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<UMA遺産 第11回>鎌倉時代、牛鬼が現れ牛玉を落としていったという伝説の神社~東京都墨田区 隅田公園/牛嶋神社エリア

UMA(未確認生物)出現が噂されるミステリアスなエリアを、UMAの聖地として、「UMA CREW PROJECT」が独断と偏見で選定、紹介する「シリーズUMA遺産」。第11回目は・・・・。

「牛鬼」

牛鬼は、主に西日本の四国地方にて伝説とされている妖怪で、海岸や浜辺、湖畔、沼地などに生息し、姿を現わしては浜辺を行く人々を襲うとされている。日本各地で伝承があるが、その多くは非常に残忍かつ獰猛な特徴を持ち、時には毒を吐き人を食い殺すと伝えられている凶暴な妖怪とされる。

牛鬼の外見については伝承によって異なるが、最も有名なのは、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」や、TV番組「仮面ライダーディケイド」などにも登場する、鬼と牛をミックスさせたような頭部に、蜘蛛のような胴体、手足には鋭い鎌、もしくは角のようなものが生えているビジュアルではないだろうか。その見た目の特徴からか、同じく凶悪な妖怪である土蜘蛛と間違えられることもあるようだ。見た目からしても、恐ろしい形相かつ、暴力的な未曾有の妖怪と考えられる。

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佐脇嵩之『百怪図巻』の「うし鬼」

山陰地方の島根県の伝説では、牛鬼が人を食い殺すために、妖怪「濡女 ぬれおんな」と手を組んで襲ったとされる。浜辺で、濡女 ぬれおんなが人に声をかけ、「赤ん坊を抱いていて欲しい」と言いながら呼び止めて、頼まれた相手が赤ん坊を抱くと石のように重くなり身動きが取れなくなる。その隙に牛鬼に食い殺されるというものだ。
そして、何よりも不気味なのが、牛鬼は人間の影を食べていたとされていることだ。厳密に言うと食べていたというより、影をなめていたらしい。その人間は、間もなく死んでしまうと言い伝えられており、人間の魂を吸い取る存在として恐れられていた。

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鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「牛鬼」


浅草、隅田川界隈に伝わる「牛御前伝説」が牛鬼のルーツ?

室町時代から語られたという「牛御前伝説」によると、平安時代の武士、源満仲に牛のような顔をした娘が生まれ「牛御前」と呼ばれたそうだが、満仲はこの娘を好きになれず、殺すように命じた。しかし、命じられた女官は娘があまりにかわいそうだったので、山奥でひっそりと育てた。そうして、牛御前は力強く育った。
一方、この事を知った父は怒り心頭し、息子で牛御前の兄弟でもある、妖怪退治で名を馳せた源頼光に、やはり殺すよう命じた。命を受けた頼光は、牛御前を追って関東に攻めてきた。結局、牛御前は追い込まれ、隅田川に身投げをした。ところが牛御前の無念はそこで収まる訳もなく、巨大な牛鬼へと変身し、頼光軍と戦ったという。
この「牛御前伝説」から、牛鬼は人々に恐れらる存在になった。このあたりの伝説から、浅草にはしばしば牛鬼は出没しているようで、そんな浅草と東京スカイツリーの間に位置する「牛嶋神社」には、牛鬼が落としていった牛玉が社宝になっている。

牛嶋神社1

牛嶋神社


牛鬼が落としていった牛玉を社宝とする「牛嶋神社」

日本屈指の観光エリアである浅草・東京スカイツリー界隈。ここにも、昔から言い伝えられるUMA伝説が存在した。
浅草から、言問橋を渡ってすぐ、スカイツリーからは西側へ道なりに徒歩5分の場所に、伝説の地があった。
「牛嶋神社」は、約1200年の歴史を持ち、その名の通り、牛にゆかりのある建造物や、数々の伝説のある墨田区の鎮守として、親しまれている神社である。
御祭神は、ヤマタノオロチ退治で有名な須佐之男命スサノオノミコト天之穂日命アマノホヒノミコト貞辰親王命サダトキシンノウノミコトで、貞観二年(860)に、第三代天台座主の慈覚大師(円仁)が、御神託によって須佐之男命スサノオノミコトを郷土の守護神として、勧請し創建したと伝承されている。

