見出し画像

【連載小説】Words #07

 この物語はフィクションです。
 作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。  

この連載をまとめたマガジンはこちら↓



 その映画を見に行くために、僕がどれほど苦労したか。
 まず映画を見に行くための金がない。決まった小遣いという制度がウチにはない。
 必要なもの、欲しいものがあったら、そのたびに申告しなければならない。
 そして、欲しいものについては、殆どまったく、申請が通ることがない。
 ほぼ無審査で受諾されるのは、文房具、参考書の類、それから、漫画じゃない活字の本だけ。
 当然、映画に行く、などと言って、その経費が落ちることはないわけだ。
 中学生くらいの少年のしたいことなど、大昔は知らないが、僕の頃だと大体金の掛かることである。つまり、カネをコントロールすれば、母は、僕を支配下における。そして、こう言うのだ。
「そんなに欲しければ、自分で働いて買えばいいじゃない」
 それを正しい意見だと思うひとは多いだろう。一般論として、正しいのかもしれない。
 でも、僕は、校則によりアルバイトなど禁じられた中学生であり、そう簡単に雇って貰える年齢でないわけであり、たぶん中学生でも雇われる可能性のある新聞配達みたいな苦労をしたいほど自立心に富んでいたわけでもないのであって、事実上、それは僕を最高に悔しさに悶えさせる言葉で、悶えながら、僕は屈服するしか他に方法が無かった。
 そして、絶対にムリだとわかっていて言うのだ。あのひとは。
 バイトなんかして成績下げたら、家から出てってもらうから、と念のために、付け加えて。
 とにかく、そんな風に金の無い僕は、親の財布から直接盗みだす勇気も無いから、塾への行き帰りのバス代を歩いて浮かせる、というしょぼいズルをするしかなかった。そして、映画代と、その前後にかかるであろう飲食費を貯める間に、ひと月は経った。
 自分のマリーシアが少し足りないと今になって思うのは、本を買うと言って、新品を買ったフリをして、古本を買うという方法もあったな、と。本は――本だけは、何故か許されていたのだから。
 でも、僕はその当時から、何故かひとの触った本が好きではなく、図書館などでも、あまり古い本に触りたくなかった。だから、古本屋などに知恵が及ぶべくもなかった。金を稼ぐ、ということに、僕はあらゆる点で、劣っていた。


 そんな風になかなかたまらないデート費用にジリジリと苛立ちながら、そのひと月の間、僕たちは、少しだけ、進展した。どちらの「僕たち」も。
 真沢と僕は、あのとき真沢が言ったように、教室では、交際を秘密にした。よっぽど必要に迫られなければ、会話どころか、視線すら合わせなかった。
 実際、それは、教室という社交界において、賢いやり方だっと言わざるを得ない。かほ里の事件の際、実行犯となった女子の上位グループは、何かにつけ真沢を目の敵にし、シラけたような敵意の視線を突き刺しつづけていた。
 真沢にはあの時の真沢の行動を支持するグループがあり、孤立することこそなかったが、間違い無く二つのグループは冷戦状態にあった。
 男女交際をしていることは確かにステータスではあったけれど、同時にからかいの的にもなるのであって、実行犯グループが、僕と真沢の交際を、嘲笑と軽蔑の対象にすることは火を見るよりあきらかだった。たぶん、こんな感じに。
「は、あんなのとつきあってんだって」
「ウケる」
「ブサイク同士丁度いいんじゃないの?」
 そんなことを言われてめげない僕じゃない。
 ガラスのメンタルには自信がある。繊細ではない。なのに、脆い。
 だから、一見、真沢の望み通りにしているようでいて、僕にとっても都合が良かったのだ。
 結局、僕と真沢は、見かけ上、恋人関係、というより殆ど絶交に近い状態にあった。それなら、普通のトモダチに戻った方が楽しいに決まってるのに、それを許さないカレシカノジョということの、愉悦。他のひとが知らない関係を互いに結んでいるというほのかな背徳感。そして、それを確かめ合うように、ひとめを忍ぶように、廊下ですれ違いながら、手紙を交換する。中学生に、携帯もPHSも、まだ普及していなかったから。
  
『元気?
 なんて、すぐそばにいるのに聞くのはおかしいね。
 でも、なかなか話せなくて、少しさびしい。
 あなたのことを、もっと知りたい。
 どこで生まれたの?
 何が好き?
 普段、どんなことしてるの?
 わたしのこと、好き?』

