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「勇気を引き出す人になる。」―ラジオ局から小学校教員へカズさんの軌跡―


カズさん

現役小学校教員のカズさん。音響関係の仕事から教員へ転職。自身の知識や経験をアウトプットするために、noteを開設し発信中。


31歳で教員免許を取り、教員になる事を決意。

現在小学校教員として、特別支援クラスを受け持つカズさん。
学生時代の成績はオール1か2。
『させられている勉強』に全く身が入らず、教員になんてなれるはずがないと思っていたそうです。

「学生時代はラジオやアニメが好きで、声優に憧れていた事から、音響関係の専門学校に入りました。そこからラジオ局へ就職が決まり、10年ほど働きました。」

本当は番組づくりなどがしたいと思っていたカズさんでしたが、主な仕事は機材のメンテナンスや入力など事務作業ばかりだったと言います。

「仕事をどうしようかなあと悩んでいた時、会社が倒産してしまったんですよ。どうしようね、なんて後輩と話していたら彼に『これって僕たち、これから何でもできますよね。』って言われて。確かにな、と。」

その後他のラジオ局にも誘われたそうですが、せっかくなら他の道も探してみようと、仕事探しを始めたそうです。

ちょうどその頃、ご縁から小学校の情報教育支援員の仕事に出会ったとの事。
子どもたちに情報機器の操作方法を教える中で、『自分の知識や技術を伝えるおもしろさ』を感じたと言います。

『人に教えるために、自分が勉強する』って、すごく楽しい。自分の身にもなるし、相手のためにもなるし、なんかこれいいな。と思いました。」

支援員として働く中、周りの先生達に教員への道を勧められたカズさん。

昔は嫌いだった勉強が、今は楽しいと感じる。

自分の変化に驚きながらも人に教える仕事に魅力を感じ、31歳で教員免許を取得する決意をしたそうです。


不登校の子どもとの関わりで見えてきた対話の重要性

教員免許を取得し、小学校教員としての人生がスタート。
担任として受け持ったクラスの、ある児童との出会いが心に残っていると言います。

「僕の担当するクラスに、去年から不登校になってしまった児童がいました。前の担任の先生と合わなかったそうで。早く勉強をさせなければならないとか、いろいろ周りに言われてはいたんですが……。僕はその子にあった方法で向き合いたいと思っていたので、まず登校の練習から始めてみました。」

登校できた日にスタンプを押せるカードを作ってみたり、今日の気分を聞いてコミュニケーションを取ったり。
その子の『今』に一番合う方法を見極めていったそうです。

「それを始めてから一ヶ月くらいした時ですね。全く来れなかったその子が『朝の会に出たい』と言うようになりました。」

その変化をとても嬉しく感じたカズさん。
周りの児童が「なんであの子は朝だけしか来ないのか。」と言った時も、あの子はあの子の頑張り方で頑張っているんだと伝え続けたとの事。

「本人が今どれだけ何をやれるのか、丁寧に確認していきました。それから、課題をやるようになり、週1で授業に出られるようになり…。保護者の方にも、その子の考えや頑張りを認めている旨を伝えました。学校に来られるようになった頃、本人から、『先生と話すのがすごく楽しかった』と言ってもらえたのは、嬉しかったですね。」

不登校の彼とその保護者に向き合う中、学校の対応に違和感を感じる事も多くあったと言います。

「僕が働いていて思ったのは、『こうせねばならない』と考える人が多いのだなというところですね。例えば、不登校になった子がいた時。フリースクールや適応指導教室など他の選択肢もある中、その子の気持ちも考えずに『学校に来る方法』を話し合っているとか。そこに、子どもがどうしたいかは入っていなくて、保護者がどうしたいかが中心になっているケースも少なくないと感じています。」

本来応えるべきなのは親のニーズではなく、子のニーズ。

子どもがどうしていきたいと思っているのか。
その当事者の子どもと対話をしていない学校の状況を変えていくべきだと思ったそうです。


休職を経て気づいた「自分を受け入れる勇気」の大切さ

一人ひとりの子に必死に向き合い続けていたカズさん。
ひたむきに仕事に打ち込む一方で、その想いが直接反映されない現実もあったと言います。

「その頃、学級のある子達が毎日喧嘩をしていました。喧嘩を見ている周り子達の気持ちも不安定になり、私が一人ひとりにかける時間も増えていきました。」

気持ちは子ども達に向いていながらも
その業務の多さ、多忙さからどんどん精神的に疲れていってしまったと話します。

「夜遅く、職員室で子どもの学習用にプリントを作っていた時でした。気づくと周りには誰もいなくて。…涙が出ていました。あれ…僕は何でこんな事してんだろうって…。」

動悸が止まらない。
車に戻っても涙が出続けていたと言います。

病院を受診したところ適応障害との事。そこから二カ月のお休みをもらう事になったそうです。

休職期間、何かしなければと焦っていたカズさん。
それを受け止めてくれたのは家族だったと語ります。

「自分の事に必死で、親に当たった事もありました。でも、それも全て受け入れてくれて……。ある時、母に『あなたのやりたい事は、学校じゃなきゃだめなの?』と聞かれてハっとしました。」

自分はこれからも、教育に携わりたい。でも、学校じゃなくても子どもに関わる方法はある。

これからも教育に携わる決意をしたカズさん。
休職中に、かつて学んでいた『アドラー心理学』をもう一度勉強し直し始めます。

そこから得たある考えが、カズさんを奮い立たせ、支えてくれたと話します。

「何をするにも『勇気』が必要になってくる。学ぶ中で、チャレンジするにも、失敗するにも、その失敗を認める時も、相手に謝る時にも、全てに自分を受け入れる勇気が必要だと気づきました。そして、実はその勇気は誰の心の中にも存在しているという事も。」

本来、人は誰しも勇気をもっている。「勇気くじき」をしてしまっている大人や環境があるせいで、その勇気が見えなくなっているだけなのだと続けます。

「だから僕は、その勇気を引き出す人になりたい。この経験をしたからこそ、次は僕がその人にあるもの、その良さを見つけて、ダメ出しではなく『良い出し』をしていきたいんですよ。休職して自己と向き合う中で、いろんな人に出会いました。その人達からも沢山背中を押してもらって、このアドラー心理学を教育現場に広げていきたいという気持ちが湧いてきたんです。」

挫折を乗り越えた今、次にチャレンジしたいのは子どもたちと本気で対話をする場をつくる事。

「大人が真剣に考えて、チャレンジしている姿を見せたいです。大人になっても沢山考えるし、人生は考え続けるもの。子どもの頃から考える大切さを伝えていきたいですね。」

自らをよりアップデートするためにも、今はコーチングを勉強したり、自らの言葉で「勇気づけ」の大切さを発信したりしていると言います。

現在は学校へ戻り、子どもたちの良さを引き出す毎日を送っていると話してくれました。

編集後記
カズさんのチャレンジ精神に心打たれました。どん底を見た人だからこそ、内から輝く強い光を感じます。カズさんに『勇気』を引き出された子どもたちの未来がキラキラとしたものになっていく景色が見えてきます。
カズさんのこれからの益々のご活躍を応援しています!
貴重なお時間ありがとうございました。
(インタビュー・編集・イラスト by Umi)


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