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ときに知りたくないことだってある

最近肩こりが激しい。

スマホやPCを覗き込むように、下を向いて見ているからだろうか。気づかぬうちに、首に負担をかけていたのかもしれない。

「スマホ首」という言葉が聞かれるようになって久しい。首が前のめりにならないよう、普段から意識して顔を持ち上げるようにしている。

日中はそれでも首のことなどお構いなしなのだが、夜になると意識せずとも上を向いている。だらしなく頭をもたげて直立で。子どもが初めて流れ星を見た風を装って。

力を抜いて空を見上げながら、月を探す日もあれば、疲れた目を癒すために光から暗闇へと目線を促すときもある。

そうすると、なんだかとても落ち着く。もう目の前のことをなにも考えなくてもいいよと空が語りかけてくるみたいだ。

だから私は夜空を見上げることを大切にしている。それが1分だろうと、10分だろうと、1時間だろうと問題ではない。現実逃避と時間は比例しないのだ。


私はその都度、オリオン座を見つける。

オリオン座を見つけるというより、オリオン座しか見つけられない。星座について明るくないからだ。夜だけに。なんつって。

他の星座を詳しく知らない。だが私は特定の星座以外、知らないということを知っている。

意味も文脈も私の言うことと大幅に異なるので、哲学に詳しい方には指摘されるかもしれないが、ソクラテスから借りてきた言葉だ。彼は次のようにいう。「私は、私が知らないということを知っている。」と。
手元に原本がなかった。うろ覚えなのでこのままの通りだったか定かではない。

私はソクラテスが言うことを自分の都合のいいように解釈してみた。論文ならあってはならないことだろうが、これは自由作文だ。許してほしい。ときに先人の言葉を借りて、自分の文章をカモフラージュしなくては。


私はオリオン座以外の星座を詳しく知らない。だけど詳しく知らないということ自体を知っている。それでいいではないか、と。

今すぐに知ることができることを知る努力もしないのか、と思われるかもしれない。もちろん調べないことを正当化するつもりはない。だが私はただいまオリオン座に御執心なのである。

オリオン座以外を知ることによって、オリオン座を見つけられなくなってしまう可能性をはらむのが受け入れられない。

たくさんの星座を知った後で、立ち返ってやっぱりオリオン座が好きだというときがくることもあろう。だが今はそのときではない。

砂時計のような形をしていながら時間を忘れさせてくれる、オリオン座だけを見ていたい。

頑固な私が言いたいのはそれだけ。

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