父とビールにまつわる思い出

 僕が子供の頃、父親が飲むビールは、決まってキリンビールだった。冷蔵庫にはいつもキリンラガーの大びんが数本冷えていた。

 まだ、大型量販店が普及する前で、近所の酒屋のおじさんが24本入りのビールケースを家まで配達してくれていた。

 僕が小学生の頃、父親は酔っぱらうと、いつも少しだけビールを飲ませてくれた。泡の部分を恐る恐るすすって、「にがっ」という僕を見て笑っていた。そんなやり取りがうれしくて、僕は「こんな苦いのよう飲めるな」と言いながら父親のビールをもらっていた。

 僕が高校生の頃、世間ではアサヒ「スーパードライ」が発売され、大ブームとなっていた。父親に「スーパードライにせえへんの?」と聞くと、「キリンのほうがうまいねん」と言っていた。自分の好みには頑固な父親であった。

 そんなある日、学校の行事が中止となり予定外に早く家に帰ってきた僕は、そっと冷蔵庫を開けて、キリンビールの大びんを1本取り出した。17歳になった僕は、たばこには全く興味がなかったが、ビールには興味が湧いていた。父親がいつも「一口だけやぞ」と言いながらくれるビールを1本まるごと飲んでみたかった。

 ひっそりとした家の中、自分の部屋で1人、BON・JOVIを聴きながら、ビールの栓を開ける。そして、手酌でコップに注ぎ、一気に半分ほど、よく冷えたビールを飲み干した。つまみはない。

 正直、おいしいとは思わなかったが、それは大人の味、大人の世界であった。無理やり大瓶一本を飲んでしまうと、頭がふわふわしてきた。「ああ、これが酔っぱらうということか」と思った。

 何事にも今よりも寛容だった、80年代の話である。

 大学生になると、バブル真っただ中の繁華街で、サークルやコンパで飲み歩いた。一気飲みもさせられた。お酒に強いのが自慢だった。

 まだ、お酒の味が好きというよりも、その場の勢いで飲んでいた気がする90年代前半である。

 たびたびお酒に飲まれて夜遅く帰宅した。時にはトイレにこもって吐いたこともある。そんなとき、父親はどんなに遅い時間でも何も言わずに、背中をさすってくれた。父親の大きな手が優しかった。

 社会人となって初めてもらった給料で、両親を連れて居酒屋に行った。生ビールで乾杯した父親はすごくうれしそうだった。そして、僕は初めてビールを「美味しい」と思った。

 あれから20数年が経ち、70代となった父親は体を壊し、ビールを飲むのをやめている。それでも、僕が帰省すると一杯だけ飲もうかなと言って、おいしそうにビールを飲む。

 大人になった僕は、どんなお酒よりもビールが大好きで、キリン・一番搾りを愛飲している。老いた父親とビールを飲むとき、僕は決まって、これまでのビールにまつわる父親との思い出を思い出す。。年に数回しか帰れず、帰るたびに老いが目立ってきた父親がおいしそうにコップ一杯のビールを飲むのを見ると、いつまでも元気で、こうして一緒にビールを飲みたいと思う。

 今年はコロナウイルスの影響で帰省できないが、今度、帰ったときには、また、父親と向かい合って乾杯したい。


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