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【社会のリアルに深く潜る】Deep Dive Camp in 宮城・福島 実施レポート【後編】

こんにちは!
ソーシャルインパクトを生み出すエコシステムづくりにチャレンジしている、CarpeDiem株式会社の海野です。

社会課題のリアルを深く知り、主体的にどのようなアクションがとれるか、考え、行動することで、社会の当事者になるソーシャルビジネス留学「Deep Dive Camp」。

【Deep Dive Camp(DDC)とは】

社会課題のリアルを深く知り、主体的にどのようなアクションがとれるか、考え、行動することで、社会の当事者になるソーシャルビジネス留学事業。ローカルベンチャーと呼ばれる地方の企業や、ソーシャルビジネスに従事する企業を訪ね、各社の取り組みを見学し、話を伺います。
社会のリアル、現場での挑戦者のリアルに触れることで、ソーシャルインパクトを生み出す挑戦を促し、社会を共に前進させていく取り組みになります。

さらに、参加者自身の内省やディスカッションを組み合わせることで、参加者の当事者意識を高めたり、課題の本質が見えたりなど、企業・団体やビジネスパーソンの課題解決につながる研修型の運営も行っていきます。
サステナビリティ、ソーシャルインパクトに興味のある個人の方や、法人・チーム、そして経営や新規事業を担う経営者、幹部のみなさまの視野を広げ、より本音で抽象度の高い挑戦を促していく取り組みとなっています。

2023年10月23日, 24日の二日間にわたり開催したDeep Dive Campでは、主に宮城県・福島県を拠点に活動を行うキーパーソンから、現場で起きていること、変わりつつあることを教えていただきました。

後編となる本レポートでは、二日目に訪れた浪江町、ナミエシンカさん、小高ワーカーズベースさん、haccobaさん、GRAさんなどについて綴って参ります。

【Deep Dive Camp in 宮城・福島 ダイジェストムービー】

※前編となる実施レポートはこちら


【文化ができれば、経済はついてくる。】ワクワク戦国時代を楽しく生き抜く

東の食の会専務理事
高橋大就さん

Deep Dive Camp in 宮城・福島、2日目。まず訪れたのは、浪江町の「道の駅なみえ」。平日でも駐車場が満車になるほど賑わっている。ポケモン原作者の父親が浪江町出身という縁から、ポケモンの遊具があしらわれた公園が設置されていたり、ももクロのメンバーが立ち上げたご当地アイドルグループの看板があったりする。

「町が攻めまくるんですよ。ももクロとかポケモンとか、何でも言ってみないと提携できないでしょって」

高橋大就さん

そう語る高橋大就さんは、震災直後から東北の食文化を活性化させる “東の食の会” を主導し、生産者のブランディング支援や商品開発などを行なってきた。2021年4月には浪江町に移住し、食文化に限らず、コミュニティ再生や長期的なまちづくりの構想もされている。そんな高橋大就さんにガイドをしていただきながら、請戸小学校や請戸漁港を回った。

請戸小学校

「浪江町は原発事故の後に全町避難となって、約6年間は町のどこにも住めませんでした。2017年から少しずつ解除されましたが、今もまだ8割は帰還困難区域です」

大平山霊園より請戸地区を眺める

隣接する双葉町や大熊町と違い、浪江町には原発がなかったため、電源立地交付金という補助金が入ってこなかった。そのため浪江町では、自分たちの商いで稼ごうという風潮が昔から強かったという。「原発のお金で裕福な隣町の人が飲みに来る場所として、噂では人口当たり飲食店数が日本で2番目に多い自治体だったとも言われています」。しかし、請戸地区は特に津波の被害が甚大で、跡形もなくなっている。「日本中おなじみ、セイタカアワダチソウとオギで覆われた風景です」

セイタカアワダチソウに覆われた風景

浪江町の請戸漁港などから上がる魚は “常磐もの” と呼ばれ、市場では高値で取引される。先日のALPS処理水の放出の際には、メディアで風評被害が心配されていたが、「逆なんですよ。需要は応援消費でむしろ増えていて、供給だけが制限されて減っている。いま、日本中で一番手に入らないのが福島の魚」

震災後、試験操業(現在は計画操業と呼ばれる)という形で、週3日ほどしか水揚げが行われていない。漁師にはその補填分の補助金が支払われるが、卸や魚屋などバリューチェーンの下流には補助金が支払われない。「もう供給緩和をしていくタイミングでしょうと、ちゃんと伝えないといけない。このまま供給絞ってたら、この先水産業界全体、成り立たなくなってしまう」。高橋大就さんは津田さんらとともに、国の風評対策の委員会にも参加し、現場の事実を伝えているという。

