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勝ったぞ、見てるかー! ~とっておきの名前~(ショートショート)

ムーンストーンが目の前を先頭で駆け抜ける。
栗毛のたてがみを風になびかせながら、尻尾をピーンと一直線にして他の馬たちを外から抜き去った。ムーンストーンが一着でゴールした瞬間、競馬場の観客席から歓声が上がった。
2020年9月、中山競馬場はそれまでの無観客開催から7か月ぶりに観客を来場させた。
この日行われたセントライト記念は3歳馬のクラシック3冠最後の菊花賞へのトライアルレースだった。

ゴール板の目の前で観戦していたぼくは、ズボンのポケットに手を入れた。
たった一枚の馬券を取り出し、それを見つめた。
②ムーンストーン 単勝1,000円
となりで一緒に観戦していた日菜乃が顔を近づけ、長い髪でその馬券をぼくの目から隠した。
「獲ったの! おめでとう」
「うん、ありがとう。でも1番人気だから。日菜乃は?」
「わたしは外しちゃった。それにしてもあのお馬さんはきれいな色だね」
勝ったムーンストーンがただ一頭、ゆっくりとコースを戻ってきた。
ウイナーズサークルで馬主や調教師たちと記念写真を撮るためだ。
騎手が馬の上から首筋を撫でている。栗毛の馬体が夕陽に映えていた。
「そういえば、先週の深夜、火球が落ちたらしいね」
ウイナーズサークルのほうを向きながら日菜乃はボソッとつぶやいた。
「うん、知ってたのか。なんでも関東地方に落ちたとか。千葉県の人がその落ちた隕石を拾ったらしいよ。この競馬場にも落ちてるかもね」
「あっ、見たいな。そこらへんに落ちてないかな」
下を向きながら間違ってあたり馬券が捨てられていないか探す競馬場によくいるおじさんのように、日菜乃は隕石が落ちていないか地面を探し回った。
ウイナーズサークルで記念写真を撮っているムーンストーンと黒いスーツを着た白髪頭の馬主さんをぼくは遠くから微笑ましく眺めた。
「ねえ、悠斗。当たったんだからおごってよネ。はやく換金して乾杯しよう」
隕石探しに飽きたのか、日菜乃は動かないぼくをはやし立てた。
ぼくは遠い目でほほ笑んだ。
「いや、この馬券は換金しない」
「なんで? 当たったんでしょ?」
「当たってもこの馬券は換金しないんだ」
「そっなの」
「この馬券で換金はしないけど、おごってやるぞ。飲みに行くか」
ぼくはずっと握り締めていた馬券を再び見た。
ムーンストーン。
5年前を思い出した。


日曜、リストラされたばかりの高校時代の同級生に引っ張られるように中山競馬場に来て以来、毎週のように、競馬場で彼から競馬を教え込まれた。
「悠斗、このレースはムーンライトソナタっていう馬が勝つから見ていろよ」
同級生がそういうと、なんと後方にいたムーンライトソナタがゴール前で全馬を抜き去った。あまり人気がなく、その馬券は万馬券となった。
「よっしゃー! ほら勝っただろ。きょうはこれでおごってやるぞ。また帰りに乾杯しようぜ」
「すげーな、今の。ほかの馬が止まって見えたよ」
「そうだろ。あの馬はすげーんだ。俺、あの馬の馬主さんを応援してるんだ」
「そうなんだ。なんていう馬主さん?」
同級生が競馬新聞の一か所を赤のボールペンで指しながら見せてきた。
「あっ、つきいしさん? おまえと同じ名前だ」
「そう、月石だ。自分と同じ名前の馬主さんがいることを発見してから応援するようになったんだ」
「なるほど」
「悠斗、なにか気づかないか? さっきのムーンライトソナタで」
「あっ、月だからムーンか」
「そうなんだ。この月石さんは持ち馬の馬名にかならずムーンをつけるんだ。これまでにムーンウオーク、ムーンサルト、ムーンフィッシュ、ムーンミルクって」
「へー。そりゃ自分の名前を入れるくらいだから思い入れが強くなるよな」
「そうだ。でもな、今までの馬の中にじつは月石さんが一番期待できる馬はまだいないんだ」
「えっ、なんでわかるの?」
「わかるとも」
同級生の右の口元が上がり、えくぼが見えた。
「調教師から『この馬でダービーを目指しましょう』と、太鼓判を押された若い馬が出てきたときこそ、「月石」ムーンストーンって名前にするはずだろ。来る時までとっておきのムーンストーンという名前は空けてあるんだ」
「ふーん、なるほど」
「ムーンストーンという名の馬がデビューしたら、俺は単勝馬券を買い続けて、ダービーを勝っても換金なんかしない。家宝にするんだ。そのときは悠斗、また乾杯しような。別の当たり馬券で」
「ムーンストーンかぁ」


ぼくは同級生だった月石君の希望に満ちた顔を思い浮かべた。
彼は4年前にバイクの事故で亡くなっていた。
ちょうど月石君と入れ替わりでムーンストーンがこの世に生を受けた。
ダービーには間に合わなかったが、きょうムーンストーンがセントライト記念を勝った。
ウイナーズサークルでは満面笑みの馬主月石さんと、夕陽で光る栗毛馬ムーンストーンが記念写真に納まっている。
目をつぶると、三冠最後の菊花賞でムーンストーンが優勝するシーンが見えてくる。
「悠斗、どうしたの? ほらっ」
日菜乃がハンカチを渡してくれた。


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