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#自己紹介1 (誕生〜1回目の退職)

プロフィール
1964年、東京オリンピックの年の暮、大阪の街中で生まれる。
幼少期、近所の駄菓子屋でタダで仕入れた仮面ライダースナックを近所のおばあちゃんに売りつけ、商売に目覚めるが母親にひどく怒られる。(返金)
教育熱心な母のもと、玉造にある阪神受験研究会に通い、コカコーラとたこ焼きの買い食いを覚える。
中学受験で甲陽学院に入学、中高6年間男子校で暗黒の時代。一番の親友はBisexualだった。(私はストレート)
京都大学法学部にギリギリ合格し、初日のオリエンテーションで法曹界は断念。銀閣寺近くの4畳半一間の下宿で楽しい学生生活。
1987年、バブル絶頂の頃、社員数30万人の通信会社に入社。データ通信事業本部公共事業部に配属され、文系SEの道へ。(情報処理技術者1種)
有楽町西九号庁舎で30時間ぶっ通しで働いて、映画館で2時間仮眠、1ヶ月家に帰れず、の無茶な生活を若さと無知で続ける。が、検査で肺気胸で緊急手術となり1週間強制入院。
それまで1日も休めなかったのが、突然1週間休んでしまったのに、会社が潰れる訳でもなく、復帰後も同じルーチンが始まっただけだったことをきっかけに自分働き方改革に目覚める。
激務の傍ら、留学制度に応募し、社費でMBA留学させてもらう。
1996年、NY州ロチェスター大学サイモンビジネススクール入学。人生で一番勉強する。
帰国後、豊洲に移った本社ビルで戦略企画、営業企画、法務の3つの肩書で再び激しく働く。そんなある日、やっぱり帰れない残業の夜、ふとトイレの窓から石川島播磨のタンカーを見たとき、夢を見た。
(都会の高層ビルで夜通し働く仕事もあれば、太平洋を何日も航海して働く仕事もあるんだなあ。きっと時間の流れも違うんだろうなあ…)
それだけが理由じゃないけど、11年勤めた会社を退職。(留学のお金は返金)
不安と期待の第二章へ…

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京都北部の山あいの小さな集落にただ1軒の小さな百貨店から田舎の日常を書いています。子供達に豊かな未来を残すためにサポートよろしくお願いします!