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コンプレックスは思い込み?

昨日、小学生と話している中で

【学校で決まっていることの中で不思議に思っていることある?】
と問いかけた。

●制服を着なきゃいけないこと
→私服でいいと思う

●お友達のことを名字で「さん付け」で呼ばなきゃいけないこと
→先生に言われた理由は、大人になった時に「ちゃん」とか「くん」とつけないから!と言ってたけど、「うめちゃんはうめちゃんって呼んでいいよね!」「うめちゃんは大人だけど、うめちゃんなのにね。」って言って不思議がってた。

●呼び捨てで自分の名前を呼んで欲しいな
→お友達を呼び捨てで呼んではいけないらしい

などなど。小学生にも世の中や身近なところへの疑問を感じながら生きているんだなと、最近は、仕事柄子どもたちと対話をする時間があるので、

私自身が、このくらいの年齢でこんな話しが出来るんだ!こんな風に考えているんだ!っていう思い込みが外れる瞬間がたくさんある。

「学びの場・時間」を大人が枠を決めて用意しちゃいけないなと思うこともあるし、あえて枠(環境)を作ることで集中した時間を作ることも出来るなと実感することもある。

子どもたちの可能性を信じて、広げるキッカケは大人が用意できる!

と、就活のころから思い続けている私が、今は、【小学生のオンラインの居場所づくり】をしているけど、

小学生だから・・・
何年生だから・・・
大人だから・・・
○○だから・・・

な思い込みが、可能性を狭めてしまうことも簡単に起きてしまう。

言葉ひとつの影響力も感じる。

コンプレックスも思い込みから生まれる。

自分のコンプレックスを紐解いてきて、幼少期からの経験が今に影響がある部分も多いことを実感したからこそ、小学生と過ごす時間、我が子と過ごす時間の中で、関わり方、言葉がけに責任があるなと、こうやって書くと気が引き締まる。


私って何もないって、思ってしまう人って多いかも知れない。
私もそう。
でもどんな人も、影響力があるんだと思う。
意識をしながら、生きていきたい。



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