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【連載小説】Words #09

 この物語はフィクションです。
 作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。  

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 次の月曜、真沢は学校を休んだ。彼女のグループのひとり、遠藤が僕にこっそり耳打ちをした。
「佳織ちゃんね、本当は熱が三十八度もあったんだよ。でも、ずっと楽しみにしてたの。だから、ムリして行ったんだって。その……映画に。で、ちょっとこじらせて」
 彼女は、アンタたちのこと知ってるの、グループの中でもワタシだけだから、と囁いた。
「でも、それくらい、アンタのこと好きなんだよ、佳織ちゃん。大事にしてね」
 そう言い残して、彼女は、僕からすっと離れて行った。
 これが漫画なら、見舞いに行くなんてこともあろうけれど、僕は真沢の家なんか知らなかったし、たとえ知っていたとしてもわざわざ相手の親のいるであろう危険地域に踏み込む勇気も無かった。
 それをごまかすために、具合悪いときに行っても、気を遣わせるだけだし、などというタテマエで自分を納得させた。
 僕にはひととして、何か大事なものが欠けている。そう思う。誰かの気持ちを、想像してみることができない。
 好きだ、と言われて、気分は良い。でも、その好きだという気持ちがどんなものかがわからない。ただ相手が自分に都合良く動いてくれる現象としか思えない。
 でも、罪悪感だってある。だから、そんなタテマエをいつも思いつく。
 その頃、そんな「欠如」に僕はまだ無自覚だった。大事にするさ、ちゃんと登校してきたら。僕はそう思った。
 でもどうしたら大事にしたことになるのかは、まるでわからなかった。


 思ったより真沢の病状は悪かったらしい。入院したのだ、と遠藤が数日後また、ひとめを忍んで耳打ちをしてくれた。僕には、何をしようもなかった。
 その間、僕は担任に進路について訊かれた。僕に特別したいことなど無かったけれど、学校の掲示板に貼られたポスターには少し興味を引かれていた。
 情報系の高等専門学校。コンピューターの勉強ができるという。父のおさがりのコンピューターで遊ぶのは、楽しかった。別にプログラミングして、どこかのセキュリティを突破して、大金を得るような才能は無かった。でも、それでやったゲームは楽しかった。
 そして、すぐに禁止されたのは、もう言うまでもないだろう。あのひとは、僕が楽しそうにしているのが、嫌いなのだ。
 それでも、ああいうものを作れたらな、と思った。
 なんちゃら言語を駆使して、最っ高に面白いゲームを作る――中学生の夢としてはそんなに悪くなかったんじゃないか、と思う。
 だから、僕は担任に、その高専への進学を希望している、ということを告げた。
 で、何故だろう? 僕の周りの大人たちは、僕のことを全て母に告げ口しなければいけない決まりでもあったんだろうか? 袖の下にいくらかでも突っ込まれてたのか?
 そんな疑心暗鬼に囚われながら、僕は母のヒステリーに晒されることになった。
「コンピューターなんて! あんなオモチャ!」
「……」
「いいから、普通の良い高校に行きなさい!」
「……」
「それで、大学に行った方がいいのに決まってるじゃない」
「……」
「どうしても行きたいなら、自分で稼いで行きなさい」
 はい。それでその話は終了。
――と思ったが、諦めきれなかった僕は、愚かにも父に相談してみた。どちらかといえば、父は僕の意志を尊重してくれた。
 相対的に。母と比べて。
 それなりに真剣に話を聞いてくれた父は、彼なりに調べたらしい。
「うん。やっぱり、普通科の高校の方が、その後の進路も融通が利くって皆言うんだよ」
「うん」
「それに、離れた街だろ? 一人暮らしなり、寮生活なり、親としてはちょっと不安だなあ」
「うん」
「それで、母さんを説得できそうにない」
「……うん」
 僕は知っている。父が、過去のやんちゃのせいで、今、母に肝心な所で一切頭が上がらないということを。だから、それ以上を望んだところで無意味だということくらい。
 そして、母のお得意の言葉を思い出す。
「良い成績を取れば、好きな将来を選べるのよ! だから勉強しなさい!」
 僕はその地方都市の中学生としては、割と良い成績だったのだ。頭が良いわけじゃ無い。普通の少年がそれなりに勉強した結果にしか過ぎない。
 だけど、その高専の入学試験くらいなら、僕にだってなんとかなりそうだった。
 なのに。
 良い成績とったって、好きなものを選べない。だけど、僕はまだ、そんな矛盾を、母に突きつけるだけの、勇気が無かった。指先がただ痺れていた。面と向かって逆らうことができないから、僕は、自分の希望を無かったことにした。
 ただその恨みだけは、心の底にじわりと残った。
 違う志望校など思いつかなかった。でも、もし次を決めるときがきたとして、オトナたちが一番嫌がる選択をしようと想った。そして、誰にもそれを言わなかった。邪魔されないように。自分を、踏みにじられないように。


