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UMILABO TIMES #2 - 真珠のご縁に導かれ、うみらぼにたどり着いた敏腕広報パーソンの話。

こちらのnoteは、2023年8月5日にうみらぼ代表・川野が公開したものを「うみらぼ・伊勢志摩」noteにて再アップしたものです。

こんにちは!うみらぼの川野です。

うみらぼに関わってくれている人にフォーカスしたインタビューメディア『UMILABO TIMES』第二弾は、うみらぼ最初期の片付けから、今ではうみらぼの広報サポートまでしてくださっている 三上紅美子さんのインタビューです!(聞き手:吉田貫太郎)


三上 紅美子(みかみ・くみこ)さん 現在はライソン株式会社で働いている、経験豊富な広報パーソン。 神戸在住ながらも、うみらぼには最初期から参加している。 写真は「パインアメ 魔法のシロップメーカー」を試している様子。

「なんでもやる三上」ができるまで

——うみらぼで一緒に活動していて、三上さんは広報の人という印象が強いんですが、お仕事の経歴を教えてください。

三上:大学を卒業して、最初は自分の故郷の青森県の新聞社に新聞記者として入社します。いわゆる地方紙ですね。取材とか、編集とかをやりました。
その後転職して、いま住んでいる関西に引っ越してきたんです。取材する側じゃなくて、企業の側の方から発信する人間になりたくなって、神戸のホテルでマーケティング担当になりました。ウェブサイトやメルマガでの情報発信とか、自分でイベントをつくる仕事もしました。

——幅広い領域の仕事をやっていたんですね。
三上:マーケティング担当ってなってしまうと、大体なんでも屋さんになるんです(笑)。
宿泊・ブライダル・レストランをやっている大きなホテルで、お客さまからの電話窓口があるんですよ。宿泊やお部屋についての問い合わせとか、レストランでこういうの食べたいんだけどとか。それにカテゴライズされない案件で、オペレーターの方がどこに回したらいいんだっけとなると、だいたい回ってくるんですね(笑)。

三上:「サプライズでプロポーズしたいんですけど、どうしたらいいんでしょう」とか。そこで「なんでもやる三上」みたいなものが出来上がって。
「マーケティング課」は会社の中のいろんなものが濃縮されていて、かつ営業にも接客にもカテゴライズされない問い合わせが、なぜかマーケティングの方にやってきてしまう。そういうところから、仕事の幅が広がっていきましたね。

ホテルのテラスから、神戸港の客船に歓迎の旗を振るイベントの様子

——どんなイベントを企画したんですか?
三上:神戸のアーティストの方をロビーにお招きして、ロビーでアートイベントをやったりしました。あと、神戸はパンの街なので、有名なパン屋さんを集めて、前菜からデザートまで全てパンが入っているフルコースのイベントをやって、たくさんのお客様に来てもらったり。

そういう企画をやりながら話題づくりをしているうちに、ある日突然担当替えがあって、「向いてそうだから」とマーケティングから広報になりました。
仕事としては、プレスリリースを書いたり、取材対応したり。取材を受けるのにも、宿泊のお部屋を予約しておかなきゃいけなかったり、お料理とかの準備があって、社内で調整したり。

これからうみらぼでも、たとえばバーベキューの取材をしたいとなったら、誰が食材用意するのか、とかいろいろな問題が出てくると思います。ホテルみたいな組織になってくると、料理長にご説明して、「これに合うような料理を何時に何人分用意してくれ」と言わなきゃいけない。ここを間違えちゃうと大変なんですよ。3人来ますというのが5人とか来たら、「食材足りないやん」と大変なことになっちゃうので。
神戸のホテルでのお仕事では、「なんでもやる三上」もそうですが、自社発の情報発信や取材などで、外に出ていく情報に間違いがないか、良い印象を持ってもらえるかというのを、突き詰めて考えるベースができましたね。

広報パーソンとしてのキャリアと、大切にしていること

三上:元々、地域おこしであったりとか、観光とかランドマークとかがすごく好きで。だから神戸でも、いわゆるランドマークのホテルで仕事をしていたんです。そんな中、エキスポシティ(大阪府吹田市)に日本一の観覧車ができあがるということで、広報を探しているとお声がかかって。
その会社で、0からビジネスが立ち上がる、開業準備室状態の会社の広報を初めてやることになりました。そこでは国内外に向けた広報などを3年ぐらいやりました。
その後も、「日本一の観覧車のプロジェクトの広報さん」という実績からか、新しいビジネスを立ち上げる時の広報という実績を見ていただいて、いくつかの会社の広報をやったりしています。
そうこうしているうちに、2018年に創業したライソン株式会社という会社と出会いました。

ユニークな、他の会社にはないことをやろうとしている会社がライソン株式会社なので、0→1の広報をやっていたり、楽しそうなものを、楽しくタイムリーに発信して、自分でも企画をする広報さんという部分を評価していただいて、現在に至るっていう感じですね。

——そんな経緯だったんですね。経験や実績を生かすことはだいぶ意識していますか?

