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タイムマシンを使わず過去を見る方法【景色とは?あなたは誰か?】

タイムマシンを使わずに過去を見る方法を知っていますか?
まず空を見上げて下さい。
上図のように太陽が輝いていたとしましょう。
この太陽の光は地球に届くまで8分16秒かかります。
つまり、あなたが空を見上げた際に目のあたりにした太陽は「今」の太陽ではありません。
8分16秒前の太陽です。
実に奇妙なことに
8分16秒前という「過去」が今見えているのです。

これがタイムマシンを使わずに過去を見る方法です。
「なーんだ、そんなこと」と思いますか?
「え、あれって過去!?」と思った方もいるかもしれません。

大体の人は今、見えている太陽や星が現在のものではないってことを常識として知っていますよね。

でも、その意味をじっくり考えてみたことがある方は案外少ないのではないでしょうか。
かく言う僕も、このことに気づいたとき、ぎょっとしました。
だってよく考えてみて下さい。

いま見えている景色とは何ですか?

普通、今見ているものは「今」だって思いますよね。
当たり前のようにそう思って生きていますよね。

それが実は違うんです。
いま見えている景色とは
四方八方「今」ではありません。
それはすべて「今」ではなくて「過去」なのです。

今あなたが見ているこの画面、
この文字、
それ以外の
あらゆる視界に映るもの、
それらはすべて過去なのです。

切れ目なく秒針が動くタイプの時計を見たとしましょう。
それはいつ見ても正しく現在時刻を示しているように思えます。
しかし今、僕が見たその時計の
秒針の位置は「今」の位置ではありません。
なぜなら見ている景色とは目に届いた光だからです。
光が届くまでに、ほんの一瞬ですが時間がかかります。

それゆえ僕らは常に過去の時計を見ているのです。
だとしたら
この世に絶対時間というものは存在しているのでしょうか?

今見えている自分の手指でさえもが
「今現在の手指」ではありません。
「過去の手指」が見えています。
では今の自分は一体どこに見えるのでしょうか?

もちろん光は1秒間に地球9.5回転するといいますから、
過去と言ってもほとんど無視できるくらいの過去です。

現在と呼んでも差し障りはないくらいの過去です。

しかし見えているそれは確実に現在ではないのです。

例えば、僕とあなたが同じ部屋の中にいて見つめ合ったら、同じ時を過ごしていると思いますよね?

でも厳密に言うと
今、僕が見ているのは「過去のあなた」です。

あなたが見ているのも「過去の僕」です。

目の前にいる相手は、
今ここにいる自分よりも
幾分過去の見え姿なのです。

つまり同じ時を共有できているようで
実は互いにズレた時を過ごしているのです。noteの記事を書いた時と、それが読まれる時がズレているのと同じように。

家族ですら実は同じ時を共有できていないのです。
それぞれ生きて見ている視点が異なるのと同様に。

まずこれらの事実を頭に叩き込んでみて下さい。

それからもう一度「景色」を見てみましょう
(いま目の前に見ている画面も一つの「景色」です)
では、それらの意味をゆっくり読み解いてみて下さい。

あなたは今、何を見ていますか?

そうです。あなたがいま見ている景色は端から端まで全てが過去です。
様々な過去をつなぎ合わせたパッチワークです。

つまり僕たちは
生まれてこの方
「現在」という時間を一度も見たことがないのです。

僕らは常に「過去の集合体」を見ています。

東京タワーの足元から頂上を仰ぎ見たとしましょう。
グネ〜っと鉄骨が頂きにむかって伸びていますね。

このとき自分からもっとも近い鉄骨と
頂上は同じ時刻の東京タワーではありません。


もっとも近い鉄骨が
例えば0.00000001秒前の鉄骨だとしたら
頂上は0.00000005秒前くらいの鉄骨でしょう。

それが同じ時の中で同時に組み合わさって見えています。

写真に撮っても同じです。
写真に撮れば、そこに写っているのは完璧に同一時刻の物体、景色、人だとしか思えないですよね?

でも異なります。
何一つ同じ時間のものは写っていません。
写真のどの地点を比べても
すべてが異なる時間の姿を写し出しています。
無数の過去情報がパッチワークのように繋ぎ合わされて、
あたかも

すべてが現在であるかのように見えているだけです。

これはテレビが走査線の組み合わせで一つの像を作り出していることと実は同じ原理です。

ここで、ひとつの問いが立ち上がってきます。
では「今」とは何処にありますか?

いま見えている自分の手指ですら過去の手指なのだとしたら一体、いま現在とは何処に存在しているのでしょうか?

↓ ↓ ↓

おそらく「今」とは、あなたの意識です。

あなたの意識以外は、すべてが過去です。

あなたの意識だけが、
この広い宇宙の中で、
あなたにとって
たった唯一の今なのです。

「今」はあなたの意識の中に存在している、
というよりむしろ
あなたという意識自体が「今」なのです。

つまり、今これを読んでいるあなたとは誰か?
あなたとは「今」でした。同時にあなた以外は今ではありません。

では時間とは何なのでしょうか?
空間とは何なのでしょうか?

まず見え姿としての空間(=景色)とは過去です。

僕たちは今まさに、
その過去を目の当たりにしています。

四方八方、過去という現前に囲われています。

今まさに、
目の前にそのもの自体の今の姿ではなく
そのもの自体の過去を見ながら生きています。

僕たちは今、事実として
過去という只中に立っているのです。

どうですか? こう考えると
今まで盤石だった世界が
グラグラふわふわしてきませんか?


でも安心して下さい。
いま地面に接している体感があれば、そこが「今」です。

僕らの在り方とは
時間というとどまることのない川の流れの中で
「今」という枝につかまって流れないようにしている。

なにかそういうイメージに例えられるかもしれません。

更に8分16秒前の太陽の光を浴びながら生きています。
つまり過去に起きた現象を
これもまた今、体感しながら生きています。

本当は今この瞬間、宇宙の彼方で太陽はすでに存在していないかもしれない。

しかし、もし今存在していなかったとしても
あと8分16秒間は太陽は上空に輝き、
温もりを届けてくれるのです。

では、その届いた光とは何なのでしょうか?

人やペットを抱きしめた時のことを思い出してみて下さい。

そのとき、心があたたかくなりますよね。
愛の温もりを感じますよね。

それは、なぜなのか?

もしかすると
いつもは物理的にもずれた時間を過ごしていた2つの存在が
「今」を共有できる唯一の方法だからではないですか?


とすると、
8分16秒前から届いた太陽の光、
その見えは過去の姿だったとしても
僕の肌に生じた体感としての温もりは
過去から届いた贈り物だと言えそうです。

お日さまははるばる宇宙を渡って
「今」を共有するために
愛に来てくれているというわけです。


とすると翻って景色とは
過去と出会い、結びつき、
贈り物とも呼べそうな今なる体感を継起させる場と呼んでもよいかもしれません。

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