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「二週間後に死ぬ私へ」

とっても不吉なタイトルだけど、私まだ死ぬ予定はない。

実は先日、タイトルと同じ題で自分宛てにお手紙を書くっていう授業があって。
これが結構面白かったので、それについて忘備録と考えたこと。

2週間後に死んでいることが決まっていたら自分は自分に何を語りかけるかということをこの機会にと真剣に考えてみた。

まず真剣に考えて自分の本音を引き出すために、制限時間15分のうち3分くらいかけて真剣に自分が2週間後に死ぬ状況をかんがえてみた。
といっても、かなり集中して3分。「自分が死ぬ」ということについて、その状況にいることをリアルに感じるというのはむずかしい。

余命が2週間だと伝えられた時をめちゃめちゃ詳細に想像して
父はなんて言うかな?母は?妹は?おばあちゃんは?
それを伝えられたとき、みんなは泣く?それともポジティブに何ができるか考える?
というように、とにかく周りの人のリアクションを想像し続けた。

あと、伝えられた時に私は何を考えるかについても想像した。
まず驚いたのは、どんなに想像してもあまり恐怖は感じれなかったこと。
そのかわり、ああ日記は早めに捨てておこう、
でも私が生きた日々がなくなるみたいでなんかやだなとか、
引き出しの奥にしまってあるいつかのラブレター見つかったら恥ずかしいなとか、
意外と気にしているつもりもなかったしょうもない心配が出てきた。
う〜ん、リアルだ。

さて、ここまで想像してようやく本題。
あとは素直に感じたままにひたすらお手紙を書く。
本当になにも考えずに書き続けたんだけど、意外も意外、私のはお手紙というより、死ぬまでのTO DOリストに近かった。

ちょっと恥ずかしいけど、この際だもん、全文のせちゃう!

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二週間後に死ぬ私へ

私は、本当に恵まれた環境に生まれ育ったと思う。
素敵な家族と友達に支えられて、すてきなであいをたくさんして、心の底から、私が私でよかったと思うし、これまでの私の選択も間違っていなかったんだと今この瞬間も噛み締めています。

さて、2週間後に死ぬとこのことなので、やりたいこと、やってほしいことをいくつか残したいと思う。

①できるだけ多くの人に、心からの愛の言葉を伝えること。手紙でも、音声でも、チャットでもいいから,想いをカタチにしてください。少しでも感謝が伝わるように。そして、いつかその人々が苦しい時に思い出してもらって力になれるように。

②これまでやりのこしたこと・後悔をできるだけ多く書き出すこと。私の文を読んで、後悔しないように生きようっておもえるひとがいるように。

③一分一秒を楽しむこと。死ぬのがきまってるんだもん、楽しまなくちゃ。

④家族に、直接いろいろ伝えよう。やっぱり家族には、恥ずかしさもあるけど面と向かってちゃんと話したい。感謝伝えたい。


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ここまで、時間がないなりに結構リアルに書いたんだけど、意外と飄々としていて興味深い。(いや、私のことなんだけどさ。。)

特別に何か心構えをするというよりは、日常の流れで死を迎えるんだな〜と。

そしてさらに思ったんだけど、多分ここに書いたのは、私が私の人生において価値を感じていることなんだと思う。

感謝を伝えること

後悔と向き合うこと

楽しむこと

家族を大切にすること


でも、これって今からでもできることなんだよね。。。

そう、これが大事で、この気づきがあったことがこの授業を受けたことの価値だと思っている。

まあこれだけ書いて何が言いたいかというと、あの手紙に書き記したことは日々やっていこうということなんだけど。

死にゆく自分にお手紙を書くということはなかなか面白くて、すごく本質的な何かが見える気がしたのですすめ。死をリアルに想像することは誰しも怖いことだし、あまり良くないこととして社会的にも受け止められているような気がする。
だけど、死があるからこそ私たちは生を有意義なものにしたいと考える。死という人生の終止符を自分で決めることでこそ本質的なものが見えるのは、自分の人生を有意義にするための自分の軸なのかもしれない。

時間と興味と想像力がある人は、ぜひやってみてほしい。
私も、3年おきとかにやってみようかと思ってる。

ちなみに、他のクラスメイトの方々は「これまでの後悔をひたすら書き綴った」とか「時間内に出来るだけ多くの人にひとことずつの感謝を書き綴った」とか、
中には「自分の人生をMAPで書いてみた」なんて面白い人もいた。

とにかく心を空にして、フリーに書きたいと思ったことを書いてみるのがコツみたい。


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