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カルト・宗教二世の子供たち

米本和広「カルトの子 論創ノンフィクション」(復刻版)
を読んだ。

オウム真理教
エホバの証人
統一教会
ヤマギシ会
の4つの組織(カルト)に入れられた二世たちの話である。

これらのカルトはそれぞれ一時期マスコミで騒がれてきたが、
メディアの表に現れなくなった後、
二世たちはどのような生活を送ってきたのか。
それを追うノンフィクションである。

人生はそれでも続く。

私はTwitterでもよく呟いている通り、ノンフィクション本が好きであるが、
「これだけは苦手だ」というジャンルがある。
それが、子供が不幸になる話だ。
今まで、赤ちゃん取り換え事件、虐待事件、子供を巻き込んだ一家殺害事件(消された一家など)などを読んできたが(なんでそんなの読んでしまったんだ……)、
今回の宗教二世の話もまたキツかった。

本書ではオウム真理教や統一教会も十分にキツいのだが、
エホバの証人とヤマギシ会が特にキツかった。

エホバの証人は、私の叔父・叔母が入信している関係で、
一時期関連書を読み漁っていた時期があったが、どれもこれもキツかった(特に「説得 エホバの証人と輸血拒否事件」はキツかった。また「良心の危機」を読むと、その上層部がいかにいい加減かが分かった。コミックエッセイ「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」とかも十分にヤバかった)。
エホバの証人がしていることは、どう考えても「虐待」にあたる、子供に対しての鞭打ちが特にキツい。
教会で子供がむずがると鞭打ちする。
家で言う事を聞かないと鞭打ちする。
これがまた「正しい事をしている」と思いながらしているのだからたちが悪い。
もし父親がそんな事をしていたら、母親はすぐに子供をつれて家を出ていくだろう。
だがエホバに入信して鞭で子供を叩くのは、主に母親なのだ(他の本を読んでもまず信者になるのは母親・女性が多い)。
母親から鞭打ちされる(それも半端な数ではない)
父に行って逃げる事もできない(本書や他の書籍に出てくる父親はどうもこの問題に真剣に取り組もうとしていない。ほったらかしだ)。
甘えていきたいはずの母から鞭で打たれるというのは、どれほどショックで苦痛だろうか。
子供に対する鞭打ちを肯定(推奨)している、
その一点を取っただけでも、私はエホバの証人を信じない。
もちろん伝道(家の門をたたくアレ)や、まともな職につけない(つかない)で宗教活動(伝道や勉強会ばかりしている)や、他の宗教的行事、学校の行事をすべて否定している事全てにおいて、エホバの証人を信じられない要素しかない。
エホバの証人に特徴的なのは、
いつかハルマゲドンが起き、地上に楽園が生まれるが、エホバの証人の信者だけがそこで暮らし、それ以外の人間(サタンの手先)は地獄に落ちるという、私からしたら「自分だけが助かる」という究極のエゴイズムであると思う(もっとも信者たちは、だからこそ「他にも人々を救いたいと思い伝道をしている」と言うのだが)。
傍から見ると思いっきり引く。
知れば知る程一切近づきたくないという嫌悪感が生まれる。

統一教会については韓国発祥だが、本書を読む限り韓国にいいように使われてるな、という印象である。
「日本人の女が韓国の男と強制的に結婚させられる合同結婚式」の後の悲惨なエピソードを読むとそう思える。

ヤマギシ会については、以前「カルト村で生まれました。」というエッセイマンガを読んで気になっていた(ちなみにあの本はその組織を「ヤマギシ会」と具体的に書いていなかった。どんな理由があったのか)。
私が小学校の頃住んでいた団地に、たまにヤマギシのトラックがやってきて、牛乳や卵を売りに来ていた。もう何十年も前の話だ。
母は「ヤマギシの牛乳は美味しいのよー」と言って買っていた(買いに行かされていた)ので、当時の私も「へー、ヤマギシっておいしい自然食品を作っていていい会社(当時は会社と思っていた)なんだなー」と思っていた(本書に「ヤマギシの製品は特に自然食品という訳ではなかった」という記述があり、数十年を経て衝撃を受けた)。
いやいやとんでもない。
宗教とは違う(「お金のいらない生活」というのは究極のミニ共産主義的社会のように思える)が、これもどう考えても子供たちが虐待されている。

これにオウム真理教(これも十分にヤバい)を加えた4つのエピソードを読んで腹が立つのは、親(とくに母親)に対してだ。
自分が宗教を信じるのはまだいい。
だが子供を不幸にしているのに気づかない(どころか肯定している)親とそれが信じている宗教を、私は決して認めたくない。

エピローグで、著者はこれらのカルトが子供たちにしていることをはっきり「虐待」と言っている。
そうなのだ。これは要は虐待の本なのだ。
それを意識した瞬間、ようやく腑に落ちた気がする。
どうりで読んでてキツかったはずだ。

もし私がこういった本を書こうとしていたら、
間違いなく取材の途中で断念していただろう。
時としてノンフィクションライターというのは、精神が強いのか何なのか、「本当にこんなのよく書けるなー」と思う時がある(私の覚えている範囲で言うと、石井光太や豊田正義などもそうだ)。

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