もともと外交官としてアメリカ駐在もしていた高橋大就さん。転職し、コンサルティング企業で働いていた際に震災に遭遇する。直後、休職してすぐに “東の食の会” を立ち上げ、ヒーロー生産者づくり・ヒット商品づくり・販路づくり・ファンづくりを行なってきた。その活動からフィッシャーマンジャパンが生まれ、1玉100万円で販売される桃の農家が生まれ、従来の4倍の値段でも売れるサヴァ缶が生まれた。「ずっと ”食べて応援” とか風評被害の払拭とか、マイナスをゼロにするアプローチばっかりやられていた。だから思いっきり、プラスの価値を作ることをやり始めました」

高橋大就さんが生み出したサヴァ缶「Ça va?」

漁の邪魔者であるヒトデを獣害除けとして活用した星降る農園、VR買い物、町の記憶を保存するアートプロジェクト... 幅広く手がけてきた高橋大就さんが今感じている課題は “民主主義”。「中央集権型の依存構造は絶対にもたない。地方から自律分散型社会を作っていくしかない」。面白いことがたくさん起こっている町には、自然と人は集まってくる。

自律分散型コミュニティ「驫(ノーマ)の谷」について

高橋大就さんはこれからの時代を「わくわく戦国時代」と呼ぶ。「武力を争うのではなく、どっちがワクワクで楽しいかを地域で競い合う」。全国的な人口減が避けられない中、全ての自治体が残り続けるのは難しい。ワクワクをどれだけ生み出せるかが、今後の地域の生き残り競争となる。「企業誘致だけで地方は再生しないと私は思っています。経済だけ無理やり作っても、そこに文化がなければ若者は来ない。何よりも大事なのは自由で、自由さえ作ってしまえば、若者が集って文化ができて、その後に経済はついてくる」

「道の駅なみえ」の前で全体写真。
ちなみに道の駅の名物の一つが浪江焼きそばパン。

【駅前から起業家が巣立つ。】ナミエシンカをコミュニティの拠点に

住友商事株式会社
西野修一朗さん

次に立ち寄ったナミエシンカは、浪江町の移住推進事業の一環として、住友商事が運営するコワーキングスペースである。

ナミエシンカ。住友商事の西野さんよりご説明いただく

ナミエシンカでは、地域や事業支援コミュニティの拠点として、スタートアップ誘致や起業支援、利用者同士のネットワーキングなどもサポートしている。誰でも無料で利用できる会議室が3部屋あり、人工芝が敷かれた野外空間ではワークショップも行える。付随するカフェは、起業意欲のある人がまるごと借りることができ、カフェ運営を通して会社経営のノウハウを学ぶことができる。「もう羽ばたけるという状況になれば、卒業・起業して巣立ってもらい、新たにまた起業したい方が入ってきます」と住友商事の西野さんは語る。

住箱カフェ浪江

浪江駅周辺では、福島国際研究教育機構(F-REI)の設置や、商業施設・住宅などを包括した「なみえルーフ」の整備計画が進められている。それらハード面の整備だけでなく、研究者や住民、起業家などのコミュニティをつなぐソフト面の整備も進められているのだ。

西野さんと私

【現代日本のフロンティアから。】100の事業を創出するヴィレッジ

株式会社小高ワーカーズベース代表取締役 和田智行さん
haccoba, Inc. ブランドディレクター 佐藤みずきさん

次に伺ったのは、南相馬市小高区にある「小高パイオニアヴィレッジ」。起業家支援やコミュニティのハブとなっている簡易宿所付コワーキングスペースだ。

小高パイオニアヴィレッジ

代表の和田さんは、もともと自ら東京で起業した2つの会社の役員を勤めていた。2005年に出身地である南相馬の小高地区へとUターンしたのち、震災を経験する。南相馬市の中でも一番南部に位置する小高地区は、市内では唯一全域が避難指示区域に指定され、全住民が避難生活を余儀なくされた。「東京のWebの会社でいくらお金を稼いだところで、自分の先行き不透明感の払拭には何一つ繋がらなかった」。仕事を続けるモチベーションが保てなくなり、会社の役員は辞任。その後、小高地区の避難指示解除を待たずして、小高ワーカーズベースを創業した。

