旅行日記①モンゴル🇲🇳-ウランバートルをめぐる-
ウランバートルの街並み。
ロシアの社会主義的な建物が立ち並ぶ中、最新の資本主義的な建物も多く、「まぜこぜな街」という印象。それがとても味があって面白い!
私はずっと「ロシアの街並みを見てみたい」と思っていて、社会主義の国でよく見かける大きな広場や、整然と区画され機械的に設計されたような街並みをみるのがすごく楽しみでした。
また、私の大伯父(祖父の兄)が太平洋戦争中、陸軍兵として大陸におり、シベリア抑留で亡くなっています。旧ソ連の影響が色濃く残るウランバートルの街。大伯父はロシアに眠っていますが、情勢的に当分行けない…。
雰囲気だけでもロシアを感じられる街に、少しでも大伯父の近くに行ってみたいという願いが、ようやく叶ったのです。
スフバートル広場。
広い広場と大きな銅像、モンゴルの国会がここにあります。国会議事堂は中央にチンギスハン像があり、その横をオゴタイとフビライの騎馬像が固めていました。
街中に急に現れるこの広い広場の様相に、少し驚きました。威厳たっぷりの厳かな場と言うよりは、人々の憩いの場と言う印象の広場でカラフルな花壇がとても華やかだったのです。
広場からぐるっとあたりを見渡すと、手前は一見、とても資本主義的な最新の街並みです。
しかしその建物の奥には、旧ソ連時代の建物、があり今も両方の建物を使いながら運営しているらしいのです。
正直私からすると、茅葺き屋根の建物の後ろに高層ビルを建てるような印象で、その光景は異様に移りました。なぜ旧ソ連時代の建物を残すのかと聞くと、「だってもったいないでしょう」と言うモンゴル人の発想にほっこりしました。
この2時代の融合が残る街並みこそウランバートルらしさなのかもしれません!
次に向かったのはチンギスハン博物館。
結構最近できたそうで、建物自体もきれいでした。モンゴルの歴史を日本史で扱うのは、主に元の時代くらいで、あまりよく知らない遊牧民族の歴史というものにとても興味がありました。
歴史はどのように伝えてきたのか。
オーラルヒストリーなのか、文字を使って書き残すのか。
また、遺物などの発掘も遊牧民族であれば、どのように保管をし続けるのかな。
日本とは違う末子相続の遊牧民族ならではの歴史があるのではないか。
勝手に様々な憶測を立てながらその展示物へと向かいました。
初めて知ったのですが、モンゴルの歴史を知るための史資料はそう多くありません。遺物の展示も複数あるが、大体が想像やレプリカ。
遊牧民族が、いかに馬や牛などの家畜とともに、その歴史を重ねてきたかがよくわかる一方で、あまりの謎の多さに興味を持ちました。
日本だと古代に中国から文字文化が伝わったことで、書物に書き残した歴史があります。
例えば『日本書紀』。間違った箇所も多いと言われますが、当時の歴史や政治、社会の動きなどを知る上では重要な参考資料と言わざるを得ません。
ただモンゴルにはそれがないと言うのです。
無い以上、わからない。
わからないことが多いと言うのはロマンが溢れており、想像力をかき立てられます。歴史は中国との関わりから描かれるものが多いようでした。展示されているもののほとんどが、中国の文化と関係するものでした。
チンギスハン博物館のあとは、モンゴルの観光名所?お土産店?として有名なノミンデパートへ。駐車場は、「これ、停めるのはいいけど出られなくない?」という、鮨詰め駐車の状態笑
建物はとても社会主義の色の濃い見た目。
でも、一歩中に入ると、ギラギラ物欲資本主義の世界。。。
なんてギャップ!なんてチグハグ!
堪らなくツボでした。
おすすめされていたハチミツ🍯やカシミヤ製品をゲットし、ホクホク!1日が終了しました😊
日本史が専門ですが、世界史の面白さに目覚める1日でした!!!
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