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<UMA遺産 第12回>凶事予言獣として江戸時代からの目撃情報を持つ「件(くだん)」のルーツ~京都府宮津市倉梯山(倉橋山)エリア

UMA(未確認生物)出現が噂されるミステリアスなエリアを、UMAゆかりの聖地として、「UMA CREW PROJECT」が独断と偏見で選定、紹介する「シリーズUMA遺産」。第12回目は・・・・。

「件」

「件」~「けん」ではなく、「くだん」と読む。よく「くだんの件」などと言うが、「いつもの、例のこと」のような意味合いで、実はよく使われている漢字と同じ名前のUMA(UMAの中でも妖怪カテゴリーに分類される)が、日本古来から実在している(今も?)ようで、今回はこの「件:くだん」に関する歴史と謎を掘り起こしてみたい。

「件:くだん」という字は、「人」+「牛」の字から構成されているが、今回のUMAは、文字が表している通り、人と牛の合体版であり、人面牛、半人半牛、牛面人など、様々な説が浮上している。
古く(江戸時代後半)からの言い伝えでは、牛の体と人間の顔の妖怪であるとされるが、逆に人間の体と牛の頭部を持つとする、という説も明治時代に生まれた。また、第二次世界大戦の頃には、牛の頭をした女性「牛女」が現れるなどの都市伝説化もあったという。

幕末の頃の伝承では、牛から生まれる奇獣、または人と牛との合の子あいのことされている。人間の言葉を話し、生まれて数日で死んでしまい、その短い間に作物の豊凶や疫病、旱魃かんばついくさなど、世の中の不吉とされる出来事が起こる予言を行う。
そして、その予言は、ほぼ間違いなく的中すると言われており、普段から「件:くだん」の絵を家の中などに貼っておくことで、厄除招福のお守りになるとされてきた。
一方、別の伝承では、必ず当たる予言をするが、その予言の直後に死んでしまう、とされる言い伝えもある。また、歴史的な大凶事の前兆として生まれ、数々の予言を行い、凶事が終われば死ぬ、とする説もある。

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様々なイラストレーターが想像する「件:くだん」
①:ホルヘルイス氏

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様々なイラストレーターが想像する「件:くだん」
②:acworks氏

関西圏/西日本を中心に全国各地で目撃情報の絶えない「件:くだん」の存在

この「件:くだん」は、19世紀前半となる江戸時代の1836年(天保七年)に、丹後国倉橋山(今の京都府宮津市倉梯山)にて、目撃されたことが当時の瓦版で伝えられたことで、広く人々に知れ渡るようになったという。

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現代文風に訳してみると、下記のような主旨となっている。

“大豊作を知らす件(くだん)という獣(けだもの)なり 丹後の国与附郡 なにがし版
天保七年申年十二月、丹後国倉橋山の山中に
図のような身体は牛、顔は人に似たる件(くだん)と言う獣が現れた。
昔、宝永二年酉の十二月にもこの件は現れ、その翌年より豊作うち続きしと、古き書々に見えたり。
もっとも件という文字は、人偏に牛と書いて件と読ますなり。
至って心正直なる獣なり。ゆえにすべて証文の終りに件の如しと書くこともこの由縁なり。
○この絵図を貼り置けば、家内繁昌して病を受けることもなくなり、
一切の禍を免れ大豊年を守る、誠にめでたき獣なり。“

この瓦版では、天保七年の出現以前となる、宝永二年十二月にも「件:くだん」は、現れたと書かれている。宝永二年とは、1705年で江戸幕府第5代将軍徳川綱吉時代であり、この頃が目撃情報のルーツと言えよう。

関西圏に加え、西日本でも多い目撃情報を整理すると下記のようになる。

◆1705年(宝永2年) 徳川綱吉時代
丹後国倉橋山(京都府宮津市倉梯山)に現れ、その翌年からの豊作を予言。

◆1819年(文政2年) 徳川家斉時代
毛利家文庫「密局日乗(みっきょくにちじょう)」の日記によると、防州上ノ関(山口県上関町)の民家の牛から生まれた、人面牛身の子牛が「件:くだん」と名乗り、豊作とその後の兵乱を予言したという。

◆1827年(文政10年) 徳川家斉時代
越中国立山(富山県立山)に、人獣(人面の獣)が現れ、厄を避けるにはその肖像を貼れと言い残した。現れたのは「件:くだん」ではなく、地元では「くだべ」と呼ばれる山の精とも言われている。くだべは「これから数年間疫病が流行し、多くの犠牲者が出る。しかし、自分の姿を描き写した絵図を見れば、その者は難を逃れる」と予言したという。

◆1836年(天保7年) 徳川家斉時代
上記瓦版にある通り、丹後国倉橋山(京都府宮津市)の山中で出現。この頃には、天保の大飢饉が起こっており、「豊作への期待を持ちたい」という希望の現れではないかとも考えられる。