『僕は大丈夫。
 君は?
 なんて、やっぱり、すぐそばにいるのにね。
 話したいね。
 僕も君のことを知りたい。
 僕の事を知ってもらいたい。
 どこか、公園にでも行って、
 君の話を全部聞こう。
 まとまりはなくてもいい。
 僕の事もその時に、話すよ。
 僕の気持ちも、そのとき、ちゃんと。』

 この返事! これは、手紙なのに。「創作」ではないのに。思いっきり、名曲に影響を受けながら! 
 でも、そのパクリを、カッコイイと思っていたのだ。好きだ、と言わずに、自分が何を「リスペクト」しているのかを悟って貰うことを期待して。
 つまり、これは、プロポーズ、だった。それを、理解しろ! と独善的に希うコドモだった。まあ、十中八九、僕の意図など伝わってはいなかったろうけれど。
 でも、伝わらなくてよかった。僕は、純粋にKANというアーティストの影響を受け、彼に憧れて、真似をしたかったわけではなかったのだから。
 僕に、本当の意味で影響を与えていたのは、彼女、だったのだから。


 かほ里は、放課後にはいつも、そこにいた。そして、だから、僕もそこにいた。
 もう挨拶なんてしなくても、仕草なんて待たなくても、僕が彼女の後ろの席に座ると彼女は身体を半身に僕に向け、プレイヤーを机に置き、片方のイヤフォンを僕の耳にのせる。
 その度に、僕は古い邦楽を新たに知る。好きな曲も、そうでもないのもある。でも、それはかほ里が聴かせてくれる曲。
 僕に、わざと憎まれ口をきいて、曲についての議論を女の子と楽しむ技術はまだない。だから、僕たちは、黙ってその古い曲たちを聴いた。
 時折、かほ里は、僕の指を手に取る。
 冷たい。
 身体的接触に、まだ特別な意味があった時代と年齢。彼女が僕の爪に定規を当てるほんの短い間に、僕の妄想は爆発しそうになる。それ以上を期待する心臓が鳴る。冷たい指になぞられて敏感になる肌。うっとりと頬が熱くなるのを感じる。
 もともと長かった爪が、一センチにもうすぐなろうとしていて、自分で賭けを言い出したにも関わらず、かほ里はそれを馬鹿にしたように、ふん、と半分鼻で笑う。あっさり離れて行く彼女の手を、僕は未練がましく見詰める。
 その手が何か他の場所を触ってくれることを疚しくも願いながら。
 でも、実際にそういうことは起こらない。何度も言うけれど、僕たちは、ただの中学生で、まして、恋人同士でもなかった。トモダチ、だった。その言葉を使うことすら、どこか気の引けるような関係だった。
 だから、正確に言うなら、僕たちは「放課後、同じ曲をイヤフォンをわけあって聴く」だけの間柄でしかなかった。でも、そのことを拒まれないことに、僕の陶酔は深まっていった。
「もう、一センチやけ」
「……そう?」
「少し、足らんけど、まあ、殆ど」
「うん」
「おまえ、アホやけ」
「……うん」
「本当に、伸ばすんやもん」
「……賭けだから」
「アホ」
「うん」
「アホやけ」
「うん」
「アホ。『やっぱりあれは嘘』言うかもしれんかったのに」
「……別に、それでもいい」
「……アホ」
「……うん」
「アホ」
「うん」
 何度も、かほ里は僕を「アホ」と言う。少し雑に、どこか馬鹿にしたように。
 でもそこに本当の侮蔑の気配を僕は感じない。
 親しげな、「アホ」。特別な、「アホ」。
 そう言われるごとに、かほ里が僕との距離をつめているような気がした。
 かほ里が机に掛かった鞄をとり、その薄い鞄の中から数枚のCDを取り出し、机に置いた。
「やる」
「うん。でも……」
「おまえの勝ち」
「いや、だけど、実際まだ一センチじゃないし……」
 かほ里が、呆れたようで、でもどこか緩んだ笑みを僕に向け続けている。僕は、それ以上の遠慮をしてはいけないと思う。
「ありがと……」
「あんたは」
「?」
「あんたは、たぶん、最後まで伸ばすやろうし。そやろ?」
「……うん、そのつもり」
「そんなに好きなん?」
「え?」
 僕はドキドキとする。僕は、わたしが好き? そう、問われたような気がして、でも、答を用意できない。その焦りを、見透かしたように、かほ里は笑う。そして、僕の勘違いを正すように、言う。
「KAN」
「……あ、ああ……まあ」
「あのひとも、そうやけ」
「……『あのひと』?」
 かほ里が、いつもの、何かを放り投げてしまったような枯れた笑みを浮かべながら、教室の天井を見上げる。
「あのひとの、シュミなんやけ」
