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【連載小説】Words #05

 この物語はフィクションです。
 作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。  

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 春だ! 
 実際の季節など、関係ない。僕の頭にだけは、局地的に春が来ていた。
 地域的に、とか、学校的に、「そういうこと」が当たり前だったひとたちも多いかもしれないが、その学校において、クラスにおいて、中学生の男女交際というのは、珍しいことだった。そう、クラスで、二、三組程度しかいなかった筈だった。
 その二、三組のひとつであるということ。
 なんという優越感。
 街宣車にでも乗って、街中にそのことを知らせたい欲求と、やっかみ半分に大げさにからかわれることへの恐怖が、五対五くらいのカクテルになって、僕の身体を痺れさせる。
 甘い、電流。
 そんなものに悶えながら、真沢を見る。真沢はこちらを気にする様子もない。真沢を見る。何度も見る。でも、やはり、彼女は僕を見ない。
 僕は不安になり、こっそり、生徒手帳にしまったネームプレートを取り出す。
 真沢、とある。
 真沢を見る。
 真沢は僕を見ない。
 あれ? と思う。僕たち、付き合ってるんだよね? と確認したいが、その術が無い。こちらを向きもしない女の子に、どうやって話しかけるかなんて、僕は知らなかった。今も知らないけれど。
 とりあえず、おおごとにはしたくない。ついこの前、恋人同士のイチムラくんとナミカワさんが、何故か廊下でケンカに及び、ナミカワさんが、イチムラくんをビンタしたときには、それはいい見世物になったものだ。
 別にケンカをしたいわけではないが、「カレシカノジョの事情」は、大いにからかいの的になる。そういうことはさけたい。
 ひと言で言うと、かっこつけたい。
 のに、確認したい! そういうダブルバインドに僕は、硬直しているしかなかった。
 真沢を見る。
 なんか、カワイイ。
 今まで気にしてなかったけど。
 改めて見ると、カワイイ気がする。
 女の子って感じする。
 うまく言えないけど。
 なんか、細くて、柔らかそう。
 良いニオイしそう。
 ピアノ、弾くんだぜ?
 とても上手に。
 あの子、カワイイんじゃないの?
 少し。
 もしかして、すごく!
 アレ、僕のカノジョなんだぜ。
 カワイイ、カワイイ、カワイイ!
 なんかキラキラしてる!
 などと、補正とエフェクトを山ほどかけて、処理の重たい状態に僕の脳が陥っていても、まるで真沢は僕を見ない。
 そうやって、目一杯意識して緊張して、なのにアホみたいに手応えが無い状態で、いつのまにか放課後になっていた。
 なんか、あるよね! いや、きっと!
 などと思って、掃除の終わった教室に居残っていても、真沢は、今度はもう帰ってしまって、いない。
 あれこれいろいろを妄想して、それが全部、妄想でしかなかったときの虚脱感で、僕は自分の席にがっくりと座った。そして、机に突っ伏して、頭をガリガリと掻く。
 ……なんだこれ?
 その時の僕に、女子達の罰ゲームの可能性を云々する知識は無かった。仮にあったとしても、それを考慮に入れられるほど冷静でもなかったけれど。
 あああああ、と心の中で絶叫して、それが、ため息になる。
 僕は、窓の外を見る。夕暮れ。揺れるカーテン。金色の、教室。
 真沢もいたらいいのに。僕の机の中に何気なく動いた手が、何かに触れる。紙片? 僕はそれを取り出す。
 なんだこれ?
 不思議な折り方で、キレイに四角くたたまれた桜色の紙片。ドキ、とする。ソレが「手紙」だとわかるから。
 僕は、それを少し破ってしまいながら、広げる。女の子の、丸い文字。

『これ、ちゃんと届くのかな。読んでもらえるのかな。
 真沢です。
 昨日のこと、ちゃんと、伝わってるでしょうか。
 わたしの気持ち。
 少し不安。
 だから、改めて、書きます。
 好きです。
 付き合ってください。
 好きです。
 好きです。
 好きです。
 からかってるわけじゃないから。本気だから。
 もし、良かったら、あなたの気持ちも教えてください。
 
 P.S. あの事件以来、わたし、少し目をつけられてるから、
   できれば、目立たないようにしてくれると、嬉しいです。
   からかわれたくないから。
   
 お返事、待ってます。

 真沢佳織』

 なんだこれ!

