できるだけ人に優しくいよう
と、思いながらやっていた去年なのだけれど、今年はその気持ちを失っている。優しくいたい、というのは、先輩からびしばし強い言葉で教育される日々も他部署の人から厳しい言葉を突き付けられるのも地味にしんどかったからである。
その志が無いわけではないし、思い出したら意識するのだけれど。もともと言動が皮肉っぽくなりやすかったり、ふとしたときに強い言葉を使ってしまう。恐がりなのである。気にしいなのだけれど、強がりで、本当は弱くてなんの力もない人間であることを隠すために、言葉を使うことがある。さびしいことだ。
それが癖になっているのは、間違いなく良くないことだ。
帰り際に言ったひとことを、どうして言ったのだろう、と思い返している。そういうことを、わざわざ言わなくてもいいだろう、と普通になれば冷静になれば我慢できることを言ってしまう人間性を、いつか改善できるだろうか。
と、非常にしんどくなった一日。頼んでいた荷物を19時指定で頼んでいて、そんな日に限ってけっこう残業して遅くなってしまいものすごくへこんでいた(帰り際に言ったひとこととは、そういうことだ。今日は責任者的な立場だったので、仕事が終わらなかった後輩が終わるのを待っていて、フォローをしてようやく終わる、というときにそういえば荷物が届くことを思い出して、脳直でそのことを言ったのだった。余計な嫌みったらしいひとことである。ふとしたときの言葉に人間性は出るなと自覚した瞬間でへこんだ)。
帰ってきたら、どうやらポストに入る大きさだけだったらしくて、直接受け取りの必要はなかった。余計に意味が無かったひとことである。しかし、やたら多い。明らかに文庫本サイズの、それもアマゾンではないものがある。
今、読みたい、という本があった。アマゾンマーケットプレイスで、どこかの古本屋が出品していて、注文した文庫本である。来週届く予定で聞いていた。その本だ、とわかった。思っていたよりやたら早い。びっくりして、落ち込みも、疲れも、すっと吸い取られていった。その小さな文庫本の入っているであろうビニール製の袋の中に。代わりにやわらかい霧が広がっていく。
小川洋子の「深き心の底より」というエッセイだ。彼女の初期のエッセイである。何故だかわからないけれど、今読むしかないと強く思っていた。読んでみないと、相性はわからないけれど。
本に助けられている日々……。
明日は休日である。人と触れるのに疲れたので、ゆっくり本を咀嚼しようと思う。そして、明けたらもうちょっと人に優しくというか……あえて強い言葉を選ぶこの癖を少しずつ自制できるように意識していきたいなあ、と思うのでした。
たいへん喜びます!本を読んで文にします。