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言葉は人を殺す。なら私は人を生かす言葉を書きたい

 宝塚ファンでしたが、宝塚ファンと言えなくなってしまいました。

 ハイクオリティな舞台が、常に途切れることなく年中興行される。一糸乱れぬダンス、美しい歌声、心揺さぶる芝居。一公演2時間半、週の公演は10回、毎月新しい公演。365日、どこかで宝塚歌劇が上演されている。しかしチケットは安価。ビジネスとして何かがおかしい、と感じていた。

 調査報告書を全文読んだ。


 あぁ、わかる。タスクが積み重なって、捌けなくなって、雪だるま式に仕事が増えて、全部できてないように思って、泣くしかなくなる。
 でも私が似たような状況になったときには、組織に守られていた。関西弁で詰める上司はいなかった。通報窓口があった。コンプライアンスやハラスメントの研修を全社員が受けていた。

 それなりの規模の企業に勤める人間が、この報告書を読むとドン引きする。

・劇団員との雇用契約がない(研6以上は業務委託契約)
・劇団員の勤務時間が管理されていない(業務委託契約=個人事業主で劇団に管理義務がない)
・階層別研修がない(マネジメント方法の共通認識がない)
・通報窓口が実質的にない(存在を知らない劇団員が多かった)
・演出助手やマネジメントの仕事を生徒がしている(演出に無理がないかのチェック、スケジュール管理、振り写しをやるかどうかの判断etc)
・監査がない

 宝塚歌劇団は、事件後の企業行動も異常だった。人が亡くなっているのに、なぜすぐ宙組公演を止める判断ができなかったのか。できるわけがない。

 宝塚歌劇団は、独立した一つの企業ではない。阪急という超巨大企業の一部だ。企業統治の考え方がわかっているはずなのに、きっと劇団を聖域のようにして業務改善せず109年続けてきたのだと思う。

 小林一三先生は、絶対にこんなこと望んでいなかった。清く正しく美しく、そして朗らかに。
 宝塚歌劇団が唯一無二の素晴らしい芸術を作り出してきたことは事実。感動の涙も、万雷の拍手も、全て本物だった。ジェンヌさん一人ひとりは、本当に素晴らしい舞台人だと思う。
 

 それでも私は宝塚歌劇団のことを信用できなくなってしまった。ジャニーズといえば「性犯罪を許容する組織」になってしまったのと同様、宝塚歌劇団といえば「ハラスメントを許容する組織」と捉えられるようになってしまったと思う。
 贔屓の組は観に行くと思うけど、平穏な気持ちで見ることはできない。心で泣いて顔だけ朗らかに繕っているのだとしたら、観る方がつらい。

 

 今回の宙組の件は、私は組織が人を殺したと思う。電通の新入社員が過労死した事件と同じ構図に感じる。宝塚歌劇団は組織マネジメントをきちんと行わなかったせいで、自らの首を絞めた。
 ただ、某週刊誌の報道が拍車をかけたのは間違いない。調査報告書でも某週刊誌の記事が事実ではないと指摘しており、一部を切り取って虚飾し報道していた。某週刊誌にとっては訴訟など痛くも痒くもない、雑誌が売れればokというビジネスモデルの指摘もされている。


 言葉で人を殺してまで稼いで、何が嬉しいのか。そのお金で飲むお酒、美味しいですか。



 言葉には人を殺す力も、生かす力もある。某週刊誌は無論、宙組の中でもきっと強い言葉が使われていて、積もり積もって人を殺すことにつながったと思う。人を殺す言葉は誰でも気軽に使えてしまう。

 私は人を生かす言葉を書きたい。読者が何か気付いたり、ふと息抜きができたり、明日も頑張ろうと思える文章を書いていきたい。
 まだまだ拙い文章ですが、1人でも多くの方に届けばという思いで記事を書き、無料公開し続けます。

 次回からは育児に関わる話に戻ります。引き続きどうぞよろしくお願いします。

≪終わり≫

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