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僕の哲学入門

 哲学が分からないけど、面白い。

 僕が哲学に興味を持ったのはいつだったろうか?

 あれは今から20年ほど前、僕が東京で働いていたときだった。その頃のオフィスには図書資料室があって、そこに雑誌「文藝春秋」や「中央公論」などが並んでいた。僕は仕事の合間の気分転換に、よくその資料室で雑誌をペラペラめくっていた。

 そんな時にふと目についたのが、「中央公論」に掲載されていた作家の保坂和志さんと哲学者の木田元さんの対談だった。

 保坂さんの小説「季節の記憶」が谷崎潤一郎賞を受賞したことを記念した対談だったと思う。

 保坂さんと木田さんは、保坂さんが西武百貨店でイベント企画の仕事をされているときに、哲学のセミナーを依頼されたのがきっかけで知り合われたと記憶している。

 僕はそれまでお二人の存在を知らなかったが、「季節の記憶」という小説のタイトルに興味を惹かれて記事を読み始めた。

 記事の内容はあまり覚えていないが、お二人の出会いから哲学の話、「季節の記憶」執筆の話が中心だったと思う。その頃、なんとなく哲学に興味のあった僕は、お二人の存在に興味を持った。

 そんなときにちょうど出版されたのが、木田元さんの著書「わたしの哲学入門」(新書館)である。木田さんは敗戦後の焼け野原で生き延びるために、テキ屋や闇屋をやりながら、ドストエフスキーに出会い、そこから哲学に近づいていかれたというちょっと変わった経歴をお持ちである。


 「わたしの哲学入門」は、その頃の思い出話から話が始まり、ハイデガーの「存在と時間」を読むことを目標に、いかにして木田さんが哲学を学んでいったかというお話のなかで、プラトンからニーチェまでの哲学の流れを分かりやすく解説した名著である。

 若かりし僕は、「わたしの哲学入門」を非常に興味深く読んだ。特に、木田さんの生きざまにとても感動した。でも、プラトンからニーチェに至る哲学の話は、半分も理解できなかった。読み終えるのにも時間がかかり、読み終えたとき、すごく疲れたのを覚えている。

 そんなに苦労して読む必要もないんじゃないかと思われるかもしれないが、僕はそのとき、今は分からないけど、この本には、僕にとってとても大事なことが書かれていると感じた。そして、この本の内容を理解できるようになりたいと思った。

 あれから20年、僕は「わたしの哲学入門」を4回ほど読み返し、ドストエフスキーを読み、保坂和志さんの小説を読み、他の哲学書も読んできた。

 今、どれくらい理解できただろうか。まだまだだと思う。

 保坂和志さんは「書きあぐねている人の小説入門」(中公文庫)の中でこんなことを書いておられる。

「哲学とは思考を重ねていくものだけれど、最後に”答え”が書いてあって、そこに向かって思考していくわけではなくて、その思考のプロセス全体が答えになっているようなものなのだ。」

 この一文を読んで、僕は少し哲学のことが分かったような気がした。

 簡単に理解できる文章は自分の知っていることが書かれているから気持ちよく読めるんだと思う。でも、小説でも評論でも哲学でもそうだが、簡単に理解できない作品の中には、僕の知らない大切な何かが潜んでいる。特に古典的名著と呼ばれる作品であれば、なおのことそうだろう。

 僕が哲学を理解したいと思って、いろんな本を読み、考える。その思考のプロセスが哲学であり、そこに答えはないんだと考えたら、とても楽しい。

 少なくとも、高校時代、「カントは「我思うゆえに我あり」と言った人で、ヘーゲルは・・・」と延々、超しょうもない授業を展開されていたあの先生は哲学になんて興味なかったんだろうなと思えてしまう。

 先生も大変ですねと、同情したくなり、クスッと笑えてくる。

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