 そして、真沢の不在は一週間にもなろうとしていた。
 でも、薄情な僕は、その間も、放課後、どんな顔をして、何を言えばいいのかばかり考えていた。
 つまり、かほ里のことしか考えていなかった。
 顔を合わせづらいのであれば、他にいけばいい。最初の数日はそうした。でも、僕という少年は、かほ里という存在に対して感じる、何か粘っこいものに逆らえなかった。
 結局、僕は、ひとけの無くなった教室で、いつものかほ里のそばに座ることになった。
 かほ里は、僕の耳にイヤフォンを掛けた。僕の耳に、学祭近い教室を振り返り、そして、恋にまつわる後悔を歌う、ちょっと変な声が響く。
「愛してる」って言葉は、いつも早すぎるか遅すぎるかする。そういう間の悪い言葉なのだと。
 僕の様子を、枯れた笑みで眺めて、そして、いつものように鼻で笑うかほ里。
「ん」
「何?」
「『オクサン』、休みやけ」
「……オクサン、とか言うな」
「ふん」
 また鼻で笑って、かほ里は一度ぐっと伸びをして、立ち上がる。僕は、その意外性に驚き、そして、その日の邂逅が短過ぎることに、少し胸が痛む。
「帰るの?」
「ん」
「なんで?」
「……つまらんから」
「え?」
「ドキドキするもんな」
「あ?」
「他の女の男と、一緒にいるいうんは」
「……」
「今日は、つまらん」
 あっさり僕からイヤフォンを取り上げ、鞄を持って出ていこうとする、そのすっとした背中に僕の心が引きずられる。思わず立ち上がって、口をついて出るもの。
「僕に、興味無い?」
 かほ里が眉を上げて、振り向く。
「僕に、カノジョがいなかったら、相手にしてくれなかった?」
 かほ里は、コーヒー豆でも奥歯で噛み砕いたみたいな笑みを浮かべて、僕に近づき、向かい合う。
「どうやろな」
「……」
「いつか、たすけてくれたけな」
「……あれは」
「トモダチにしても、いいかな、おもうたけ」
「……あれは」
「それだけのことやけ」
「だから……」
「あんまり深く、考えないほうがいい」
「……」
「わたしは、そんなに深くないんやけ」
「……」
「どう見えるかはしらんけどな」
「……」
「あんまり、キレイなもんは、押しつけんといて」
「……」
 そう言うと、再びかほ里は僕に背中を見せて、去ろうとした。
 僕には、何かが足りなかった。それでこの会話が終わってしまうことが、決定的に物足りなかった。
 だから、僕は言ってしまいそうになった。間の悪い言葉を。永遠の宿題を。
「あのさ」
「なん?」
「もし……もし、さ、僕が――」
「……」
 振り返ったかほ里の顔に怒り――いや、苛立ち、違う、何か、哀しみに満ちたもの。
 僕は、そんな顔をそれまで見た事が無かった。
 かほ里が、不良だというなら、その本領が、全身から放たれて、僕はその圧迫感に言葉を途切れさせた。
「……」
 ひとことでいうとビビってしまった僕に、すぐ、柔らかな、枯れた笑顔を向け、かほ里は言う。
「言わんとき。それは」
 くそ、誰もみな、僕の気持ちなんて、聞かない。
 こいつも、あのひとも。
 僕の心を抑えつけて、否定して、時に潰す。誰も、僕の気持ちを大事にはしてくれない。僕の気持ちを言わせてはくれない。だから、僕は僕の気持ちを、ねじ曲げるしかない。どんなに窮屈で、軋んで、痛くても。
 そして、本当がどんなだったかなんて、すぐにもわからなくなる。僕は、だから、言ってしまう。
「……嫌いだ」
「……ん」
「嫌いだ、ほんとは」
「ん」
「おまえみたいなやつのことなんて」
「ん」
「僕は、あの時、ただ、近くで、おまえの裸が見たかっただけ……」
「……ん」
「それだけ」
「……ん」
「たすけてなんか……いない」
「ん」
 唇を震わせて、拳を握りしめて、コレ。
 情けなくて、涙もでない。
 ただ、僕は爆発したのだ。いつかのように。