「……」
「アホなんやけ」
「……」
「わたしも」
 少し、掠れたようなため息をついて、かほ里は顔を背けた。
「わたし、好きな相手がおるよ」
 僕? とか思ってしまう。だから、声が出ない。
「どうしようもなく、好きな男が」
 僕ですか?
「その男のことなら、何でも知りたいし、その男の好きなもんは、わたしも好きになりたい」
 僕のことなら、教えますけど!
「なんの意味もないのに、どうしようもない」
 いや、だから、僕は!
「こういう曲が好きで、そんで、自分でも曲を作りよる」
 ……ああ。僕じゃない、ね。わかってたけど。わかってたけど?
「むかつく」
 ……むかつく。
「でも、好きなんよ」
 そうですか。僕にはカノジョもいますから、たとえあなたに好かれなくても平気ですよ?
「どうしようもなく」
「……うん」
「わたし、好きな相手、おるよ?」
「うん……」
「あんたにもおるやろ?」
「……」
 かほ里がそんなことを強調する意味が、その時の僕にはわからなかった。その時の彼女がそんなことを僕に打ち明けることで、何をしようとしていたかなんてことをくみ上げてあげられる経験も知識も度量も妄想力も無かった。
 ただ、なんとなく、がっかりしていた。カノジョがいるくせに、目の前の女の子が自分を好きではないということに。
 その交流が、かほ里が僕と会話し、接触することが、レンアイ故ではない、という事実に。
 きっと、かほ里は、そんな僕のがっかりしてしまう気持ちに釘を刺したのだ、と今の僕は思う。彼女は忠告したのだ。「それ以上好きになるな」と。
 それは決して彼女の思い上がりではないことを、僕は知っている。もし、あの時、かほ里が僕を好きだとでも、何かの手違いで言おうものなら、きっと僕は真沢をあっさりと切り捨てたろうという自覚がある。
 青春の、黄金に輝く教室での美しい一ページ。その夕陽が完全に沈んでしまった夜の底で、一体自分が何を妄想し、望んでいたかなど自分が一番知っている。
 僕は、なんどもなんども、かほ里を妄想した。真沢ではうまくいかないことを、幾度もかほ里で、あの下着姿で、成しとげていた。
 僕の身体も、心も、だから、本当はかほ里を求めていた。ソコを、かほ里は見抜いていたのだ。きっと。
 かほ里が僕を穏やかに眺めていた。僕は、精一杯演技して、何か言おうとして、でも、言葉が見つからなかった。
 そんな僕を、かほ里は、僕の耳からイヤフォンを抜き取って、教室に置き去りにした。僕は、そこを、しばらくの間動けなかった。
 僕が何を考えて、どうやって家路についたのか、憶えていない。でも、僕は、部屋の机の前にいて、シャーペンを持っていた。
 かほ里が好きだという男と同じように、曲を書けるのなら!
 それが、その男より、優れたものなら、もしかしたら? 
 だから、僕は、その真似をしようとした。僕は、かほ里を書きたかった。その美しさと、彼女に捧げる自分の気持ちを書こうとして、でも、どんな言葉でもそれを言い表せないようなじれったさに、身もだえした。
 僕には真沢がいた。ただそれだけのことが、僕の思いつく言葉すべてを、陳腐で、キタナイものにし続けた。
 寝る直前になって、僕は、ようやく鞄からかほ里のくれたCDを取り出し、そして、机の引き出しにしまいこんだ。聴くつもりはなかった。僕が好きなのは、そのアーティストではなかったから。
 でも、そういった小さなことを重ねながら、僕とかほ里の距離は更に縮まったように思う。僕の思い上がりでなければ。僕たちがイヤフォンをわけあうことは、自然で、当たり前のことになった。
 そして、僕の知らなかった古い曲を聴きながら、時々、思いだしたように、かほ里は、その好きな男のことを話した。
 相手が、既婚者であること、コドモもいること、その手のアーティストに憧れて、いまだに自分もそうなる夢を諦めきれない男であること。
 その恋の話を聞けるということは、少なからず僕を得意げな気分にしたけれど、でも同時に、僕から彼女を遠くした。
 彼女は、オトナ、だった。オトナに恋をする、オトナのように思えた。
 僕の立ち入れない場所から、彼女は、僕に笑いかけていた。


<#07終わり、#08に続く


この作者のほかの完結済み作品、短編集はこちら↓


「スキ」などの反応があるだけでも、とても励みになります。特に気に入って下さったなら、サポートもよろしくお願いします!