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エッセイ版類語辞典『日本語をみがく小辞典』が痛快

専門家の言う「わからない」が好きだ。この前、定年をゆうに超えた医者に、コロナウイルスについて訊ねた。なんで日本は欧米ほど大惨事になっていないのか、どうやってあのウイルスが発生したのか、これからどうなるのか。彼の答えは「わからないんだよね」。いまの段階じゃあ、予防と最低限の対処療法しかできないね、と静かに語る。
隣で、知った顔のおばさまが息巻く。土足厳禁の日本の生活様式が〜、日本人は自粛に従うから〜云々云々。さも自分で発見した論かのように。


わからないことは怖い。自分の理解の範疇を超えたものは、それだけで自分を脅かす。未知なるものに対しては、なんでもいいから説明が欲しくなる。
でも、いっぽうで、わからないものに対して沈黙できる人がいる。それは、自分を超えた存在を正しく敬う謙虚な行為だと思う。


「恐れる」ってこういうことかと思い、『日本語をみがく小辞典』をめくる。あったあった、「恐れる」とは「人知を超えた力への尊崇」。ほほう。

到底太刀打ちできない絶対的上位者(死や神)への尊崇の念から、
恐れの気持ちは恐怖心から敬い謹む尊敬の念へと転じていく。

「恐れる」「敬う」が根を共通にしていることを挙げ、その類語である「おびえる」は平常心を失った様子、「怖じける」は怖さにたじろぐ心理状態だ、などと類語の違いをこまやかに解説していく。


この本は、日本語学者・森田良行さんが、日本語のさまざまな表現をとりあげながら、その奥にあるニュアンスの違いを解説したもの。いわば、類語辞典のエッセイ版。小辞典というだけあって、700ページ弱、200近くもの目次の大ボリュームだが、目次だけでもため息が出る。(上記リンクから読めます)

晴れる ――立ち籠めが消えた爽やかさ」
知る  ――対象の全き統括」
出る  ――内部から外部領域への現象」
もらう ――みごとなほどの対人言語」
妻   ――本家の端に住む怖い人?」

など、その言葉のアーキタイプに迫るような要約。それを旗印に、それぞれの言葉のシソーラスを一遍ずつ4〜5ページの読み物としてまとめている。


たとえば、「できる」の章だとこんな感じだ。

「できる」という言葉が、どうして”可能”や”能力”を表すのか?
「パソコンが使える」「外国語が話せる」「将棋が指せる」ではなくて、「パソコンができる」「外国語ができる」「将棋ができる」とどうして、十把一絡げに”できる”のかと、筆者はまず問いを立てる。

手際よく語源をさかのぼる。
もともと「できる」は「出で来(いでく)」。つまり、この世に出てくる、現れ生ずるという意味。つまり、無から有が生じるのが「できる」ということ。
ついふらふら起こった悪い考えを「出来心」と言ったり、腫れ物を「おでき」「できもの」などと呼ぶし、二人が”できた”らしい、というのも、食事の支度ができたのも、すべて同じことだと。

で、おもしろいのが、これらの「できる」は無抵抗・無責任の姿勢があるという指摘。

問題は、こうした『できる』が皆、どこか内側の奥のほうから自分の眼前に現れ生ずるという出現生起の発想だということである。自分の意志を超えた外なる力によって発生が支配される。

この段階ではまだ、”可能”や”能力”の意味は出てこない。

では、と筆者は違う方向から攻める。
これを現象の生起ととらえず、自らやったことと捉えるなら、どういう表現になるか。

自然発生的:「食事の支度ができた」
自分が主体:「私は食事の支度ができる」

そうするとあら不思議。
無から有への発生だった意味が消えて、「私」に能力が所有された表現になる。
手品師のように表現を変えてみせ、著者は言う。「能力などどいうものは、たとえ自分自身のことであっても、それは外なる力によって与えられた、自然と出て来る力にすぎないのだ」と。

『彼は英会話ができる』とか、『うちの犬は芸ができる』とか、さては特定の能力所有がついには全人的な優秀さへすり替わって『彼はできる』にまでエスカレートする。
だが、いくら優秀だとか能力があるとか胸を張っても、しょせん日本語の『できる』は外なる力によって賦与された偶然の産物にすぎないことを悟るべきである。
現れ生まれる現象こそ能力の原点で、それは当人の手柄でないとしたら、むしろ自分の持ち合わせた能力に素直に感謝する気持ちが大切なのではあるまいか」

痛快だ。日本語の語源にさかのぼって、「できる」を礼賛する姿勢をばっさり批判する。

なんでもかんでも「できる」「わかる」「知っている」。それはありえないし、むしろ傲慢。それはできないなあ、とうつむき加減で頭をぽりぽりかくのもきっと悪くない。

うめざわ
・最近、Amazonで本の在庫ないなーと思っていたら、どうやら生活必需品を優先するために本の流通が滞っているらしい。。
https://twitter.com/tarareba722/status/1259638946755035137

・前述のお医者さんは、別れ際なにかの小袋をくれました。すわ、最新のお薬か!?さすが医者!と思ったら、アルコール綿でした。はい、地道に手洗いします。

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