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母親が自己肯定感を上げる方法を真面目に考えてみた

 きっかけはマシュマロだった。マシュマロは匿名で相手に質問できるサイト。私が質問を募ると他の人が匿名で私に質問し、私が答える。
 冬休み暇だったので、質問を募ってみた。するとなぜか自己肯定感についての質問が多かった。

・どういう風に自己肯定感が高くなったのか
・ネガティブになることはあるのか
・子どもを自己肯定感高く育てるにはどうしたらいいか

 気になったのは、どの質問者も自己肯定感が低い、あるいは何らかの壁にぶつかっているように見受けられたことだ。大きな壁ではなくとも、何となく「もっとうまく生きたいけど、うまく立ち回れていない」みたいなニュアンスを感じた。

 マシュマロの一件がずっと頭の片隅にあった。そこに追い打ちをかける一件が起こった。

 ある親向け講座を受けた。名目上は自己肯定感とか全然関係ない、育児に役立つ講座という触れ込みだった。そこで講師から驚くべき発言があった。

「私たちの接する母親の80~90%は自己肯定感が低いです」

 えーっ?! 皆そんな自己肯定感低いの? この団体に来る人にバイアスかかっているだけでは?

 Xでアンケートを取ってみたら、さらに驚いた。

 低めの人が46%、高い時と低い時がある人が26%、合わせると72%。やはり自己肯定感の低い人は、私の思っていたより多いようだ。


 どの育児書を見ても「自己肯定感を高めるのが大事です。そのために子どもに向き合ってあげたり、語りかけを工夫したりしましょう」と書いてある。でも親側の自己肯定感が低いとしたら、結構難題なのでは?

 私は自己肯定感が高いと自覚しているが、それはつらい経験を乗り越えたことがあるからだ、と思っていた。受験の不合格や病気で徹底的に自分を否定されて、そこからなんとか這い上がったから、今自己肯定感高くいられるのだと思っていた。
 自己肯定感が低い人はしんどい経験をしてないのだろう、挑戦してないから苦労を乗り越える経験がないのだろう、と思っていた。

 しかし、いろいろ本を読んだり、自己肯定感が低い人の話を聞いているうちに、私が誤解していた部分が見えてきた。

⚫︎自己肯定感と自信の違い

 自己肯定は、あるがままの自分でいい、今の自分を尊重するということ。
 自信は、経験に基づいて自分の力を信じられること。

 私は苦労を乗り越えた経験があると前述したが、苦労乗り越えエピソードから生まれるのは自己肯定感ではなく、自信の方だ。あの苦労を乗り越えたから、これくらいのことなら大丈夫、まだチャレンジできる、と考えられる。
 たいがいの仕事でも大学院生生活よりはマシと思えるし、0歳の育児に比べたら余裕。医療関係の情報を見極める力は仕事で経験を積んでいるので一定程度の自信はある(まだまだ伸びしろはあるが)。もちろん自分の苦手なことや経験のないことには自信がない。例えば運動、数字、英語など。自信があるのは、経験があるところ。

 一方で、私には自己肯定感もある。自信と自己肯定感は何が違うのか。

 自己肯定感が低いという人にその理由を聞いてみた。共通するのは親の問題だった。

・親に否定的なことを言われていた
・何事も親が決めて自分で決められなかった
・親にきょうだいや周りの子と比較された

 育児書に書いてある自己肯定感の高い子を育てる方法のきれいな真逆だった。

 自分の親を振り返ってみると、理想の親だとは思わないが、そこまで否定されたり、選ばせてもらえなかったり、比較されたことはない(弟は壊滅的に勉強ができなかったのでおそらく私と比較されたはず)。思春期の頃に自分の好きな物を選ばせてもらえなくて怒ったエピソードは覚えているのだけど、今から思うと書くのははばかられるほどショボい話である。

