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言われりゃたしかに『ゴロツキはいつも食卓を襲う』

失恋のやけ食いならドーナツだし、食パンくわえて走ったら転校生とぶつかるし、食いしん坊の寝言は「う〜ん、いつも食べられない」。カーチェイスではね飛ばされるのはいつも果物屋で、逃走劇は厨房を駆け抜ける。

古今東西の映画、小説、物語のなかから、食べものにまつわる「あるある」シーンや設定を列挙し解説したのがこの本。福田里香著『ゴロツキはいつも食卓を襲う』(太田出版)。
これもひとつの類語辞典だと思うんだ。類”画”というべきか。


目次には、絶対見たことのあるシーンや設定がずらり並んでいる。

03 鼻持ちならない金持ちの子供は、食い意地がはっていて太っている。
10 絶世の美女は、何も食べない
11 酔っぱらい親父は、十字に紐掛けした折り詰めをさげて、「うぃ〜」とふらふら歩く
13 少女まんがの世界では、「温かいココアには、傷ついた心を癒やす特別な効力がある」と信じられている
14 動物に餌を与えるひとは善人だ。自分が食べるより先に与えるひとは、もはや聖人並みである
21 フランス料理店では、いつも気取ったことが執り行われる
  たとえば、まともにオーダーできないとウエイターに鼻で笑われる
22 イタリア料理店では、いつも間抜けなことが起きる
  スパゲティの大皿をかかえたウエイターが来たら逃げろ
28 動揺は、お茶の入ったカップ&ソーサーをカタカタ震わせることで表現される
29 焚き火を囲んで、酒を回し飲みしたら、それは仲間だ
30 煙草を手放さないひとは、心に秘密を抱える傍観者だ
31 侮辱は、相手の顔めがけて咀嚼物を吐くことで表現される
35 「これ、あちらのお客様から」〜バーのカウンターで見かけるアプローチはいつもこれ
38 幸せを物語る場面では、誕生日ケーキのろうそくが吹き消される
45 逃走劇は厨房を駆け抜ける

あるあるでしょう。私の頭のなかでは、波平さんからナウシカやシンデレラ、チャーリーとチョコレート工場のあの太っちょの男の子、いろんな具体例が浮かんだり、カラオケのイメージビデオみたいに役者の顔は浮かばないけどたしかにあるよねとぼんやりなイメージが流れたりしてるんですが。

この列挙、ちょっと感動しませんか。
私たちは、これらのシーンをたいして意識もせず、「お約束」として読み取っているんですよね。いろんな作品に触れるなかで、物語文法みたいなものをそれぞれが自然と習得したんだということがよくわかるから。

◆ ◆ ◆

これをまとめたのは、お菓子研究家の福田里香さん。目次見ていただいておわかりのように、食べものが、物語作品のなかでどんなふうに使われているかを考察している本。
福田さんが「ステレオタイプフード」と呼ぶ50のシーンひとつずつを取り上げ、古い西部映画や時代劇から、今の日本のアニメやCMまでさまざまな作品を引用しながら、そのシーンの初出はいつか、どのように変遷していったか、どうしてその意味を持つのか、などを詳しく解説している。


このラインナップ見たらわかるけど、どれもベタだ。もはやベタを通り越して、ネタになっているものも多い。じゃあどうして、手垢がつきまくった演出が今も使われるのかと福田さんは考える。そこに、ふだんは意識されない、食べものの象徴的な意味がひそんでいると白羽の矢を立てたようだ。

◆ ◆ ◆

たとえば、食パン少女の分析を見てみる。食パン少女って、アレですよアレ
「四角い食パンをくわえて走る少女が、道で男子とぶつかり、再会して恋に落ちる」というやつ。口裂け女やトイレの花子さん並みに都市伝説と化した食パン少女が、どうして多様な画像作品に点在しているのか? 言われてみればたしかにそうだ。

福田さんの「フード分析」では、食べものを象徴的に読み解いていく。これが多少大袈裟なのがスリリングだ。曰くこうだ。

食パンは食欲の象徴。つまり、色気より食い気。くわえた食パンは、「わたしは恋を知りません」と口から下げた名札だという。けれど、ある男とぶつかって、その食パンを落とす。つまり、彼女は恋に落ちたのだ、と。

島崎藤村の「初恋」「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」をひいたり、フランソワーズ・アルディの「もう森へなんか行かない」と重ねてみたりしながら、あの食パンは「恥じらいを知らない無邪気な子供が恋を知り、乙女になる瞬間を、鮮やかに切り取ったステレオタイプフードなのだ」とまとめる。


そう言われてみればそんなような気もしてくる。説明の仕方はいろいろあるだろうけれど、映画のなかで慣用句となってしまった「ステレオタイプフード」の来歴を、自分なりに考えてみるのもいいかもしれない。


うめざわ
福田里香さんのインスタかわいいな…お菓子は見た目の食べものだな…https://www.instagram.com/riccafukuda/

ちなみに。食パン少女の初出は、まだ特定できていないらしい。1989年にはすでに、少女まんがの典型的な出会いとして、『サルでも描けるまんが教室』(相原コージ、竹熊健太郎著)で取り上げられているとのこと。そこから庵野秀明がテレビ版の最終回でそれを引用してとかなんとか、漫画・アニメ界の歴史が綴られるので詳しい方はぜひ本書で。



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