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22.退院して先ず母が私を連れて行ったところ

退院した翌日、私は母に連れて行かれたところがあります。

私が住まいは、それなりに大きな都市で、交通網が発達しています。その都市のど真ん中にあるプラットホームに連れて行かれました。

お昼間でも沢山の人出でにぎわっているので、プラットホームも人・人・人。

そんな混雑したところに、私を連れて行った理由を母はこう言いました。

「これからラッシュの時間に電車に乗らないといけないから、昼間のここで慣れさせる。」

「都会に出ても自分を卑下しないで、お化粧してお洒落して歩こう。」

「ついでにデパート行こう。毎日ウィンドーショッピングに行こう。」

お母ちゃん、ご無体な~~~(泣)

退院後、家と病院の往復だけで、身体のことを気にして引き籠ろうとしてしまう患者さんが多い中、私の家族はスパルタでして。。。

「とにかく外出させないといけない!人ごみに紛れさせる。」

「杖をつかないように訓練してもらったのだから、危なくないなら絶対に身体を支えない、手を貸さない。」

この2つの条件を見事に忠実に守り、今の独歩の私が出来上がった訳ですが、ちょっとは支えてよ~。と当時は思っていたりと、結構大変な思いをしたものです。

プラットホームに連れて行かれた私の気持ちは、土砂降りの雨模様。

顔なんて上げることは出来なかったし、大勢の人が不自由な身体の私を見ているようで緊張して筋肉がこわばってしまって、歩く事すら怖かったです。

緊張すると、麻痺している手が勝手に力が入って、肘を曲げて上がって来るんですよね。手首も曲がってグーの形になってしまって。手を腕を伸ばそうと思って、右手を意識して伸ばそうとしても伸びないから、左手を使って伸ばすもこわばってしまいナカナカ伸びない。

1日目はそんな状態で、駅の外に出ることはできませんでした。

これを毎日のように繰り返し、ようやく慣れた頃に駅の外に出ることができ、近隣のデパートに足を運ぶようになりました。

大学に10月以降通学するためには、これは避けて通れない道でした。それを母は一番よく分かっていたようです。

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