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こころの声がきこえない

9月のはじめに精神科に行って、鬱病という診断を受けました。

わたしは「こんなチェックシートとちょっとしたお話をするだけで鬱病になるのなら、病院に行ってないだけで鬱病と診断されるべき人はたくさんいるんだろうな」と思いました。

わたしはリストカットもODもしたことがない。
毎日苦しんで自傷行為に耽っているひとたちに、一種の劣等感を抱いています。最近ブロンを買いました。
そもそも自傷行為はそういった苦しみから解放されるものであるから、そこに逃げられなかったわたしはもっと苦しみを抱えているのかもしれないけど。

毎日死にたいと言っているだれかは、電車に乗ることができないだれかは、死んだ目をしているだれかは、だれかを恨んで執着しているだれかは、上手に生きることができないみんなは、わたしより苦しくなかったのか。それをだれかに見せることで苦しみを発散していたのか。
だれよりも苦しいわたしが、みんなのしあわせを願っていたなんて、惨めすぎて笑えるね。

わたしはしあわせになりたかった。だれかのしあわせを願えば、わたしのしあわせを願ってくれる人もいると信じていました。偽善です。ずっと偽善と一緒に生きてきました。
他人を中心に回していた歯車は、わたしの歯車を狂わせました。

みんなずれた時計を持っているようにみえるけど、自分からみたらその時計は正しい時を刻んでいます。
わたしは時計をなくしてしまいました。秒針の音だけは聞こえるんだけど、いまが何時かわかりません。人の時計をみながら大まかな時間を押しつけるけど、秒針を刻む速度が違うから、それはわたしの時計になりません。
いま、必死に作っているはずなのだけれど、まだ時間がかかりそう。時計は精密機器だから、そう簡単には作れません。

いっそ、「時計なんていらないや」なんて投げ捨てられたらいちばん楽なのだろうな、とおもいます。それか、あなたの時計をわたしにもちょうだい。

こころの声がききたいよ。


毎日抗鬱薬を飲んでいるけど、意味のあるものだとはおもえません。イフェクサーのカプセルに入っている粒、じつはプラスチックのビーズでした!と言われるほうが納得できます。
なのに抗鬱薬がない生活が怖い。もう抜け出すことのできない不幸の沼に溺れてしまいました。だれかこの左手の火を消して、そのままひきあげて。

一度しあわせを経験してしまうと、しあわせのハードルが上がります。関係は消費されていくものです。どれだけ美味しいガムでも噛み続ければ味はしなくなる。算数の教科書を読んでもあたりまえすぎてちっともおもしろくない。

しあわせになりたい、しあわせだ、もうこれ以上のしあわせは感じられない。しあわせになりたい。しあわせじゃないから、さようなら。こんな孤独なんて生まれてからはじめてだった。しあわせになりたいよ。だれか、わたしを永遠のしあわせに連れていって。落としてくれてもだいじょうぶ。

そうだ、しあわせの色って何色だとおもいますか。



睡眠薬は慣れてしまって、どんどん効かなくなってきました。
眠りの代償は苦味だって、あれ、その話は前もしたっけ。ごめんね、あんまり記憶がないんだ。
そんなわたしから睡眠薬を取り上げたら、もっと恐ろしいことがおきるかもしれない。今日も天使ちゃんからの電話を待っています。

学校の先生には「学校に健康支援施設があるから、そこに相談しなさい」と言われました。
健康支援施設には、「わたしたちは病院じゃないから、治療したいなら病院に行ってね」と言われました。
精神科の先生には「やらなきゃいけないことは、やりたくなくてもやるしかないでしょ」と言われました。

なにもできないわたしは、ここに存在することを認められませんでした。ただ、「今までつらかったね、大丈夫だよ。」って言ってほしかっただけなのに。それだけでわたしのいのちを認めることができたのに。

この助け舟もきっと、おおきな海を漂って、どこに辿り着くこともなく、船を送り出した人も存在を忘れてしまうのでしょう。忘れることと同時に船は、音もなく沈んでいきます、

こころの声がきこえたら。
あしたが来ませんように/2022.12.13

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