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【連載小説】Words #12

 この物語はフィクションです。
 作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。  
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 いつもの、放課後。教室。もう、正直、当たり前の習慣のように僕はかほ里とイヤフォンを分け合っていた。僕は訊いた。
「ブルドッグってカワイイと思う?」
「あ?」
「パグ、とか」
「イヌ?」
「うん。あの潰れた顔の」
「ああ。アレな」
「うん」
「……あんまりかわいくないな」
「……あ、そう」
「コリーとか、ドーベルマンとかの方がいい。顔の長い、カッコイイのの方が」
「そうですか」
 僕は、何気なくそのシークエンスを終えようとしたけれど、かほ里は何かを感じたらしかった。
「なんで、がっかりする?」
「いや、別に。がっかりはしてないけど?」
「そか」
「……うん」
 いや、ご明察。僕はがっかりしていたのだ。
 その理由は、塾からの帰り道で、品川とした会話だった。

 彼女は、僕にカノジョがいることにたいそう驚いた。僕が路線バスの中では静かにすることを教えなければいけないくらいに。
「ウソ!」
「いや、ホント」
「いや、だって! ありえないし」
「だから! ……頼むからもっと声を抑えて。他のひとの迷惑になるから」
「だけどさあ」
「頼むから」
「むう……」
 いかにも納得いかなさそうに腕組みする品川が疑わしげに、訊いた。
「名前は?」
「え?」
「名前! 相手の!」
「いや……かおり」
「あ、あんたの学校のカオリって、もしかして、光屋?」
「え? 知ってんの?」
「うそ! っていうか、小学校同じ。向こうは卒業前に引越したけど……っていうか!」
「……なに?」
「じゃあ……」
 品川が、ちょっと何かを考え込むように俯いた。僕がその顔を訝しげに覗き込むと、品川はちょっとだけ首を振った。
「いや、なんでもない。光屋かあ……ちょっと釣り合わないっていうか。意外っていうか」
「いや、光屋じゃない、かおり」
「は?」
「光屋は、ただ、シリアイっていうか。少し話すくらいの。だから別の」
 少し呆けたように僕を眺め、そして、品川は突然僕の肩を叩いた。
「なんだ。そうか」
「え?」
「そうなら、そうと早く言え、紛らわしい。で、そっちの『かおり』、どんな子?」
「いや、よくわからない」
「何ソレ?」
「……うん、一応付き合ってるっていっても、殆ど会話もしないし、本当に付き合ってるのかどうかもわからないくらいで、映画に行っても――」
「エイガ!」
「だから、頼むから、小声で――」
「何見たの?」
「いや、別に、なんだっていいだろ」
「あー?」
「だから、ほんとに、特別なことは何もなくて。映画も離れた席で見たくらいで、何も起きなくて……ただ、普段も時々手紙を渡しあうくらいのことしかしなくて」
「ノロケ、ウザ」
「おまえが訊いたから! それに僕今ノロケたか?」
「声、大きい」
「あ……」
 僕は慌てて声を落とした。品川は、はは、と少し疲れたように笑った。
「でもさー、付き合うって大変だよねー」
「ん?」
「わたしもさー、実は、経堂と付き合ってんだよね」
「え! あの、経堂って特進コースの? 同じクラスの?」
「他に誰がいんのさ」
「いや、知らなかった」
「ほら、付き合うとか付き合わないとかって、中学だとすげーからかわれんじゃん。ばかじゃねーの、とか思うけど。それに親とかさ。ウルサいじゃん。うちなんか特に。叱ってくれるならそれはそれでいいよ。でもカレシがいるなんていうと、性教育が始まっちゃうから。ウチは」
「ああ……産婦人科」
「両親からコンドームの使い方習う気持ちわかる?」
「……大変だな」
「大変なのよ」
「へえ……でも、経堂か」
「医学部志望でしょ? アイツ。だから」
「ああ」
「なんて、一応のタテマエで。そう言っとけばイエでの通りがいいっていうか」
「でも、好きなんだろ?」
 品川は皮肉っぽく笑って、少し肩を竦めた。
「どうなんだろうね」
「ん?」
「好きだって言われたから」
「え?」
「一応嬉しかったし」
「……あ、ああ」
「だから、とりあえずいいかなとかって」
「なるほど」
 心当たりのある話だった。「好きだって言われたから」「一応嬉しかったし」「とりあえずいいかな」と思って付き合い始めた話なら、どこかで聞いた事があった。いや、自分の話だけれど。
 そして、僕たちは、僕の家の最寄りで降りた。
「どうすんの?」
「え?」
「おまえんち、帰れる? おくってく?」
 僕の脳内に「だいじょうぶ I'M ALL RIGHT」が流れていたのは言うまでもないが、どう考えても立場は逆だった。どうして、世にある名曲は自分のディテールを再現して歌ってくれないのだろう、と僕はいつも思っていた。
 でも、そんな思いなど知らない品川は言った。
「人間的にも財力的にも優れたわたしは、運転手つきの車を呼ぶ。っていうか、ついてきてるはず」
「え?」
 僕が振り向くと、確かに少し離れたところに、ライトを落として待機している黒塗りの高級車があった。はあ、いいな、金持ちは、と思った。僕には塾のクラスメートが困っているときに貸してやる金もない。
「ありがとう。お金、貸してくれて。きっと、返す。時間は、ちょっと掛かるかもしれないけど。きっと」
「うん」
「それから、ひどいこと言って悪かった。ちょっと今日は、しんどかったんだ。言い訳にならないかもしれないけど」
「いいってことよ」
「なに、その口調」
「あら、わたくしとしたことが。『よろしくってよ』」
「もう、遅いわ」
「ほんとに、ね」
 僕たちは笑った。
「でも、ほんとに、ありがとう」
「もういいよ」
「そう?」
「そう、あんた、なんか、こう、うまくいえないんだけど、なんか気になるっていうかさ」
「?」
「別にかっこよくもないし、いいところもないんだけど」
「はあ……」
「なんていうか、ウチのイヌを思い出す。ブサイクなパグ」
「はあ、そうですか」
「ドジで、手がかかって、ブサイクなんだけど、なんていうか、こう……」
「……」
 何かを考え込み始めた品川に、「ブサイク」で少し傷ついた僕は、じゃあ、本当にありがとう、と声を掛けて背中を向けた。背中から、じゃあね、またね、と声がしたから、僕は軽く、振り向かずに手を上げて、ウチへと歩いた。どうせ、またヒステリーを聞くことになるけれど、品川のおかげで、少しだけ、足取りは軽かった。