 身体が、ガラスの薄い膜にでも包まれたような気がする。足で踏みしめる床の感触が無い。真空で、無重力な暗闇に、聞こえない声を、張り上げてしまったような、虚しさ。
 普段の鬱屈を、見当違いな方向に破裂させた、幼い自分。
 僕は、ガリガリと頭を掻いた。でも、何も感じない。自然、そこに籠める力は強くなる。
 一度は切って、しかし、また伸びた爪が、頭皮を掻きむしっているはずなのに。
 何も、感じない。
 いっそ痛みがあるのなら、僕は、この世界に手応えを感じられたかもしれないのに。
 僕の心の中で、爆発するものが、虚しく、行方無く、ただ散らかっていく。
 そんな僕は、かほ里にどう見えたのだろう。いつのまにか目の前に、かほ里が近づいて、僕の手を取った。はっとする。
 氷――?
 その手の冷たさが、僕を突き刺す。僕の隔絶された身体に、痛みを通す。
「……」
「……」
 僕の手の指の先に、血の、赤。
 深刻なものを、示す色。
 かほ里はその指先にある異常に、少し眉をしかめ、そして、僕の腕をしっかりと握って、下ろさせた。
「……あんた、アブナイヤツなん?」
「……」
 応えられない僕に、ひとつ鼻でため息をついて、かほ里は、潜めた眉をゆっくりと上げた。
「でも……安心した」
「え?」
「わたしなんて、そんなもんやけ」
「……え、いや、ちが、そういうつもりじゃ……」
「でも――」
 そして、かほ里は鞄を床に落とし、両手で、僕の頭をなで回した。
 めちゃくちゃに、強く。
 髪型が何より気になるその年頃の少年に、そんな自意識を忘れさせるくらいに、めちゃくちゃに。
「ごめん」
「……」
「ごめんやけ」
「……あ、あやまることなんか……」
「ごめんな」
「……」
「犬みたいに、思うとったんやけ」
「……イヌ」
「なついてくる、子犬みたいに」
「……イヌって」
「初めは、うざったいな、って……」
「……」
「でも」
「……」
「だから」
「……」
「ヨゴすつもりなんて、なかったんやけ」
「……」
「ヨゴすつもりなんて……」
 かほ里は頭を掻き回しながら、でも顔を耳元に近づけて囁いた。
「……てくれる? 一緒に」
「……」
 聞こえなかった。
 微かな、声。
 だから、いつまでも僕の頭の中まで掻き混ぜるかのようなかほ里の手を払った。
 枯れた笑みの、冗談めかした口調に、真剣な暗い瞳。
 かほ里は、背中を向けた。そのライン。ただそこに、カラダがある。その柔らかさを、細さを、滑らかさを、どうしても確かめたい衝動が突き上がる。
 自分を傷つける僕が失った感覚を、掴み上げて、呼び戻した冷たい指。僕の赤で、汚れてくれた掌。
 くそ、なんで、この女は、いつも僕を、渇かせるのか!
 何故、いつも、僕の中の、飢餓感をかき立てるのか!
 でも、僕の足は、いつのまにか、重力を取り戻すかのように、床の硬さを踏みしめていた。僕は、思い切りそこに力を籠め、渇きに掠れた声を、それでもまだ相手の心を探りながら、口から絞り出す。
「……僕は」
「ん」
「僕が……」
「ん」
「僕も、詞を書いたら……」
「ん」
「これからも、ずっと、詞を書いたら」
「ん」
「それを、きみに――」
「ん」
「全部、きみに」
「ん」
「だから……」
「ん」
「……読んで……くれる?」
 首を傾げるように振り向いて、また呆れた様に笑いかけて、かほ里は今度こそ本当に教室を出て行った。
 僕は取り残された。
 上手くは言えなかった言葉を零れて、どこへ向けて良いかわからない衝動が、手の先で、ペンを探していた。
 僕は、書く。書きたいことなど、何もない。
 でも、かほ里との接点が、それしかないから、だから、書く。
 僕は、すっかり暗くなるまで、ぽつんと、そんな衝動と格闘した。
 ただ……自分の陰と。

