パッシブスキル・町田康耐性:小

何も書くことがない、といっても今に至るまでにいろいろと考えたりイライラしたりといった出来事はあったはずなんだけどそれを文字として出力しようとすることができないし、言葉にするほどでもないようなことしかなかったせいな気もする。

町田康の「告白」を読んでいる。まちだこうを漢字変換する際、町田康の「こう」の部分を探すのに一苦労した。家康など適当に入れて家の部分を消せば康を出すのは容易だが、今後町田康と入力したときに一発で町田康と出てくるように予測変換を学習させるため、この世に千言万語として存在する「こう」と読ませる単漢字の中から一文字ずつ下って上がってを繰り返して康を探しだすという苦行の甲斐あって無事まちだこうと入力すると一発で町田康が出てくる。くほほ。

3年前くらいにチー牛特盛を買いに行こうとして、マンションの一回と二階をつなぐ踊り場から駐車場の地面に飛び降りて左かかとを骨折してしまい2か月ほど身動きが取れなくなった際、バイト先の先輩から借りた「屈辱ポンチ」が初町田康の小説だった。当時は読書との接点が現実世界におけるオタクとギャルくらいなかったので、そもそも文章を読むのがしんどくて脳みそが悲鳴を上げていたし「なんかきしょい」という感想しかなかった。その1年後くらいにkindleでなぜか「パンク侍、斬られて候」を購入し読むも全体の6%あたりで飽き、捨てゲーしてしまう。
それからややあって今、町田康の「告白」を読んでいる。滅茶苦茶良い。なんでこんなに面白いんだ。特に自分の身に何か変化があったわけでもないのにあの独特の砕けた文体がスラスラ入ってくる。熊太郎の思索に共感がとまらない、彼の生涯に目が離せない。もうすぐ読み終わってしまう。

ダラダラ読んでいくなかで、前に読んだ太田ステファニー歓人の「みどりいせき」に文章のノリというか雰囲気というか、似たようなバイブスを感じて調べてみると、ステファニーが好きな作家として町田康を挙げており、めちゃくちゃ影響受けとるやんとなった。町田康の血を受け継いだステファニー歓人の作品を先に読破してしまっていたのだ、気づかないうちに。

ひょっとすると、平成生まれの自分にとって町田康をやや薄めたステファニー歓人を経ることで町田康の原液を直でいけるようになったのかもしれない。厳密にはステファニー歓人にはステファニー歓人のセンスや良さがあって、別物なんだけど要因としてあるかもしれない。

ステファニー歓人の「歓」の部分、すてふぁにーかんとで変換しても一発で出ないから一度「歓声」と打ってから「声」を消して出力している。「歓人」はさすがにこうするしかない。

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