かたちorきもち、価値観の違い

両親からの躾なのか
挨拶や所作を重んじてきた方だと思う
それでも挨拶ができない人や所作が汚い人に
慣れてしまった部分がある

まだ、学生時代
友人はいわゆる「クチャラー」で
口を開けたままご飯を食べて、しゃべる
ポテチを食べると指を音を立てて舐める
その子とご飯に行くのが苦手だった

その子のことを別の友人が注意した
すかさず、その子から反論があった
「ご飯は美味しく食べられたらいいじゃん
小姑じゃないんだから、気楽にやろう」と

恋愛も結婚も「かたちorきもち」で
価値観が変わってくる

奢りは当然、記念日はプレゼントが必須の人
割り勘がいい、一緒にいられたらそれでいい人

私はこの場合、後者になる
相手への負担が気になって仕方ない

だけど、結婚となると愛だけじゃ生活はできない
クチャラーのように
自分が我慢すれば丸く収まるわけに行かない

価値観が細部に渡り、一致する人はいない

何にせよ、「かたちときもち」ですれ違い
「我慢と忍耐」から卒業できない自分を抱えた人って割合多いだろうな

「かたちorきもち」との葛藤から
メンタルが破壊された人、されつつある人

夏目漱石の「こころ」の登場人物
「K」に自らを重ねる人がいる

ただの失恋だけではなく
「かたちorきもち、価値観の違い」から派生し
慎み深い「K」は自死を選ぶ

自我を抑え、孤独に耐えている人って
「K」へ自らを重ねる
きっと、そういう意味もあるかな