和田さんよりお話を伺う

2016年7月に、小高地区の避難指示が解除された。「原子力災害によってもたらされた課題は、いまだ誰も経験したことがないこと。つまり解決した前例も事例もない。そういう課題が山積みになっている」。しかし和田さんは発想を逆転させた。「課題は、裏を返せば全部ビジネスの種になりうる。さらに言えば、ここにしかない課題ならば、ここからしか生み出せないビジネスを生み出せる可能性がある」。小高ワーカーズベースは、 ”地域の100の課題から100のビジネスを創出する” をミッションに掲げる。「ここに課題が100あるなら、それを解決するビジネスを100作っていこう。それが僕らのミッションです」

和田さんはまず、町にコワーキングスペースを作った。まだ誰も住んでいない町にコワーキングスペースを作ったのは、「当時はパソコンの電源を取るどころか、作業するテーブルもなかった。街灯も消えて家の光もなかったので、町に明かりをつけることから始めました」。来訪者のためのお店が必要になったので、地元のお母さんたちと食堂と仮設スーパーを始めた。そうしてやっていると、いつしかお客さんが来るようになり、利益が出るようになった。「小高ではもう商売できないと諦めていた地元の人たちも、あいつらができるんだったら俺もやってみようかなと、ポツポツと再開する人が出てくるようになりました」。若い人に魅力的な仕事をと、ハンドメイドのガラス工房を始めると、子育て中の女性が小高に帰ってきた。休日には、若者がアクセサリーを求めにやってくるようになった。「市外の高校生が、卒業したらここで働きたいと言ってくるようになった。台湾から移住してきた人もいる。こんなちっぽけな工房一つ作っただけで、町に大きな変化が生まれました」

自分たちだけで100のビジネスを作るのは難しい。和田さんは、地域おこし協力隊の制度を活用して、起業家志望の人たちの創業支援を始めた。これまで17人が移住して、8人が起業した。クラフトサケの醸造や、馬と行うコーチングセッション、 訪問型アロマセラピー、靴職人、ドローンアートなど、多種多様な事業が生まれている。

クラフトサケを醸造するhaccoba

「2020年に、小高に酒蔵を作るために移住してきました。伝統的な日本酒の製法ながら、米・米麹以外の副原料を入れることで多様な味わいを生み出すクラフトサケ※を造っています」
※クラフトサケブリュワリー協会が定義する「クラフトサケ」

haccoba の佐藤さん

そう語るのは、haccoba -Craft Sake Brewery-(以下、haccoba)の佐藤さん。クラフトサケを醸造するhaccobaも、小高ワーカーズベースが支援した事業の一つである。定番商品の “はなうたホップス” には、ビールで使われるホップが副原料として入っている。「クラフトサケは、正確には ”日本酒” ではなく、“その他の醸造酒” という区分のお酒になります」。そのため、新規では取得が難しい ”清酒の酒類製造免許” がなくても、比較的取得が容易な ”その他の醸造酒製造免許” があれば、醸造が可能となる。ホップ以外にも、ハーブやフルーツ、またワインの絞り粕やカカオハスクなどを副原料として利用し、クラフトサケ造りを行なっている。

「この ”水を編む” では、副原料を極力抑えているので、地元の農家さんのお米本来の特徴や味わいを楽しめます。ラベルの表面を剥くと田んぼの詩が現れます」

素敵なラベルの “水を編む”

味わってみたかったが、”水を編む” を含めた全ての商品が売り切れ。haccobaのお酒は非常に人気があり、発売された直後に売り切れてしまうものもある。「今期のお酒は11月上旬ぐらいから始まって、そこからコンスタントに新しい商品が出ていくかなと思います」

haccobaでは、コラボ商品も続々と生み出している。クラフトコーラメーカーの伊良コーラや、Soup Stock Tokyoなどを手がける株式会社スマイルズ、またアーティストや写真家など、「食やお酒に限らず、様々なジャンルの方とお酒を造っています」。10月からは新しく隣の浪江町の醸造所も稼働し始めた。「浪江町は同じ浜通りで、小高と同様に避難区域になった町。市町村を超えて、自由に酒文化でつなげられたらいいなと思って」。まちも業界も超えて、新たな共創が生み出されている。

haccobaのラインナップ。異業種コラボ商品が多く並ぶ

小高ワーカーズベースの和田さんはこう語る。

「なんで彼らがわざわざ移住したいと思うのか。それは、我々が掲げる ”予測不能な未来を楽しもう” という考え方に共感しているからだと思います。未曾有の水害が起こり、エネルギー危機が到来し、生成AIが出現した。今の時点で予測している未来が、明日明後日にはもう変わってしまっているかもしれない。 でも、予測できないということは、まだまだ想像し得ないほどの可能性が眠っているということです」

