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正論が通用しないとき

今日の出来事

正論は必ずしも正解にはならない

補足(それは自分にとってどんな意味がある?)

過去の成功事例やセオリー、世の中で広く実用されている考え方を「正論」と定義するとする。
仕事でいろんな立ち場や役回りの人と話していると、
こういった「正論」よりも、当人の意見や感情を優先してしまい、
意見が噛み合わないことがある。
個人の小さな経験値や感情よりも、
過去に一定の成果を出した頭のいい人のやり方を真似ればいいのにと思うのだが、
どうしても人は、自分が思いついた意見に固執してしまう。

そうか!(気づいたことは何?)

というか、僕も「僕の意見は、過去に成功してるが見つけたセオリーだからやるべき」という意見に固執してるんだけどね。
そう考えると、「この場でお互いの意見をまとめるための案」というのが今の僕らにとっての「正論」になる。
これを創りださないといけない。
重要なのは、僕が知ってる「正論」を実行することではなく、
僕らに必要な「正論」を見つけ出すこと。

やってみよう!(自分ならどうする?)

自分の知っている知識やノウハウが活用できないのであれば、
引っ込めることも大事。
固執してはいけない。

参考:『1行書くだけ日記 』伊藤羊一

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