平安時代後期の1180年(治承四年)、源頼朝の大軍が洪水で隅田川を渡れずに立ち往生していた際、武将の一人・千葉氏中興の祖とされる武将、千葉常胤ちばつねたねに、牛嶋神社へ祈願させたところ水が鎮まったという。
このことから、源頼朝は寄進を行い、牛嶋神社は大きく発展した。さらに、墨田区の総鎮守だったこともあり、長年に渡り隅田の地域全体の崇敬を集めている神社となっている。

また、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には以下の伝承が記されている。
”1251年(建長三年)、「浅草寺」に「牛のごとき者」のような妖怪が現れ、食事中だった僧侶たち24人が悪気を受けて病に侵され、7人が死亡した。その後、牛鬼は浅草川(今の隅田川)を渡って、牛嶋神社を走り回り、後に社宝となる「牛玉」という玉を落としていった。やがて、牛鬼は神として祀られ、この牛玉は神社の社宝となった。“という。

江戸時代には、葛飾北斎が巨大な絵馬「須佐之男命厄神退治之図すさのおのみことやくじんたいじのず」を奉納した。現物は残念なことに、1923年の関東大震災で焼失したものの、現在は復元した原寸大パネルが展示されている。
関東大震災で焼失する前、牛嶋神社は墨堤常夜燈の東側に位置していた1923年(昭和七年)に隅田堤の拡張により、現在の場所に再建された。

牛嶋神社2

明神鳥居の両脇に小さい鳥居が合体した特殊な三ツ鳥居みつとりい

牛嶋神社パネル

葛飾北斎が巨大な絵馬「須佐之男命厄神退治之図すさのおのみことやくじんたいじのず」に関する記述


牛に纏わる数々の建造物

牛嶋神社では、牛鬼は神として祀られ、牛鬼が落としていったという牛玉を、社宝としているだけあって、牛の建造物が目立つ。本殿を守る狛犬ならぬ狛牛|《こまうし》が印象深い。神の使いとしてふさわしい風貌で、堂々としたポーズに、眼力の強さ、さえ感じることができる。

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狛犬ならぬ狛牛

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狛犬も本殿を守る

また、境内には「撫牛なでうし」像もあり、ご利益としては心身回癒が挙げられ、自分自身の悪いと思われる部分と同じ部分を撫でることで、病気が治ると言われている。
また、心の治癒にも効果があるとも言われていて、「牛御前伝説」にしても、牛鬼に関する数々の出没エピソードを総合してみると、中世の昔から江戸時代も、牛に対する信仰が篤かったことから、古の時代のUMA伝説の主人公として扱われる機会も多かったのではないだろうか。

撫牛

撫牛像

さて、お届けしてきた「牛鬼」如何だっただろうか。
古の時代の伝説から、人々の信仰の裏返しが、ひょっとするとUMAの存在なのかもしれない。UMAの現れる異界は、牛嶋神社エリアに存在していると想定し、この「隅田公園/牛嶋神社エリア」をUMA遺産として認定したい。

牛嶋神社MAP


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「UMA CREW PROJECT」がプロデュース
イラストレーター sachiさんに
描いて頂いた牛鬼!
sachiさん(https://twitter.com/sachi_chiko




浅草や東京スカイツリーに訪れた際には、是非とも足を伸ばして「牛御前伝説」/「牛鬼伝説」を感じて、牛嶋神社をお参りしてみて頂きたい。

なお、牛嶋神社へのアクセスは下記の通り。

東京都墨田区向島1-4-5
アクセス 都営浅草線「本所吾妻橋駅」から徒歩5分 or 東武スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー駅」から徒歩5分




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