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言葉の力ってなんぞや?

本当に人の言葉に力ってあるの?言葉の力っていったいなんなの?


そんなことを考えるようになったのは、作業療法士の学生時代でした。


精神科の実習が始まる前に

「生徒から精神科の患者とどんな会話をすれば良いのかと聞かれるが、それは自分の言葉で人を治せる(癒せる)と思っているからだよね 」


と先生から言われた事がきっかけでした。


その言葉で相手は患者で、自分が何かしてあげる立場であると勘違いしている事を、突きつけられた気がして考えさせられました。


その言葉が無ければ、利用者や患者に対して、自分は助ける立場で自分は何でも出来ると思っていたと思います。


と同時に、本当に言葉だけでは人の助けにならないのかとも考えるようになりました。


今でも、言葉の力を信じているし、人の言葉に力はあると思っています。


しかし、言葉には相手を励まし居場所をあたえる言葉もあれば、相手を蔑み居場所を奪う言葉もあります。


そして、悲しいことに人は自分が傷ついた言葉や向けられた怒りの感情の方が、時に深く刺さってしまうのです。


その棘を抜くには、時間と周りの助けが必要となってしまいます。


また、相手の為と思って言った言葉はかなりの割合で、相手に届いていない事も多いです。


こちらに少しでも“ あーすれば良いのに、こーすれば良いのに”と、せっかく言ってあげたのにという想いがあればあるほど、上手くいかないものです。


どうやら、相手をコントロールしようと思いは伝わってしまうらしいです。



話はかわりますが、このコロナ禍で施設入所中の祖母が元気が無いと母親から連絡があり、母親はコロナ禍で自分たちと会えなかったからだと嘆いていました。


しかし、会っていたら、話していたら元気だったのかというと、違うような気がしてしまうのです。


人は1人では生きられない。高齢になれば尚更です。


そんな時に必要なのは、言葉や会話だけではなく、相手の自尊心を尊重し、一緒に作業をする事、一緒に居る事だと仕事柄、常に感じています。


ただ“ やってね“ ”やっておいてね“と言われるの が実は一番難しいのです。


極端に言うと言葉が無くても、一緒に何か作業する事や同じ空間に居るだけでも、良いのだと思います。


祖母は加齢と施設入所の中で、少しずつそういった時間が減り、自分らしく元気が出せなくなってしまったのかも知れない。


もちろん誰が悪いわけでも無いのですが。

時に会っただけ言葉だけでは、言葉の力が十分に発揮出来ない事もあります。


そんな経験からも、言葉に力があるのではなく、文脈や背景をもった人が伝える言葉 だから伝わるのだと信じるようになりました。


言葉には力があり、言葉が独り歩きして誰かの棘になってしまわない様に、相手に押し売りしてしまわない様に、言葉に行動も伴った人であり続けたいと思います。


理想論とはなってしまいますが、言葉だからこそ理想を語れると思うので、ここに理想を語っておきます。


以上ボヤキにお付き合いありがとうございました。


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