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私の大きな詰まりが解けてきた話

一番下に追記あり(20234.3.25)

子供が産まれて母と同居することになった。

結婚して別々に暮らしていた期間は、とても大きいもので、久しぶりに一緒に生活するとなんだか色々なことが合わない。


あぁ、そういえば母は心配性で、何でも口出しをしてくる人だった、とか
食に対する考え方が変わって(私の方が)調味料が2倍になったり
久しぶりの1つ屋根の下の生活は、混乱とストレスでいっぱいだった。

そして私は、その気持ちを母に伝えることができなかった。


出かける際に、
どこに行くの?忘れ物はない?と
必ず聞いてくる母。

それが、鬱陶しくてたまらなかった。

私もう子供じゃないよ。
毎回聞いてこないで。
なんで聞いてくるの?

私がはっきり言える人なら、こんなことで悩むこともない。
こんなことって思う人もいるだろう。
こんなことだけど、私には言えなかったのだ。

夫に、同居を解消した方がいいか、と話したこともあった。
「せっかく一緒に住んだんだから。」
「そうしたらお母さんはどこに住むの。」
と夫は母のことを考えてくれる、全くなんて良き夫なんだ。

母に気持ちを話そうとしたこともあった。
でも、イライラしてる延長で話すと、良い結果にいかない気がして、
話すタイミングをつかめずにいた。

こんな日常のことが積み重なって、爆発しそうになっては、色んなツールを試してきた。

潜在意識の書き換えで、このモヤモヤを消してもらったり。
前世まで見てもらって、前世の中で解決してもらったり。

「はい、終わりましたよ」、と言われても、
これらには共通点があって、私にその実感がないこと。
私は何もしてないし、自分で納得して解決してないから、解決しましたと言われてもなんだかすっきりしない。

やっぱ、違うな。なんか違うな。このやり方じゃないかも。だって私何もやってないし。

それで、これかもしれないと思ったのが
友人のセッション。

人は色んな経験や思い込みから作り上げた自分になっていく。
セッションでは、潜在意識(無意識)と向き合うことを繰り返して、ピュアな自分、純粋な本当の私に還っていく


と彼女が説明してくれたように
セッションでは、自分の中のモヤモヤやイライラは何に対してなのか
それは幼少期から、前世からなのか、丁寧にみていく。
そして、前提にどんな感情もOKで、どんな私もOKなんだということ。



もちろん初めは、なんのこっちゃわからず
セッション中も頭で理解しようとするから更に難しく捉えてしまったり。

でも、そこは友人がいつもサポートしてくれた。
同じようなセッションでも、誰がサポートしてくれるのか、ここが1番大事だと思う。
これってコーチングなのかな?と問うと、
そうかもしれないけど、コーチではなく同じ目線でいたいと言ってくれて、
彼女は私の伴走者だと思っている。


まずは、イライラしている自分がいるということを自分で自覚して
(自分を俯瞰して見るということ)
それが何に対してなのか
自分は本当はどうしたいのか
細かいことでも、気のせいにせず立ち止まって見るクセをつけていった。
毎日毎日。

私は、自分の中にいるもうひとりの小さい私に話しかけるというやり方がしっくりきたので、ひたすら自分と対話を続けた。

すると、出てくる出てくる。
今まで向けられてなかった感情たちが、気づいてくれたのを喜んでいるみたいに溢れてきた。

ああ、やっぱり。
そうだったよね。
やっぱ、悲しかったよね、
と話すと涙も溢れてくる。
あゆみさんは、その涙は、『その時泣けなかった涙だよ』、と言ったのがとても印象的で、今でも幼少期のことで涙が出ると、気づいてあげられなくてごめんね、我慢してきたんだねと自分を慰めると余計に涙が出て止まらない。

でもね、これをやるととてもすっきりする。
体でそう感じるから、私にはこれが合ってたし、求めていたんだと思う。

深いものは一度の対話では解消されない。
また同じようなことがあればその都度向き合うようにしている。

この記事を書くにあたって、改めて母とのことを思い返してみた。

小学生の時、母に買ってもらったCDを友人に割られてとても悲しかったこと。
悲しいのは割れたからではなくて、それが母に買ってもらったものだから。

中学生の時、誤ってお弁当をひっくり返されて泣いたこと。
それは、お弁当が食べられないからではなくて、母に作ってもらったものを台無しにされたから。

母の言うことが正しいって思ってたし
いつも子供のために一生懸命な母に無意識ながら応えたいと思っていた。


出かけに忘れ物がないか聞いてくるのは
私は母に信用されてないって感じたから
悲しくてそれが怒りに変わったのだ。

母に認められたい。
できないって思われたくない。
できなくたってそのままの私を認めてほしい。

全てはここからきた感情たち。

『お母さんは私のことどう思ってるの?』

それが聞けたら、次の展開にいけるのはわかってる。
でも、まだ今は聞けない。
あなたはこんなこともできなくてダメね、なんて言うはずがないことはわかってる。でも、今はまだ聞けない。

私はよく言えば優しいんだろう。
こんなこと言ったら傷つけるかもしれない、だから言えなかった。

だから、自分で自分の感情を扱えるようになりたいと思った。セッションを重ねていくと、だんだんと境界線もわかるようになってきた。

母はこう思ってるかもしれない、と考えたりする。
実際どう思っていたとしても、それは母の感情で私のものではない
もう、そこは私の問題ではないのだ。

ここに気づいたら、また自分が拡がっていくのがわかる。

相手のことは変えられない。
だから自分が変わればいい。

この意味がわかるようになった。
相手を変えたいから自分が変わるのではなくて、自分の中に何かあるから相手を変えたいと思うのだと思う。

腹落ちした
腑に落ちた
この言葉を聞くのが苦手だった。
理由はわからなくて、でも、すごく嫌な気持ちだった。
私がそうなりたい、でもなれない、だからそれを使う人に疑いの気持ちがあったのだと思う。

今はどうだろう。
そう言えば、その言葉をあまり耳にしなくなった気がする。
自分の中でこの言葉への疑いがなくなったから聞く必要がなくなったのかもしれない。

セッション開始して約1年。
自分との対話は命が終わるまで終わらない。
だけど、今ここで立ち止まって自分と対話ができるようになったこと、
それをずっとサポートしてくれている友人のあゆみさんには本当に感謝している。





2024.3.25追記

兄やんに園に行く前にお隣に回覧板を渡してくるお願いをした。

回覧板を持たず、車に乗り込もうとする彼に
「回覧板は?」と言うと
「今からする!」と怒り気味に返してきた。

はっ!と我に返る私。

彼は、まずは自分の持ってる荷物を車に入れているところだったのに
「まだ?」と言わんばかりに私が言ったもんだから
腹を立てたのだ。

私が母に腹を立てるポイントと全く一緒で驚いた。
彼の気持ちが、あの時の私の気持ちと一緒で
彼の気持ちが手に取るようにわかった。

あぁ、ごめん。
そうだよね。
こういうところが腹が立つんよね。
母さんも知ってるのに、ごめんね。
でも、それにまた気づかせてくれてありがとう。

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