 メールも携帯も、まだ一般的じゃなくて良かった。僕は、ラブレターをもらったことがある、と自慢できる。
 カタチがあって、重みがあって、女の子が肉筆で書いた想いを、もらったことがある。
 それが、少々の勘違い(大きな、とは言いっこなし、だ)に基づいた陶酔による視野狭窄が故のものだとして、なんの不都合があるというのか! 
 その紙片には、少なくともおぼこい少年一人の頭をキラキラほわほわとピンク色に染め上げるだけの威力はあった。
 何度も読み返す。何度も。何度も何度も! そして、何度も思う。

 なんだこれ!! なんだこれ!!! なんだこれ!!!!

 自分の中の、鼓動が。胸の奥のざわめきが。視界と身体に漲る光が。
 未体験の悦びが、僕を翻弄する。
 そして、一通り悶えて、僕は、ふと思いつく。返事! 返事をしなきゃ! もちろん、こう書く。

 僕も、好きです!

 いつから? 関係あるか! たったいま、そうなった。
 今、僕がカノジョを好きになるということは、宇宙の誕生の時から決まってた。なら、ずっとそうだったのと同じことだ! 
 好きだ、好きだ、好きだ! 

 いやいやいや、待て。あまりにがっついてるみたいなのも、かっこよくない。なにせ、自分が好かれる根拠に確信が持てないから、かっこ悪い自分はできるだけ見せたくない。
 よし、考えなければ! なんていうか、最っ高にカッコイイ手紙を。
 幸い、僕は国語には自信がある。こう、なんていうか、名文を書かなくては!
 
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』
 
 僕の底が白くなった。
 名文、と言って、そのくらいしか思い浮かばない! 『メロスは激怒した』? ラブレターに、メロスは関係ない。エロスは多少関係あるかもしれないが、そんなものを匂わせたら、僕の『英雄的行為』が台無しになってしまう。
 くそ! 国語なんて、何の役にも立たない! 
 拝啓! それ! 
 いや、まて、拝啓の後ろは何だっけ? 草々? 敬具? かしこ? ちょっと自信無いから、やめておこう……。
 Dear! やっぱ、英語。なんか、それっぽい。
……それっぽいけど、なんか、かえってアホっぽいな。何でも英語使えばカッコイイと思ってる馬鹿だと思われるのも、何かイヤ。
 って、くそ、何も思い浮かばない!
――などと、レポート用紙の前でしばらく悶絶して、僕は、結局、いたって当たり前に、普通に書くことにした。

『かおりさん。
 君が好きです。』

 それだけ書いて、あと、思い浮かばない。僕は、シャーペンを浪人回ししながら、自分の世界に籠もって、頭を捻っていた。
 だから、僕は、その声に、死ぬほど驚いて、飛び上がることになった。
「好きです、じゃないほうがいいな」
 ぎゃあ、とまでは言わなかったが、鼻水が飛び出しそうになった。僕の顔の横に、息づかい。長い髪。
「あ、あ、あ……」
「詩っていうんは、好きだー、とか、愛してるー、とかを他の言葉で言い換えるといいらしい」
「あ、あ、あ……あ!」
 慌ててレポート用紙を丸めてポケットに突っ込む。ケラケラと、笑う少女。
 光屋かほ里。
 たったつい先日まで、僕の視線を奪い続けた存在。近寄るきっかけも無かったけど。
 そんな遠い存在が、いつのまにか、後ろから、僕がいかにもアホっぽく苦悩しているのを眺めていたらしい。呆れたように目を細めて、彼女は僕の肩に手を置いた。
「詩、やろ?」
「ち、ち、ちが……」
「違うん?」
「か、関係ないだろ……」
「詩だったら、いいな、と思った」
 ふん、と一つ鼻で笑い、彼女は、まあ、関係ないけど、と僕のそばを離れて、自分の席へと向かった。
 彼女の言葉の不思議なイントネーション。そんなものが、意識してもない部分に触れる。僕の、何か深いところに。
 でも、あっさり離れて行った彼女は、自分の席に着く。いつものイヤフォンを耳にかけた彼女の背中は、本当に、僕などとはまるっきり関係無いと言っているかのようだった。
 変な気分がした。ラブレターを見られたから恥ずかしい、というのだけじゃなく、何か、こう、疚しいような、罪深いような。
 僕が、そんな気分で他にどうしてイイかわからず、呆然と彼女を見詰めていると、彼女がこちらを見もせず、背中越し肩の辺りで、小さく手招きをした。
 僕は、動けなかった。それがどういう意味のものか、すぐにはわからなかったから。でも、動けずにいる僕に、その手招きは再度繰り返された。
「……」
「おいで」
 彼女は、横顔だけを見せるようにして、僕に視線を寄越した。笑み。僕はそれを見て、引き寄せられるように彼女のそばにたった。
「座り」
「……うん」
 僕は彼女の後ろの席に座った。彼女は座り直し、僕に半身を向けると、片方のイヤフォンを僕の左耳にかけて、ポータブルプレイヤーのリモコンを押した。
 ピアノの音。
 やがて、声。
 
