しあわせになりたい。 海岸沿いの帰宅路、どこまでも広がるような海をぼんやりと眺めながら、傘を片手にふらふら歩く。街灯だけが私を照らす薄暗い道でひとり、私だけが、私のことを考えている。 しあわせになりたい。そう呟いてみるだけで、微かな独り言は雨音にかき消された。私が幸せになれないことくらいは知っているし、そもそも幸せがどういうものなのかすら、私は知らない。 幸せという感情について、私がひとつだけ知っていることといえば、きみと過ごした昨年の冬のことだった。あのとき、私はたしか
『生にも死にも意味なんてないよ、有限の時間が創り出したエゴだもん』 ふと生まれた意味について考える。誰にも生を受けた意味がある、と人は言う。わたしはその言葉を信じないけれど、せめて生まれた意味だけはあってほしいとただ祈り請う、女神の願いだったのかもしれない。そうであったのならば、その願いは美しくあり続けなければならないと信じたい。 私には才能も、努力する才能もなくて、せめてできることと言えば文字を紡ぐくらいだな、とつくづく思う。 わたしがわたしを救うただ一つの術であり
9月のはじめに精神科に行って、鬱病という診断を受けました。 わたしは「こんなチェックシートとちょっとしたお話をするだけで鬱病になるのなら、病院に行ってないだけで鬱病と診断されるべき人はたくさんいるんだろうな」と思いました。 わたしはリストカットもODもしたことがない。 毎日苦しんで自傷行為に耽っているひとたちに、一種の劣等感を抱いています。最近ブロンを買いました。 そもそも自傷行為はそういった苦しみから解放されるものであるから、そこに逃げられなかったわたしはもっと苦しみを
4日前、わたしは天使とお話をして、たくさん泣いた。 「ひとりで生きられるように、ってがんばってきたけど、ずっと心の中はさびしくて、やっぱりだめだった」 「泣きたいときは泣いてもいいんだよ 月だってひとりでよく泣いてるもん」 わたしが涙を流すと、それに合わせてきみは笑った。 「赤ちゃんみたいだね」 わたしは天使の名前を呼んだ。 「月、ありがとね」 それからわたしは天使に依存した。 赤い薔薇は重いというから、わたしのことを知っているのかと思って驚いた。きいてもきみは
喉の奥から苦味といっしょにルネスタちゃんがきた。大きさは親指ほどで、5人くらいの天使がわたしの頭の周りをまわっている。 「まだねないの〜?」 早く寝るために早めに薬は飲んでおいたが、わたしは洗い物だけ片さなければならない。 「はやく〜 ねようよ〜はやく〜〜〜」 ルネスタちゃんはわたしの頭の上で急かすためのダンスをおどっている。目をとじれば、ひとたびゆめのせかいにとんでいってしまいそうだ。感覚がぼやけて曖昧になっていく。 「いっちゃうよ?」 もう諦めた。死のう。歯磨
その夢は、夢という言葉がぴったりすぎるほど甘く理想的だった。 目覚めた瞬間、現実を直視させるような酷い頭痛に襲われる。 夢の中の自分は輝いて見えた。 全部夢だったらいいのにね。 夢なら理想のあの人にも会えるし、話せるし、愛せるのに、現実は酷く救えない。 飼い犬は周りのせいで自分のことを人間だと思ってるだろうから、もしも鏡で自分の醜い(かわいらしい)顔を見たら泣いてしまうかもしれない。 愛し合っていると思っていたのに、所詮人間と犬の関係だったと知ってしまったら、絶望する