三上:頭の片隅では、自分の次のキャリアパスの糧に、実績として何か残っていたら……ということを、何かこうわらしべ長者のように(笑)。
誰でもそうだと思うんですけど、最初思っていた仕事とだいぶ違うところに来ていますね。けど、その時、その時に全力で携わらせてもらって、かつ一緒に働いてる人がニコニコと良い仕事をできる、そんなお手伝いをできればと思いながらやっています。
何かを手繰り寄せて、いつの間にか広報という仕事に携わらせてもらっているって感じですかね。

——もしかして、根が前向きな方ですか?

三上:いや、本当わたし全然違いますよ。ネガティブだし、慎重だし、心配性だし。

「超蜜やきいもトースター」で焼き芋を極めるべく、さつまいもを掘る三上さん

——でも、広報の仕事の「正確な情報を伝える」みたいなところでは、心配性っていうのはいいかもしれないですよね。

三上:ホテルでホスピタリティの産業に携わらせてもらって、一番最初に仕事を教えてもらった上司に言われたのが、「ホテルで働く人は、バックヤードの人間といえどもエンターテイナーたれ」という教えで。
マーケティングとか広報って、いわゆるバックヤードの人間なんですよ。料理を作る人とか、フロント、客室にご案内するスタッフたちからしたら裏方さんなんですけれど。
それは今でも、「広報といえどもエンターテイナーたれ」と自分にいつも言い聞かせています。
なのでお客様であったり、自分と一緒に仕事する人だったり、一緒に過ごさせて頂く機会がある人には、ちょっとでも心地のいい時間を過ごしていただきたいなと思います。
ホスピタリティっていうのと、エンターテイナーたれっていうのとが、自分の根っこにありますね。

うみらぼとの出会い、三重との縁

——川野さんとはいつからの付き合いですか?
三上:コロナ禍で、広報の人たちのオンライン交流会で最初にお会いしました。
広報の仕事は人と会って話をするのが一番重要になってくるので、コロナ禍の前なんて飲み会ばっかりだったんですけど。それが飲み会どころか、「うちの会社で今こういうことをやってまして……」と直接会いに行って話をする機会が激減してしまって。
どうしようかなと思っていた時に、放送作家さんが主催でやっている「広報は夜の7時」というオンラインの交流会で川野さんと最初に出会いました。

川野:当時広報2年目で、「新米広報さんたちの会だよ」と聞いて交流会にひょこっと顔を出したら、三上さんがいて、「ベテランの広報がいるやん!」みたいな感じでした。

全国向けのFM放送に生出演した時の様子。右下が三上さん

三上:私も地方にいて、独学でやってる部分も多いので不安なんですよね。交流しながら、他の広報さんから学ばせていただこうと思って。
その時SNSでもつながらせてもらって、ちょうど川野さんがうみらぼプロジェクトを始めるとSNSに書いていて、何か面白いことを言ってる人がいらっしゃるなと。

——それで「行きます」となるのもすごいですね。フットワークが軽い(笑)。
三上:神戸から三重だったらまあまあ行きやすいですね。特に当時はコロナ禍だったので、理由をつけて行きたかったのかもしれない。
たまたま、今の仕事の1個前に、何ヶ月間か三重県に滞在して広報の仕事をしていて。三重県にもご縁があったんですよ。でも、せっかく三重県に行ったのに、何かあそこへ行ってあれ食べたいなとか、これがやりたいなということがコロナ禍で全然できなかったんですよ。
津市にある新聞社とかテレビ局とかは仕事で制覇してるのに、お伊勢さん(伊勢神宮)に行くのすら無理で、心残りだらけのまま大阪での次の仕事に移って。
でも川野さんと知り合って、これはご縁やなと思って。何かの神様が「とりあえずもうちょっと三重県においで」と。

川野:三上さん、真珠にすごく興味を持たれてましたよね。
三上:そうそう。ホテルにいた時に、地元の特産物とか街の歴史を語れるようになりたくて、すごく勉強していた時があって。神戸の歴史を勉強すると、真珠の加工については避けて通れないんですよね。

それで、真珠の街のお話を勉強すると必ず出てくるのが、真珠が育った志摩の英虞湾(あごわん)。考えてみたら、知識として、真珠の産地は英虞湾で、日本国内での養殖に最初に成功した場所も英虞湾っていうのは知ってるんだけど、行ったことないよなと。
真珠の街とうたっている神戸に住んでる人間としては、その真珠が生まれ育った場所とか、工場がある場所がどういう場所かを見ておきたいなと、興味が出てきちゃったんです。