『もし、僕が君と出会わなかったら――』
 
 それは、永遠に愛しいひとのそばにいることを誓うバラードだった。
 でも、僕は、そんなピアノの音なんかより、いつも彼女の耳にかかっているイヤフォンがのせられた自分の耳のくすぐったさに、ドキドキとしていた。
 彼女の熱が、肉の一部が、そこにあるような気がしたのだ。
 だから、ろくに聴いていなかった。曲が終わり、いつのまにか俯いていた顔を上げると、彼女は僕をおだやかだけど、どこか遠い、オトナの笑みで、眺めていた。僕の声は掠れた。
「……で、何?」
「どう思う?」
「え? あ?」
「ん?」
「え……あ、うん。いい……ような気がする」
「そうか」
「うん」
「こう、書いたらいいんやけ」
「……うん」
 少し満足げに目尻を下げると、彼女はプレイヤーから盤を取り出し、そして、机から出したケースに収めて、僕に突き出した。
「やる」
「え?」
「あげるよ」
「……」
 僕は彼女が差し出すものに、なんとなく手をのばした。
 しかし、彼女はそれからすぐには手を放さなかった。僕たちはそれを持ったまま、少し見つめ合うことになった。
 やっぱり、三千円からするものをくれる、というのは惜しくなったんだろうか、いや、そんなものをもらうのは、あまりに無遠慮なんじゃなかろうか、と不安になった。
 でも、彼女は笑っていた。笑っていて、僕がケースを掴んだその指を見、彼女は言った。
「爪、長い」
「……あ」
 僕はそのころ、爪切りが好きではなかった。ピアノをやっていたとき、口うるさく爪切りを強要された反動で、爪を切らないことが、自由であるかのように錯覚していたから。
 それに、どこかのコメディアンがオンナを悦ばせるときのために小指の爪を伸ばしているという話を聴いたことがあった。使う予定は無かったが、いざというときのために、その用意をしておく必要があった。必要がある理由が良くわからないが、そうしておかなければならないように思い込んで、せっせと伸ばしていた。
 で、たぶんそっちの方が、主な理由だった。
 だから、改めて女の子にそれを指摘されると、疚しい上に、下心を指摘されたようで、恥ずかしかった。
 僕は手を引っ込めた。少し眉を上げる彼女。僕は、そのことをごまかすために、声を上げる。
「い、いや、やっぱ、悪いっていうか……あ、うん、もらうって、高いし」
「いいって」
「か、借りる! それなら」
「別に、いいよ」
「……いや、でも高い……」
「カネのことなら、気にせんでいい」
「……」
「財布から、いくらでもでてくるんやけ。また買える」
「……はあ」
「……ほら」
 彼女はもう一度、それを僕に突き出した。僕は、恐る恐るそれを受け取った。銭湯らしき風呂の浴槽で、半分顔を沈めてこちらを見ている男の写真のジャケット。「ゆっくり風呂につかりたい」というアルバムタイトルをカッコイイとか思う感覚はそのときの僕になく、だから、なんとなく、少し、いらないものを押しつけられたような気もした。
 でも、受け取った僕に満足げに頷くと、彼女はまた僕に背中を向けた。で、背を向けたまま言った。
「なんで、爪伸ばしてるん?」
 ごまかせてなかった! 僕は慌てて、しどろもどろになる。
「い、いや、なんとなく、っていうか、その――」
「なんで?」
 くそ、子供に「赤ちゃんはどこからくるの?」と無邪気な瞳で訊かれるときの気持ちがなんとなくわかるような気がする! などと思いながら、僕は、「キレイな方」の理由を言うことにした。
 途中、彼女は、少し僕に身体を向けた。その顔は別に、「キタナイ方の理由」を勘ぐっている素振りでも無かった。
「――つまり、これは、僕の、なんていうか……だから、つまり……」
「ジユウのショウチョウなんやね」
「……あ……はい」
「ふうん。どこまでのばすん?」
「いや、それは……だから、適当に」
「ずっと伸ばしたらいい。ずっと」
「……一センチとか?」
「そうやね」
「……ムリでしょ」
 何かを思いついたように、少し、くっと顎を引いて、彼女は僕を改めて見詰める。
「何?」
「ほなら賭けよ。親指だけでも一センチまで伸ばせたら、そのひとのCD全部あげる」
「は?」
「KAN、言うんよ、そのひと」
 彼女はそれだけ言い残すと、立ち上がり、ぺたんこの鞄を持って、教室の入り口へと向かった。そして、振り向くと、また笑った。
「わたしな」
「……うん」
「相手、いるんやけ」
「え?」
「じゃ、な」
 そして、そのまま彼女は出て行った。
 あっさりと。
 僕の、もう少し一緒にいたいという気持ちを、夕暮れのオレンジと、そのまぶしさと同じだけの陰に満たされた教室に残して。
 何かを伝え損なった気がした。何かを聞きそびれた気もした。だけど、僕にはそれが何かはわからなかった。
 ただ胸の奥で、強く引っ張られて、何かがちぎれたような感触があった。彼女のイヤフォンの感触が消えた左耳に、その痕跡を探すように僕は手を遣って、長い爪で引っ掻いてみたけれど、それはもうすでにあっけなく消えたあとだった。
 そして、家に帰って、待ちきれない夜更けにしたことが、彼女のくれたCDを聴いて、それに感化されるくらい感動したことだったら、美しい物語でも始まるのかもしれなかったのに、僕がしたことと言えば、女の子のそばにいて、女の子と軽く会話したことによって高まった発情を、ひとり、擦り上げるくらいのことだった。
 僕は、初め、その妄想を、自分の「カノジョ」となった真沢で始めたのに、いつのまにかその顔はすげかわり、結局、最後果てる頃、僕の妄想の身体の下にあったのは、かほ里のあの下着姿だった。
 甘い罪悪感。
 自己嫌悪すら、まだ、僕には無かった。残念なことに。
 僕は机につく。そして、あの手紙への返事を熱に浮かされるように書いた。