 眩しいオレンジ 
 遠くの歓声
 チョークの匂い
 僕たちの長い影

 教室 片隅
 わけあう イヤフォン
 ほんとは 何にも
 聞かずに 見てたんだ

 横顔だけで 笑う君の髪が
 カーテンと揺れて 透き通って匂う

 誰かの足音 隠れた壁際
 君には見えない 僕の唇が
 音も無く永遠を誓うよ
 消えてしまうなら いま この瞬間(とき)に
 
 僕は、その晩、そんな一節を、なんとか、書き連ねた。
 こうしてみると、本当に稚拙だ。音数が合っているわけでもなければ、風景の描写も、気持ちの表現も、どこか足りない。
 何かが足りないとわかるのに、足りない何かを、僕は結局その後の人生でも言葉にのせることができなかった。
 自分の見たもの、感じた心、どれだけ、「君」が特別なのかを、僕はこの詞の中で言えていない。
 でも、それを生み出すのに、渾身を籠めたという満足感だけが、実際の自分とは関係ないところに溢れかえる。
 そして、自分が、何かを創造したという優越感。
 創作をしたことがあるひとなら、わかると思う。その出来不出来ではない。自分が何かを生みだしたという全能感のようなもの。
 僕は、震えた。
 ついでに、僕がそんなものを書き出すために机に向かっていると知らずに、何度も部屋を覗いては母が満足げに出て行ったのを見て、僕は、かほ里への想いとは別の所で、コレはいいものだ、と思った。
 ベンキョウするフリをしながらできる、密かな愉しみ。
 とにかく、僕は、それを誰かに見せたくて、仕方無かった。いや、誰か、なんてぼかさなくていい。僕はそれをかほ里に見せたかった。そのためにこそ書いたと言っていい。
 だがしかし、次の日かほ里はいなかった――。
 とか書くことができたなら、僕はもしかしたら、その後の人生を間違えずに済んだのかもしれない。遠回りなどせずに、生きて来れたのかもしれない。
 僕が、だから、放課後の教室で、かほ里の前に、レポート用紙を握り閉めて立ったとき、あんなにドキドキしたのは、見えない崖の前に立っていることを、本能は気付いていたからなのかも知れない。
 かほ里は、いつもの笑みで、僕からその紙片を受け取り、何気なく目を通して、それを自分の鞄に差し込んだ。そして、少し頭を傾げた。僕は、それが、座れ、ということだとわかった。
 僕の前日の失態など、無かったかのように、かほ里はいつも通りだった。だから、僕も、いつものように、座った。かほ里は言った。
「詩やけ」
「……詩っていうか、歌詞」
「そうか、歌詞か」
「……うん」
「メロディは?」
「……ない」
「それで、歌詞?」
 ケラケラとかほ里は笑った。
「笑うな」
「ああ、悪い」
 まだおかしそうに唇を動かしながら、少し真面目ぶった感じで、かほ里は少し指を立てて回した。
「ん。歌詞やなあ、と思った」
「うん……」
「歌詞やろ?」
「……」
「手紙やない」
「うん」
「わたし隠れたことないもんな」
「うん……」
「つくりもん」
「……うん、で、どう?」
「ん」
「うん」
 かほ里は指を顎に当てて、少し視線を宙に遊ばせると、く、と笑った。
「なんていうか、クサイ」
「……そ、そうか……な」
「それに、誰かがこんなこと歌っとった。足音で隠れる、みたいな」
「……そ、そうだっけ」
 すっかり忘れて全部自分の創作だと思い込んでいたが、言われてすぐに確かにそんな曲があったような気がした。
 そのせいで挙動不審になった僕をかほ里は笑った。そして、頭を掻いて、疲れたような呆れた呟きをする。
「……なんでオトコ言うんは、こういう……」
「?」
「ん、まあいい」
「……うん」
 かほ里が僕を真っ直ぐと見た。僕もそれに視線を返した。かほ里は枯れた笑顔で俯いた。
「どう? どうかな――」
 かほ里は、僕の言葉を遮るように、またイヤフォンを耳に掛けた。ソコから聞こえる、片思いの歌、失恋の歌、愛の歌。
「な?」
「……」
「そういうこと」
「……うん」
 僕は落胆した。
 プロと比べて、どうか、とかほ里は言ったのだ。
 ハッキリわかる。かほ里が聴かせてきたアーティストたちのそれと、自分の「歌詞」の差が。僕が「創作」に舞い上がった分だけ、今度は泥に沈んだ気分でいると、かほ里は言った。
「始めたばかりやけ」
「……」
「このひとらぁも、きっと、そういうところから始めたんやけ」
「……」
「いつか、こんなん書けるようになるんやけ」
「……うん」
「また見せ」
「……うん」
 そして、かほ里は立ち上がった。そして、背中で、こんなことを言い残していった。
「でも、今日のは、この前のより、ずっと、『あんた』やったけな」
 !
 僕は、それを、褒め言葉だと思った。別に、そうとはっきり言われたわけじゃないし、文脈から言えば、決して彼女が気に入ったわけではないことくらい、後になった今の視線で見れば明らかだけれど、当時の僕の感受性が、それを賞賛だと、受け取った。都合の良い感受性だ。だから、単純な僕は、自分を「作詞家」なのだ、と思い込むことになる。

 そうして、浮かれて、僕はすっかり忘れていたが、真沢は結局二週間戻って来なかった。
 僕という人間など、結局、その程度のものである。きづかなければ、それなりに自分だけの幸せの中で生きられたのかもしれないけれど。

<#09終わり、#10に続く


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