◆1867年(慶應3年) 徳川慶喜時代
4月に発行された瓦版「件獣之写真」によると、“出雲(島根県)の田舎で「件:くだん」が生まれ、『今年から大豊作になるが、初秋頃より悪疫が流行る』と予言して3日後に死んだ”という。この瓦版には「この瓦版を買って家内に貼り、厄除けにして欲しい」として、人面牛身の件の絵が描かれている。

◆1909年(明治42年)
「名古屋新聞」によると、10年前に長崎県の五島列島の農家で、家畜の牛が人の顔を持つ子牛を産み、生後31日目に“日本はロシアと戦争をする”と予言をして死んだという。この子牛は、剥製にされて長崎県 長崎市の八尋博物館に陳列されたものの、現在では博物館はすでに閉館しており、剥製の行方も判明していないとの事。

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日露戦争を予言したとされる長崎県五島列島の「件:くだん」

◆1930年(昭和5年)
香川県で、森の中にいる「件:くだん」が、“間もなく大きな戦争があり、勝利するが疫病が流行る。但し、この話を聞いて3日以内に小豆飯(あずきごはん)を食べて、手首に糸を括ると病気にかからない”と予言したという。満州事変や日中戦争を、予言したということなのだろうか。昭和時代には、「件:くだん」の絵に御利益があるという説は後退し、戦争や凶事への予言獣としての色合いが濃くなっていったと考えられる。

◆1943年(昭和18年)
山口県岩国市のある下駄屋に「件:くだん」が生まれ、「もうそろそろ戦争が終わる」と予言したと言う。

◆1945年(昭和20年)
愛媛県松山市などで、“神戸に「件:くだん」が生まれ、『3日以内に小豆飯か、おはぎを食べた者は空襲を免れる』と予言した”という噂が流布したという。このように、第二次世界大戦中には戦争や空襲などに関する予言をしたという噂が多く流布した。


江戸時代より、飢饉、疫病、戦争といった凶事の局面に姿を現し、または生まれ、次の時代を予言して去っていく。但し、加護の印として姿は残していく。まさに幻のUMAとは、「件:くだん」を指すのだろう。

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水木しげるロードに設置されている
「くだん」のブロンズ像 ※Wikipediaより


日本三景の一つ「天橋立」に程近い、京都府宮津市「倉梯山」

長きに渡り、日本中を騒がせてきた「件:くだん」だが、そのルーツは丹後国「倉橋山」、今の京都府宮津市「倉梯山」であろうと言われている。宮津市と言えば、日本三景となる「天橋立」で有名な観光名所の街でもあるが、そのほど近い場所に「倉梯山」はある。標高92mと非常に低い山であり、頂上から近い麓から頑張れば、5分で頂上にたどり着ける。但し、一面薄暗い原生林が続くので、低い山なのに獣や熊でも出没しそうな山の様相である。

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「天橋立」この写真のもう少し左側に「倉梯山」はある
※wikipediaより

宮津市の観光名所として、「天橋立」があまりに有名であるからか、「倉梯山」は決して目立つ存在ではない。しかし、この鬱蒼とした誰もが登りやすいながらも、獣の存在を感じずにはいられない、不思議な空気感がひょっとすると「件:くだん」を、おびき寄せたのかもしれないとも感じる。それとも、この奇妙な空気感を、醸し出している存在そのものが「件:くだん」なのかもしれない。そう、この近くに「件:くだん」は潜んでいるのである。

大きな天災の前には、古の昔より人の顔をした牛のような妖怪「件:くだん」が、出現すると言い伝えられてきた。災いが起こる前に牛から生まれ、予言を残し人々を救い、風のように去っていくと言われており、近年では、あくまで噂の域を出ないが、阪神淡路大震災や東日本大震災の際にも出現したとされている。
つまり、現代においても出没の噂が絶えない存在、それが「件:くだん」なのである。

さて、お届けしてきた「件:くだん」いかがだっただろう。
関西圏や西日本各地で目撃されている、予言獣でもあるUMAだが、そのルーツである「倉梯山」は、「天橋立」の存在の陰で、ひたすら控えめな存在でありながら、その不思議な空気感漂うまさにミステリーゾーンであると思う。
この「京都府宮津市倉梯山(倉橋山)エリア」をUMA遺産として認定したい。
日本三景「天橋立」を訪れた際には、是非とも目と鼻の先に、ささやかに鬱蒼とそびえる「倉梯山」にも、登ってみてはいかがだろうか。


なお、倉梯山へのアクセスは下記の通り。

京都府宮津市須津
アクセス WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)宮津線「岩滝口駅」から徒歩10分


UMA遺産_件くだんMAP




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