもらったなと思っています。
一般人の私ですけど、名だたる人にいろんな話を聞けて、たくさんの知識や情報をもらうことができました。

取材では地元の事業者から有名政治家まで、様々な方に会ってきたそう

——テレビ局勤務は楽しかったですか?
山田:楽しかったですね。一番は、法改正に繋がる報道ができたのがもう本当に嬉しくて、またそういうことが一個人でもできるといいなと思っています。

——なるほど。山田さんご自身としては、社会変革を促すようなことにモチベーションがあるんですね。
山田:そうですね。

起業のきっかけは?

——テレビ局の記者として活躍されていた中で、起業に踏み出したきっかけは何だったんですか?
山田:記者の仕事でいろんな人に会う中で、「事業計画の壁打ち相手になってほしい」とお話をいただいて、2019年ごろから無償で事業コンサルタントをしていました。
しばらくやらせていただいているうちに、有料でお願いしたいと言われて、2022年からは副業の許可を得て活動していました。
その副業が軌道に乗ってきたので、会社を辞めて副業を本業にしたという感じです。

——ボランティアで何年間か活動していて、副業としてお金をもらうようになってから、独立も視野に入れるようになったという感じなんですね。
山田:そうですね。テレビ局での最後の1年がめちゃめちゃ忙しくて。もうちょっとゆっくりした仕事に切り替えて、子どもや家族との時間を持ちたいなと思ったのが独立した理由の1つですね。
また、1つの事件や出来事によって世の中がものすごいスピードで変化していくのを、マスコミの中で見ているうちに、マスコミ以外の方法でも世の中を動かせるのかもしれないと思って。それで、「マスコミを出て、何か世の中を動かす方法を探しに行ってみよう」と考えるようになりました。

独立後のお仕事について

——元々は、事業コンサルタントが副業のスタートだったんですね。現在も、広報の仕事だけでなく事業コンサルタントの仕事もやられているんですか。
山田:そうですね。今は、岐阜大学さんから依頼を受けて、学生のメンターをやっています。岐阜大学には学生起業家がいっぱいいて、事業のアイデアを聞いたり、今後どうやっていきますかという話をしたりするような感じです。

——事業コンサルタントと、広報支援の2本軸で仕事されているんですね。それが今年からですか。
山田:今年の8月からですね。6月30日に退職して、7月1日からフリーランスとして働き始めて、8月に会社を起業したって感じです。
私としてはフリーランスでやりたかったんですけど、契約の関係で会社にしてくれという話になって。口座を作らないといけないとか、登記をしないといけないとかで、今は自分の会社の事務業務が大変です。
川野:図らずも女性起業家になったって感じですね。
山田:もうホント大変です。こんなつもりじゃなかったのに(笑)。

——独立して3ヶ月くらい経ったと思いますが、仕事自体は順調ですか?
山田:全然順調じゃないです(笑)。
10年間、ビジネスパーソンとしてのノウハウを何も学ばなかったんですよ。テレビ局という特殊な世界で、制作物をひたすら毎日発信する仕事だったので、一般的なビジネスパーソンがやっていることをあまりやってこなくて。
例えば、テレビ局ではお盆休みもなかったので、「お盆休みっていつからいつのことを言うの?」とか「何時まで先方にメールしていいの?」とか、いろんなことを友人に聞きながら頑張っています。

——独立してからこれまでの間で、上手くいったことは何かありますか?
山田:口コミで、スタートアップ企業から広報を手伝ってほしいと言っていただいて、お手伝いした結果、全国ネットの番組に取り上げてもらえたというのがありました。それはすごく楽しかったですし、やりがいを感じました。

山田さんから見た、うみらぼの面白さ

——うみらぼに関わってみて、どんな部分にうみらぼの面白さを感じていますか?
山田:過疎地を知識と技術で生まれ変わらせようという思いが素敵だなと思いますし、今後どうなっていくのかが本当に楽しみだなと思っています。

2023年秋現在のうみらぼの様子

——近年、地方創生をテーマにした施設や取り組みが全国で増えていますが、うみらぼ以外でそういった施設を取材されたことはありますか。
山田:地域おこし協力隊の方がゲストハウスを始められたのをきっかけに地域が活性化した事例や、ビール工場を作った事例など、いろいろな事例を取材してきました。
その中で思ううみらぼの新しいところは、海の上が舞台だということですね。
志摩地域ならではの環境と、真珠養殖の歴史を反映した「海の上のソーシャルイノベーションラボ」ができるのがすごく楽しみです。

