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【サイアノ(日光写真)に挑戦】プルシアンブルーの世界に宿るもの

こんにちは、UMA(ゆま)です。製本に関する投稿が続いていましたが、ひさしぶりに写真の話をさせてください。

私は2011年の東日本大震災以来、福島で写真を撮影、発表してきました。この1年は現地には行っていないのですが、終わりにしたというわけではなく、ここまで時間が過ぎたところで、もう一度、これまでの写真を見直したいと思っていました。

写真家の中には「作品は一度発表したらもう終わり。次を撮らないと」という人もいて、それもわからないわけではありません。でも、しつこいだけかもしれませんが、福島を撮った、撮らせてもらったということで託されたものを、私はまだ果たせていない気がしているのです。

これまでの撮影については、震災から12年目を迎えた昨年、一度書かせていただきました。よろしければご一読ください。

その中でもお話しさせていただいたのですが、これまで4つのシリーズを発表した中で3作目からは上川崎和紙という福島県二本松市で漉かれている和紙に乳剤を塗布して、暗室でプリントしています。(私は今でも作品撮影にはフィルムを使っています。カメラはCONTAX645です。)

その理由はというと、普通の印画紙では、撮影中に自分が対象物から聞いた声のようなものが宿らない気がしたからです。私はたいていは人がいなくなったところで撮影していたので、対象物は風景や残されたものということになりますが、そういう中に佇んでいると、声ならぬ声が聞こえてきます。私はそれをできるだけ自分を介在させずに、写真にしたいと思っていました。

そこで、土地の楮、土、水、光の産物である地元の和紙を使う、つまり土地の持つ力を借りることを思い立ったのです。実際、こうして暗室から生まれた写真は自分のスキルやコントロールを超えていて、これでいいのだと思うことができました。

前置きが長くなってしまいましたが……。

そう思いながらも、同じ和紙を使ってもうひとつ、前々から試してみたかったのが、サイアノタイプ、いわゆる青写真日光写真です。処理剤を塗布して、日光で露光するだけの古典的な手法。これなら介在させるものが少ないぶん、さらに私の存在を消せるのではないか。

なかなか実行に移せなかったのは、暗室作業が好きすぎる(笑)からにほかならないのですが、ずっと気になっていたので、ついに重い腰を上げてやってみました。まだ、数カットしかテストしていませんが、こんな感じになりました。

つまるところ「ベタ焼き」なので、結構細かいところも出る。黒つぶれ(青つぶれ?)はそれほどないけど、白が飛びぎみ?<写真は、幼稚園の庭にあった遊具>
紙の柔らかい感じもまあまあ出ている。<写真は、幼稚園の講堂に積まれていたティッシュで作った花。翌日が卒園式らしかったので、その飾りつけ用だったのかも>
窓の外はネガを作る段階で少し調整。<写真は、小学校の教室。ちょうど下校準備をしているところだった>
ボケの感じも悪くない。<写真は、人がいなくなっても毎年咲く桜>

想像はしていたものの、暗室で銀塩プリントするのと違って、あまりにもプロセスがシンプルなので、なんだかさびしさも覚えましたが、それこそ自分で手をかけられない、かけていないことのしるしであって、それなら本来の意図は叶えられていたともいえるのでしょう。

処理剤は、Jacquard Cyanotype setを使用しました。粉末状のヘキサシアノ鉄酸カリウムとクエン酸鉄アンモニウムが別々のボトルに入っていて、それぞれに精製水を入れて希釈、使用する時に混ぜ合わせます。ネガは、フィルムをスキャンして、ピクトリコプロ・デジタルネガフィルム TPS100で作りました。

サイアノタイプのお道具

水洗後は、オキシドールに漬けるという方法もあるようですが、それは一気に青を深めるためとサイアノタイプセットには書いてありました。放置しておいても、24時間以内に最終的な青に達するとのこと。今回は両方とも試しましたが、放置しておいた方が、最終的な青の濃度は濃い気がしました(いろいろ条件が一定ではないので、定量的なことは言えませんが)。上にあげたのはいずれも水洗のみで自然乾燥させたものです。

サイアノの青色の出方は、紙に依存するところが大きいそうで、上川崎和紙では瑠璃色と群青色の間のような色になりました。プルシアンブルーというらしいです。

お茶などで調色ができるのもサイアノの面白さらしいのですが、福島の写真については、サイアノにする理由が「できるだけ手を加えないこと」なので、今のところはやらないつもりです。(とはいえ、ほうれん草の茹で汁で調色すると灰青色になるということも聞いたので、別の機会に試してみたいです。)

いま考えているのは、もう少しテストして調子が掴めたら、紫外線が強くなったころに福島の光で露光すること。できれば海辺で。結果として、おそらく何が変わるわけでもないのですが、「表現しないこと」を表現とするなら、そのための労力としての行為はまた別にあっていいのかもしれません。実現する方法を探りたいと思っています。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。製本スキルを上げたいとか、ひとり出版社を立ち上げるとか言いながら、写真もまだまだやり残していることがあります。また見ていただければうれしいです!

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