見出し画像

ローカルツアーの新しいかたちを考える

都会を離れ、京都北部の田舎にやってきて10年。
田舎暮らしに憧れて来た訳じゃないけれど、やっぱり田舎には暮らしがあり、都会に比べると「暮らすところ」だなあと感じるようになった。

世間はGW真っ只中。
都会にいたときは、まとまった休みがあると都会を離れ、自然を求めて旅に出かけていた。(ボルネオだったり、アラスカだったりするけど。)
都会のオフィスビルの中でPCに向かう仕事だったので、特に休みの日ぐらいは自然に触れたいと本能が働いたのかもしれない。

そもそも人は旅に何を求めるのだろう?
非日常?
発見?
癒やし?
ごちそう?
求めるものは人それぞれだろうけど、どれも間違いじゃない。
田舎にいると、実はどれもまわりに普通にあったりする。
都会にはない、非日常も、発見も、癒やしも、ごちそうも、田舎には普通にある資源だ。
だからその資源を活かしたローカルなツアーをどの地域も競って開発し、PRするのは自然なことだと思う。

田舎暮らしにも慣れてきた5年ほど前、私も都会にはなかった自然や食、伝統、体験など、様々な地域の資源をこの地域の観光に活かさない手はないと思った。
でも、自然を求めて出かける旅がボルネオやアラスカだったりするひねくれ者の私なので、普通のローカルツアーのアイデアじゃつまらなすぎた。

いま暮らしている地域は、自然も、食も申し分なく素晴らしいし、この素晴らしさをまだ知らない都会の人に知って欲しいし、来て欲しいと思っている。
といって、ここが有名な観光地になって、大勢の観光客が大型バスでやってきて、ガイドについて名所を回るようなツアーに組み込まれるのはちっともいいと思わない。
そういうツアーをツアー1.0とすると、体験を売りにするツアーはツアー2.0だ。ただ名所旧蹟をガイドに従って回るだけじゃなく、その土地でしかできないことを自分でも体験できるツアー。何年か前は、観光系コンサルが全国で、そこにしかない体験型ツアーの企画開発を競ってやっていたと思う。

でも、ひねくれ者の私にはメニューと料金表が決まっていて選べるような体験型のツアーでも満足できない。
地域での普段の暮らしは、いつでも旅行者が来たときに都合よく体験できたりしないもののはずだから。擬似的に普段の暮らしを体験させてくれるのがメニュー化された体験だからそれはそれで意味はあると思うのだけれど、それでもきっとこの日々の暮らしから得られる田舎体験は難しいんじゃないかなと思う。

普段の暮らしそのものの体験を提供できないかなと思い、描いたのがツアー3.0。普段の暮らしは、いつもいつも田植えや蕎麦打ち、ばらずし作っている訳じゃない。だから体験のメニューは作れない。旅行者がその土地を訪れたその瞬間の出逢い、出来事をありのままに楽しんでもらうのがツアー3.0。観光客を満足させるようなイベントも特別な疑似体験もない。代わりに雨が降っていたら降っていたなりの、なにもない日ならない日なりの、たまたま訪れた日に切り取られた普段どおりの本物の田舎の暮らしを体験できる。

でも、これも結局は成り立たない。貴重な休みの時間を費やして、わざわざどこかに旅行に来た人はやっぱり何かを期待してしまうのだ。なにかその地域が驚きやステキなことを提供してくれるはず、という期待が根底にある。
ひねくれ者の私でも、そうじゃない人も楽しめるローカルなツアーってないのかな。

「来た人自身が、自分で勝手に見つける旅。」---ツアー4.0。

きれいな水に手を浸けてみる。
鏡を覗いてみる。
お地蔵さんに手を合わす。
道端の草を摘んでみる。
空き缶を拾ってみる。
ただ、歩きだしてみる。

至福のツアーって案外そんなとこにあるかも。

しゅっぱーつ!

畑のミラーでピース

お水気持ちいいねー

お地蔵さまにお参りして

アザミの花はおかあさんに

拾った空き缶とピカチュウと記念撮影

#観光 #田舎 #ローカル #旅 #ツアー #ツーリズム #体験 #旅行

京都北部の山あいの小さな集落にただ1軒の小さな百貨店から田舎の日常を書いています。子供達に豊かな未来を残すためにサポートよろしくお願いします!