うみらぼの求心力

——片付けから始まって、これまでの活動の感想を教えてください。
三上:全国からいろんな人が集まってきて。川野さんの発信力と、それに集まってくる人の「これに関わりたい」という未来志向な感じが、非常にこう、私もわくわくするというか。

——いろんな出会いがありましたね。
三上:うみらぼが本当に形を成すのはこれからだと思うんですけど、構想段階でこれだけいろんな人が集まって、新しい化学反応が生まれるっていうのがすごいですね。
ハコがなくてもここまで、いろんなエリア・職種・世代の人を引き付けるものがあって。
しかも、神戸から来てる私も皆さんからしたらびっくりなのかもしれないけど、北海道からゴミ拾いに来た人たちがいたから。それが私の中で衝撃でした。
ただ、自腹でゴミ拾いしに来てるって言っちゃうとただの変わった人たちなんですけど、うみらぼでの体験・経験はその労力を超えるんですよね。

川野(左)とうみらぼ創立メンバー・小山(右)が語り合う様子を捉えた、三上さん渾身の一枚

川野:北海道もそうですけど、渋谷から来たよと言う方もいて、「渋谷ってそんな近い距離感だったっけ?」と。
当日渋谷からいらっしゃるみたいなケースって、時間で行ったら多分北海道よりかかってるかも。

三上:渋谷からは相当かかってますね。こんなに集まってくるのはすごいと思う。

川野:感謝ですね。僕が発信したという以上に、みんなのアンテナとフットワークの軽さに助けられた感じですよね。
うみらぼがなかったら、三上さんや他の方ともこんなに会って、友達みたいな感じになることは……おそらく仕事仲間とかで終わっちゃってたかなと。ご縁だなという感じです。

テレビ取材が入ったインターンの様子

インターンのお手伝い

——うみらぼインターンではいろんな段取りをされてたと思いますが、どういう意識で活動していましたか。

三上:私はもうただただ、お手伝いができれば良くて。
川野さんはうみらぼの代表であり、イベントの主催をして、学生さんやエンジニアの方を集めて、それで取材も来るっていうことだったので。
特にテレビの取材が入る時って、その瞬間瞬間をずっと撮り続けてるんですよね。取材する方もエネルギーが必要だし、受ける側も準備が必要なので、テレビの取材を受けるって正直けっこう大変なんですよ。良い取材にしていただくために、お互いたくさんのものに配慮する。

そうなると、インターンを仕切りながら、学生の面倒を見ながら、川野さん1人でテレビ取材の対応もするってほぼ無理だなと。
なので、私がやれる範囲のことで、うみらぼの手伝いになるのであればと思って。テレビ取材の対応とかは日頃やってることなので。
取材でモタモタしてインターンシップの方に影響が出てもいけないし、もちろん取材する方にも気持ちよく取材してほしい。インターンシップに参加されてる方にも気持ちよく参加していただきたい。そこの部分をスムーズにいくように、裏方として動いた感じですね。

——イベント自体の印象はどうでしたか?
三上:印象的だったのは、学生さんたちの本気度ですね。素晴らしかったです。本当に。もう見ていて私も気持ちがいいというか、襟を正したというか。

自分が学生の時とはいろんな意味で状況が違って、新しいことに取り組みながら、テクノロジーについても一生懸命貪欲に取り入れていて。
彼ら彼女らなりに、それぞれの興味の度合いと得意不得意がありながらも、初めましてで同じ課題を共有し、1個の発表をつくるみたいな。清々しいほど頑張ってくださってる姿にもう、感動しかないですよね。
私はただ、川野さんが絶対テレビ取材受けるの無理やろなと思ったから、ボランティア感覚でしか行ってなかったんですけれど、脇で見ているうちに感動の嵐ですよ。

うみらぼへの期待

——最後に、今後のうみらぼにどんな期待をしているか教えてください。
三上:私は本当に最初期のうみらぼの状態を見ているので、一番の期待は、廃工場だったあの場所が、ハコとしてどうなるのか。完成形が見たいというところですね。
ただ、この準備段階からこれだけたくさんの、いろんな世代や職業の人が集まって、人と人とのつながりができている。その中で、うみらぼが今後どういう化学反応を起こして、新しい価値観や新しいビジネス、あるいは志摩の次の100年をつくっていくのか。
それに向けて、種をつくるだけじゃなくそこに芽が出るところ。まずその種と芽が出る瞬間を見たいなと思っています。もちろん、花が咲いて実がなるところまで見たいですけど(笑)。

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