2024年1月22日東京 あとがき
モリーナセカの記事を投稿してから時はずーっと経ち今は新年の1月下旬。冬至、クリスマス、正月とすぎ、今は平穏な東京の冬にいる。
先週末、東京の自宅付近でバスに乗っていて。運転手がモニョモニョ長いこと何か言っているのにちゃんと聞く気がしなくて。あーうーと思いつつも「あっでもこれ聞かなくていっか」と思ったままぼーっ。降りた後で一緒に乗っていた友人が「定刻より2分早いから時間調整の停車がどうのこうのっていちいち説明するの必要かねー」とか言ってる。やはり聞かなくて大丈夫だった………ん⁈自分は勘でその数分をやり過ごすと決めたんだなぁ、と思うとエラく可笑しかった
帰国は12月19日、その時から今まで、自分でも不思議なくらいボーッとしている。ダラダラしていたわけではないのだけれど、何だか記憶がないのだ。そもそも体の不具合が多すぎる。
・右脚ふくらはぎに痛み→筋肉痛全治三週間と宣告される
・左目に目ヤニが三週間、右目は先週ものもらい
・口にちょっと大きな出来モノ→巨大な口内炎
しかも病院の回数が多過ぎたせいか何と保険証を落とした。そして公園のベンチにおいてあったのを近所の優しい日本の方が届けてくれた。
冒頭のバスの中の勘の話を通して、ぼーっとしている理由がひとつわかった気がした、英語がうまく通じない人たち(多少なりとも喋れる人もいたが、大半はフランス語やスペイン語しか喋らない人たち)とコミュニケーションする為に彼らの挙動を詳細に観察したり、母国語で喋っている内容を推測したり、はたまたそれらに相槌をしたり、簡単な質問やコメントを打込んだり、それらをするためにかなり集中していたら、勘が冴えている状態になっていたんだと思う…そりゃあ自分の肉体のことなんてなおざりだ!しかもそのせいか体調が良くないのに上手く眠れない日が結構多かった
ただただ彼らと仲良くしたかった。気が合った。そしてそのおかげでこんな素敵な経験ができた
・ガイドの人が現れた、彼との数日。パウロコエーリョの星の巡礼みたいな
・仏カップル〜女子に合せてゆっくり歩くのが嫌な男子のぼやきに付合う
・イタリア人の愛すべき友達(英語はボクと同じくらい低め)との思い出
・スペイン人の愛すべき友達たち(スペイン語しか喋らない)との思い出
ここまで書いて、ぼーっとしている理由がもうひとつわかった。そこには愛情の交換があったんだ。ラテンの人たち全般に言えることなのかもしれないが、彼らは愛情表現・愛情交換みたいなことが上手だ。それは目を見るとかに始まり、気に掛けるとか会話上の相手への配慮の仕方とかもきめ細かい。そもそも相手に愛情を持てるかどうかをすごく意識しているように感じる。彼らと気が合うと感じた以上こちらも最大限に誠実に応対する。今思えばそれが先にあったから言葉がイマイチでも人間関係が成立したのかもしれない。だからゴールした時に大聖堂の前で皆でハグしあったのはごく自然だった。ためらいも特に感じなかった。サンティアゴデコンポステーラの路上で、レストランで、広場で、ボクらはハグしまくった笑…自分の在り様が変わっている⁈今、それを自覚する。
このことは自分の人生の中でもおそらくトップクラスの大事件だ、きっと今後を含めても。日本の社会では愛情表現が足りないくらいでないとうまく生きられないと感じる。むしろ拙い表現の方が信用されたり本当っぽかったりする。思い返すと自分は子供の頃に屈託なく愛情表現ができた。しかしそれをキモいとか何とか揶揄されて、いじめられて、閉ざして生きてきたのかもしれない。
でもあの時、扉は開いた。そう感じる。
このNoteを終わらせるにあたって、まずは“あとがき“を書こうと思った。細かいエピソードを脇においておいて、いまいちど神様的な角度から今回のことを眺めてみたかった。甲斐があった笑。これを投稿すれば先に進める気がする。
順番が前後しますが、今からモリーナセカのあとの一週間を振り返ろうと思います。面倒かもしれませんがお付き合いください。
写真、複数枚投稿できるようになったのでサービスしますから!