 一旦まとめると、自己肯定感は親の接し方で育まれるもの、自信は自分の経験で身につけるものなのかもしれない。

⚫︎自己肯定と自己評価

 もう一つややこしいのが、自己肯定と自己評価だ。
 自己肯定は、あるがままの自分でいい、今の自分を尊重するということ。
 自己評価は、過大でも過小でもなく、適切に自分の能力を評価すること。
自己肯定は主観的な存在そのものの肯定、自己評価は客観的な自分の特徴の把握、という感じだろうか。

 数名の話を聞いて、自己肯定感が低いことと自己評価が低いことの区別がついていないと感じることがあった。
 日本人は自己評価が低いことで有名なので、皆もう少し高く見積もって丁度良いと思う。先述の自信の話と通じるが、何かにチャレンジしようとすると今の自分の位置と理想の位置を適切に見定めて、ギャップを埋めるために努力する必要がある。その時に必要以上に自己評価が低いとギャップが大きいと思い込んでチャレンジを諦めてしまったりする。
 また、自己評価が低いことと謙遜は違う。自分の自己評価より低く見せているのはただの虚言で、謙遜は自己評価をあからさまに外に出さず他人を引き立てることだ。

 ここまでの話で自己肯定感、自信、自己評価の違いをまとめると、以下のようになると思う。

・自己肯定感:主観的な自分の存在の肯定
・自信:経験に基づく自分への信頼
・自己評価:客観的な自分の特徴の把握

 そして自己肯定感の土台の上で自信をつけることができるという関係性がある。自己評価は、自己肯定感も自信もその他も含めて自分自身を客観的に捉える、という行為だ。低くもなく高くもなく、適切に捉えることが大切。

この3つはよくこんがらがってしまう

 自己肯定感は親の接し方で育まれるので、まさに0歳から子ども時代の間がカギになる。一方で、様々な経験をして自信をつけたり自己評価する目を養うのはある程度大きくならないとできない。そして一生アップデートし続けるもののような気もする。

あえて具体的な年齢は入れなかった

⚫︎母親が自己肯定感を上げるには

 母親業は難しい。めちゃくちゃ難しい。想像の10倍は難しい。
 全てが初めてのことで、自分ができてるのかできてないのか評価する基準がない。しかも子どもはギャーギャーと泣く。自分が間違っている、うまくできていないという気分になる。自信もなくなり、自己評価は下がり、自己肯定感もなくなってくる。自己肯定感の高い私でもだいぶ削られたので、元々自己肯定感が低い人にとってはかなりしんどい状況になってしまうのではと思う。でも、子どもを自己肯定感高く育てたい気持ちはある。どうしたらいいのか。

子どもと一緒にもう一度育ちなおす、というのはどうだろうか。
 育児書には子どもの自己肯定感を高める接し方として

・できたことを認める(結果はとやかく言わない)
・気持ちを受け止める
・比較しない
・選択させる

 などが挙がっている。子どもにこのように接するのなら、自分に対しても同じように接してみてはどうか。

 誰もが生まれたばかりの頃は、自己肯定感高く育つ種を持っていたはずなのだ。種が芽吹くには土と水と光が必要で、今自己肯定感が低い人は土や水や光にあたるものが足りなくて、芽吹いていなかっただけなのだと思う。今からでも遅くない。しかも生まれたてほやほやの赤ちゃんや子どもがいるなら、その隣で一緒に種を芽吹かせられるのでは……。


 おまけ。「私は自己肯定感が高い 私は自己肯定感が高い」と唱えるのもおすすめしたい。言霊はあると思うし、希望は言語化しないと実現しないので、とりあえず唱えてみてもいいかもしれない。




 ここ2ヶ月くらい、自己肯定感についての疑問が自分の中でぐるぐるしていて、一旦整理してみた。

 どなたかの何らかの気づきにつながればと思うけど、抽象的すぎて伝わるかどうか……。気づきがあったよという方は♡押して行ってくださると喜びます! 最後までお読みいただきありがとうございました。

≪終わり≫



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