 かほ里が、僕をじっと眺めている。僕は、顔を逸らす。
 僕はやはり母の金切り声を浴びたけれど、その後部屋に戻って、思いだしたのだ。かほ里も、僕を、イヌだと言ったことを。
 なんだろう、と思う。イヌ扱い。喜んで良いのか、怒って良いのか、微妙なライン。
「お前は、国家権力のイヌか!」とか言われたわけではないので、悪い意味ではなさそうだけれど、「ブサイクなパグ」とたとえられたのは、あまり褒められてもいない感じがする。
 だから、先ほどの問いは、そのあたりの感触を確かめるためにした。でも、期待したような答えをかほ里から引き出すことはできなかった。なんとなく、がっかりした。おまえなんか、眼中にない、と言われたような気がして。
 いや、わかってたけど、くらいの強がりで僕は、かほ里を見詰め返した。かほ里が例の笑みを浮かべる。全部読まれている感じがして、僕はすぐに目を逸らす。
「……ふうん」
「なに?」
「いや、別に」
「だから、なに」
「……いやいや、何でも」
 やっぱり、読まれてる! と僕の身体は強ばる。
 いや、読まれていようが、僕たちの関係において、困ることは何一つ無い。でも、何かを測られているということが、僕の尻の辺りをムズムズさせる。落ち着きの無くなった僕に、かほ里が訊く。
「あんたさ」
「うん」
「オトコのトモダチおらんの?」
「……あ、うん」
「なんで?」
「……なんで、そんなこと訊くの。今さら」
「いや、なんとなく。いっつもこうして残ってるけど、楽しいんかな、と」
「そっちだって、女子のトモダチいないだろ」
「まあな」
「だろ」
「でも、なんで?」
 あまり、トモダチがいないことは自慢できることじゃない。ある種の弱みでもある。トモダチが少ない、というのは、やはりどこか欠陥があることを示しているような気がする。だから、僕の口は言い訳のために動く。
「……ウチ、転勤族なんだ」
「ん」
「引越が多いんだけど」
「ん」
「そのたびに、『転校しても連絡するから。ずっとトモダチだぞ!』なんて言われる」
「ん」
「涙ぐんで、がっちり手なんか握って。乗り込んだ車を追いかけてきたりして」
「ん」
「でも、引っ越した先に、電話の一本も、はがきの一枚もいまだ届いたことがない。トモダチから」
「ん」
「この先もウチは引越が多いだろうし、だから、もう、ムリにトモダチを作ろうと思わない」
「ん」
「疲れる」
「ん」
「誰かの、ドラマになるためにトモダチになるみたいな感じがして」
「ん?」
「なんていうか、涙も、別れも、その場限りのイイオハナシにしかならないっていうか……僕は、別に誰かを感動させるために引っ越すわけじゃない」
「ああ」
「疲れる、そういうの」
「ん」
「疲れる」
「ん」
「……疲れる」
「ん」
「それだけ」
「ん」
 自分で言って、自分で落ち込み、僕は、暗く俯いてしまった。かほ里が、そんな僕の髪をくしゃくしゃと掻き回す。僕は、振り払いもしない。僕たちにその程度の接触は当たり前になってしまった。
 もちろん僕の方がかほ里の髪をかき乱すなんてことは、おそろしくてできないけれど、相手がするなら、僕に拒む理由がない。
 なんか気持ち良いし。
 僕がそんなものに少しうっとりしていると、その手は、あっさりと僕を離れていく。僕は、疚しい自分を、咎められたような気がする。でも、かほ里の表情はそんなことを語っていない。まあ、イヌをなで回すのに、理由なんていらない。その程度のことだ。
 帰ろ、とかほ里が言う。僕も、帰ろ、と思う。そして、僕たちは別々に、教室を出る。
 別々に、それぞれに。

<#12終わり、#13に続く


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