ここでしか見られない、夕暮れ時の絶景

——船でしか行けないというところが、うみらぼの独自性の一つですよね。
山田:はい。アクセスが難しく場所づくりが大変な一方で、そういう立地条件を求めている人もいると思うんですよね。いま、データマーケティングなどの情報分野がすごく注目されていて、データを売り買いしたり、統計を取れるような場所を求めたりしている人や企業が多くなっていると思います。
海上のデータが取れる、海の上のビジネス拠点というのはなかなか無いんじゃないかと思っていて、うみらぼでいろんなことができるようになってきた時に、そういった部分でも活用できる可能性がすごくあるなと思っています。
例えば船の自動運転とか、波力発電とか。海に関連する調査っていうのはいろいろできるんじゃないかなと。
——川野さんも、海上交通の話をしていましたよね。
川野:そうですね。いま、車の自動運転の会社に在籍しているんですが、電気で動く船を自動でコントロールするのも、いずれやる予定でいます。
自動運転は地域課題の解決に直結するソリューションだと思っています。例えば、離島の定期船や観光船など、これから運転手の確保が難しくなっていく領域はけっこうあるんです。そういう世の中のニーズに合わせて、自動運転を導入していけるといいのかなと思っています。

英虞湾全体の整備計画「揺蕩うクリエイティブ」

川野:うみらぼは、今は1か所ですが、英虞湾内に200〜300か所ある使われてない廃真珠工場を活用するという目標があります。この5〜10年ぐらいで、タクシー配車サービスのような感覚で船をアプリで呼んで、廃真珠工場の間を無人運転で移動してもらうようなところまではできるようにしたいなと思っています。

川野:山田さんが言うように、海のビジネスって、まだ発明されてないものがたくさんあるんですよね。宇宙みたいに、海もビジネスの可能性がたくさんあると思っています。
300か所ある廃真珠工場をインキュベーション施設に見立てて、海のスタートアップ企業をたくさん作って、そこで海の課題を一つずつ解決していきたい。
全部を一気にはできないですが、点在する廃真珠工場で起業家を育てていけると、地域課題解決ができるんじゃないかなと思います。うみらぼはその中でも、人の交流やアクティビティなど一部の機能に特化してやっていこうかなと。
——英虞湾内で、海という未開拓の資源と、先進技術と、課題解決を目指す起業家とがどんどん繋がっていくというイメージですね。
川野:そうですね。「うみらぼ」は、「海」のラボでもあり、「生み出す」ラボでもあるというところにも掛けているので。

整備前の廃真珠工場の様子

山田:社会課題という切り口で話をすると、志摩に300か所ある廃真珠工場は、空き家問題にもかかわってくるんですよね。こうした建物や空き家をどうやって撤去するか、いろんな自治体が悩んでいます。うみらぼの活動が、空き家問題をどう考えるかのきっかけになるかもしれない。
——なるほど。先進事例としてのうみらぼが注目されれば、社会課題の解決につながっていくという点で、広報の意義もありますよね。

川野:最近、いろんなスタートアップ企業やベンチャー企業の人と話しているんですが、昨日も、自動運転の会社にいた人がうみらぼに来てくれて、水中ロボットの活用について議論しました。
英虞湾の中ってけっこうヘドロが堆積していたり、船が沈んでたりするんですよ。今の技術を使えば、海中のどこに何が埋まっているのかを解析できるんですが、そういうものが何も解明されていなくて、ずっとほったらかしになっています。
価値がないと言われてるものが英虞湾の中にたくさん眠っているので、それをスタートアップ企業と掛け算することで新たなビジネスの種がたくさん生まれると思うんですよね。

——海って知られていないことばかりなんですね。うみらぼの可能性はそういうところにあるというのを改めて思いました。
川野:宇宙探索に近いですよ。海にも未知の資源があるはずです。
廃真珠工場が最たる例ですが、今すでにあるものが、価値がないと思われたままなのはもったいないなと思いますね。


自分の得意ごとで、うみらぼに関わる

——うみらぼがいろんな先進技術やスタートアップ企業などと繋がって、地域課題解決を目指していくところに面白さを感じられているかと思います。
山田さんご自身は、今後のうみらぼにどう関わっていきたいですか?
山田:私は広報支援をする上で、記者経験から、社会課題やニュースと関連付けてPRするのが得意なので、うみらぼにもそんな風に関わっていけたらなと思っています。

うみらぼ1周年記念イベントの様子

うみらぼに関わっている人の中には、三上さんのような凄腕の広報の方もいらっしゃいます。そういった方のサポートもしながら、皆さんから知識や情報をいただいて、自分も成長しながらうみらぼの成長に何か貢献できたらなと思っています。

——自分の栄養になるような出会いが、たくさんありそうな感じがしますね。
川野:すでに山田さんと三上さんで協力して、うみらぼ1周年の広報をやってくださって。それが日経新聞さんから取材されることに繋がっています。ものすごい支援をしていただいて、ありがとうございます。
山田:とんでもないです。まだスキルが足りてない部分がいっぱいあるので、本業の方で学んで成長しながら、そのスキルをうみらぼに還元したいなと思います。
——将来的に、山田さんが本業で支援した企業とうみらぼが繋がることもありそうですね。
山田:そうですね。いろんな人や企業を繋ぐことができたらと思っています。