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8.リハビリ病院へ転院の日がやって来た

4月に入り、脳損傷のリハビリを専門に扱っている病院へ転院する日が来ました。その業界では有名な病院で、そんな病院が近くにあったということは私にとって幸いでした。

こんなにリハビリを受ける人がいるんだと驚く

今思えば当たり前のことですが、専門病院だけに患者さんが集中してやって来ます。でも、当時は世間知らずの学生だったから、リハビリ室でリハビリ(以下リハ)を受けていた患者数に圧倒されてしまいました。

また、ほとんどが理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)と患者さんとのマンツーマンで行っていたリハだったので、それも凄いなーと感じていました。

2-3日の精密検査の後、私のPT、OT、STが決まりリハが始まりました。

PTからの残酷な通達を受ける

院内の移動は車椅子。どうもなっていない左足で床を蹴って、左手で車輪をくるという感じで車椅子を操作していました。これで1人でスイスイ院内ならどこにでも行ける、今までベッドに縛り付けられていたので動けることは嬉しかったです。

私はリハビリをすれば元の身体に近い状態になると、元気なころに散々怪我をして来て、その度に治療してリハをやって復帰して来たから、今回も大丈夫だと軽く考えていました。

私の担当のPTは、多分30代ぐらいの男性。いつもニコニコしていて優しそうな方でした。

そのPTが最初に私に伝えたこと。。。

100%、元の身体には戻らない。

ギョッとなりました。(病前の)近いレベルに持って行くことは出来るけれど、病気の前の身体には戻れないよ。と。

体育専攻で、スポーツ馬鹿+ダンス馬鹿の私には死刑宣告と同じぐらい叩きのめされた言葉です。

それを初日に聞いて、ボーッとしてましたね。

「先生、酷だわ~~。」

って。

それでも一生車椅子なんて嫌だったから、そのPTに食らいついていきました。でも、私のリハは何時まで経っても体幹を整えるだけで、歩く訓練は全くしてくれませんでした。

それで夜中に泣き出して、看護師さんを困らせることになるんですけどね。

まあでも、私のリハの始まりはこんな感じの宣告から始まりました。

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