【いちごはグローバルで勝負できる。】アグリテックでまちを復興する

株式会社GRA代表取締役CEO
岩佐大輝さん

最後に伺ったのは、山元町にある農業生産法人GRA。ミガキイチゴやICHIBIKOなど、いちごやいちご専門店のブランドを手がける、最先端のイチゴ農家だ。見学に訪れた農園には、大きく立派なハウスがずらっと並ぶ。

GRAのビニールハウスが並ぶ

「今でこそハウスがいっぱいあるんですが、震災後はいちご農家さんが全部ダメになりました」

そう語る岩佐さんは、震災を機に東京から山元町に戻ってきた。もともとやっていた会社を共同創業者に譲り、十何億という巨額の借入をした。「山元町は宮城の一番南に位置していて、いちごの大産地だったんです。129 軒あったいちご農家は、津波で125軒が流されました」

岩佐さんよりお話を伺う

震災後、まずは東京から仲間を連れて、いろいろないちご農家の手伝いをするボランティア活動を主導した。しかし今後のまちづくりを考えた際には、既存の農家の手伝いをするだけでは足りない。「私の得意分野は、ゼロからイチを作るところ。だから、ボランティアをやりながら起業することにしました」

その裏には、緻密な計算と勝算もある。「いちごのマーケットは割と大きくて、約1700億円ぐらい。メロンやりんごなどは、1988年以降家庭における支出金額が下がってきているんですが、イチゴはずっと堅調で下がっていない」。贈答用マーケットに依存していたメロンは、贈答習慣の衰退や家族構成の変化によって苦戦を強いられている。「いちごは、日本人が一番好きな果物でもある。さらにグローバル市場で戦える商材として、いちごを選びました」

1年目は、自分で鉄パイプを買ってきてハウスを立ち上げた。初年度から質の良いいちごが収穫できた。「いちご栽培のレジェンドがいて、彼の経験が凄まじくて。僕らがいちご作りを教えてくれっていうと、ばかやろー、いちごに話しかけろって(笑)本当に素晴らしい人で大好きなんですけど、それだけだと若い人がなかなか来ないだろうと」

そこで全くやり方を変えた。徹底的にデータを収集し、細部まで分析した。その結果、栽培を始めてわずか数年で、面積あたり収量が2倍、キロあたり販売単価が2倍、つまり売上効率が4倍になった。「今で言うアグリテック、当時は先端営農とか言われてたんですけど、それに10年以上前から取り組んでます」。ミガキイチゴというブランドも立ち上げ、1粒1000円という付加価値をつけることにも成功した。ICHIBIKOというカフェを展開して、次々に新店をオープンし続けている。

新たないちご農家を生むため、新規就農支援事業も行っている。研修項目は体系的に整理されており、すごく細かい。「プログラムを経て、21のいちご法人が生まれ、うち12の法人はパートナーとしてミガキイチゴを作っています。プログラムの卒業生は、軒並み県の平均収量以上の収穫ができている」。ハウスの中を案内してくれたR&D部門の責任者・勝部さんはそう語る。「自社の生産面積よりも、卒業してパートナーとしてミガキイチゴを作っている法人の生産面積の方がもう大きいんです。ブランド投資や営業活動に投じてもペイができる。それは大きなポイントかなと思っています」

ハウス内を案内してくれた勝部さん

いちごをきっかけに、町全体も活気を取り戻し始めている。「交流人口が震災前の7倍に増えました。町民所得(非労働力人口も含めた町民1人当たり収入)は1.4倍ぐらいになっています。イチゴ狩りに来る人も増えていて、今まで働き口がなかった主婦の方とかも働けるようになってきたんです」。将来的な海外展開も見据えて、インドやマレーシアでも実証試験を行う。「グローバルレベルで勝負できる産業や、面白いものがあったら、どんな地域の産業でも、もう一度栄えると思っています」

【宮城・福島から始まる新たな息吹】

2日間の様子をお届け致しましたがいかがだったでしょうか。
まさにこの地から新しい挑戦が次々と生まれてくる息吹を感じながら過ごすことができました。
社会のリアルに深く潜り、そのリアルに触れることで新しい挑戦を生み出す、そんな機会に繋げることが出来ました。

CarpeDiem株式会社では、こうした社会のリアルに触れながら、新たなソーシャルインパクトを生み出すイノベーションを支援していきます!

最後までお読みいただきありがとうございました!

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公式HP:https://www.carpe-diem.dev/

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