『もし、僕が君と出会わなかったら。
 僕は、きっと普通の男だったと思います。
 僕が、あの時、勇気を持って、あの連中を止めに入ることができたのは、
 たぶん、君がいたからだと思います。
 君が望むなら、
 たとえ望まなくても、
 僕は、ずっと永遠に君といます。
 そして、君の重荷を、僕も持ちたいと思います。』

 たったこれだけのことを書くのに、殆ど夜明けまで掛かった。何度も、消し、何度も書き直して。書いているうちに、時系列や事実関係や自分の心の中で本当に起きていたことなど、どうでも良くなり、手紙は矛盾に満ちた「創作」になってしまった。
 それもかほ里に聴かされたあの曲の影響をリスペクトの範囲を超えてパクリと言えるまで受けながら。
 でも、その時の僕はこの「創作」に深く満足していた。そして、その興奮を収めるために、もう一度、ひとり、自分を擦り上げた。

 かほ里。
 オンガク、と思った。やはり、オンガクが、僕とかほ里を繋いだ。
 予定通りでも予測通りでも無かったけれど。
 だから、オンガクを知る必要があった。
 僕はかほ里がくれたCDをようやく聴いた。
 流行でもないし、ちょっと、あまり、好きそうな感じでもなかった。
 でも、聴いた。
 それが、かほ里との、唯一の接点だったから。
 それ以外に僕にできることなんて、何も無かったから。
 テキトーに聞き流して、僕は、いつのまにか、眠りに就いた。

<#05終わり、#06に続く


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