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自論

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短編詩集みたいに書いてます。 忙しいときにこそ、読んでもらいたい一転語のようです。
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記事一覧

自論②⑥:「現とは何かを考える」

これは宗教から学んだものではなく、人から教わったものでもない。 自分が根に持っているオリジナリティそのものであり、この世界でふと思いついた自分の考えである。 「現」とは、「現代」の現である。 しかし、本来の意味はそうではない。 「現」とは、「現れたる」という意味であり、 あまねく宇宙のとある星には、現れたる世界が展開されている。 それは「現人」「現国」「現神」によってユートピアが構築されているのであり、その源にあるものこそ「法」である。 私が過去、宇宙人であった

自論②⑤:「学生の記憶⑶ <自事故での一命>」

小学5年の夏休み 同じクラスの友達が一緒の自由研究のグループになり、 博物館に出かけた。 帰りにその友達とチャリンコでお家に帰ろうとしたら、 首に掛かっていた手提げ鞄の持ち手が足に絡まって、 道路端の壁にぶつかって気絶した。 数分後か、目を開けたら周りにたくさんの人が群がっていた。 助かったとみんなが喜んでいた。 この時からか、精神的感覚が少し入れ替わるような感じがした。 腕にはかすり傷が残った。 あれは一体何だったのだろうか。 愛とは何かをけだし感じた

自論②④:「物とは何かを考える」

これは宗教から学んだものではなく、人から教わったものでもなく、 自分が根に持っているオリジナリティそのものであり、自分で悩んで想い続けた考案でもある。 物は不動であるが、人間と同じような精神性を持っているのではないかと考えられる。 それを魂魄の魄と言っていいのか、似た表現で「官」と呼ぼう。 その精神性は、人間が思考する能動性とはちがって、 物の精神性は受動的。 当時、物とは、”念力”という超能力を使って、物を浮かせたり、飛ばせたりして、自由自在に動かせることができて

自論②③:「学生の記憶⑵ <初恋>」

小学1年生の頃、 学校の授業が終わってからの下校のとき 学童腕白クラブへ遊びにいつも行っていた。 そこで気になる女の子がいた。 でも、話すことがなかった。 2年生になってから俺は腕白クラブに行かなくなったが、 その頃に、その女の子と同じクラスになった。 そして、校内のクラスの隣にある男女トイレ そこで、いつの間にか、隣同士になって、愛の告白をした。 この時の俺の気持ちは、気になる子から好きな子に入れ替わった。 すると、バレンタインデーの日に、同じクラスの女

自論②②:「人間とは何かを考える」

よく世の中の人々はいろんなことを言う。 「人間は感情を制する生き物である」とか。 「人間は信仰を本能とする生命体である」とか。 「人間は幸福を求めて生きていく」とか。 「人間は社会的動物であり、政治的動物である」とか。 「人間は機械ではない」とか。 いろいろな言い方がある。 でも、「人は支え合って生きている」と言う人もいる。 さまざまな定義があるけれども、人間の心はこれであるとか、一概には言えないのだ。 その答えは、一つとは限らず、みんな一人一人が正しいと思

自論②①:「学生の記憶⑴ <目立ってハイピース>」

小学校の日光の修学旅行のとき、 全学年の集合写真で、みんなのど真ん中の前の方に立って、 天上に顔向けながら、ピースをした。 人前に立ちたがり屋だったのか、なぜそんな行動をしたのか覚えていない。 これをある中学校同級生だったチリに在住の女性友人はクスッと笑ってチリ人彼氏にその写真を見せて笑っていた。 俺が昔、目立ちたがり屋の性格なのか。 中学の頃、演劇部に入って、その女性友人と部活の練習中にふざけることの方が多かった。 それで先生に怒られてばかりいたそうだ。 あ

自論②⓪:「わたくしの三大観念」

宗教の話とは別の話をしよう。 わたくしには、3つの観念を持って、これを学問として捉える傾向がある。 第一に「哲学的観念」である。 これは地球人が見る認識とは違う、ちがった視点で物事をみることにある。 たとえば、パソコンやスマホというモノは、作った人と作られた人の意思によって存在する事物であり、 人とは心という意識があって存在する実態であり、 自然というのは宇宙の光によって存在する現れである。 つまり、すべての物事は、与えられて支えられて生きていることにある。

自論①⑨:「幼少の記憶⑷ <いとこの発表会をみて思ったこと、そして、いとことの思い出>」

今日は、HSの 子どもたちの芸能プロダクション発表会に参加した。 そこには、いとこの弟(現在小学2年生)が「舞台演劇の主役」と「発表会の司会」をつとめていた。 その発表会では、中学生も高校生も、ダンスや演劇、 それから、アドリブ劇、合唱をしていた。 みんな、光の天使のようで、キラキラしていた。

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自論①⑧:「仕事と正解」

社会経験5年目のこの僕 辞めたり続けたりしてから、 10社以上の仕事経験をしてきた。 自分の好きなことで生きていこうとすると、 嫌な仕事が巡ってくるかのようで。 ひたすら、重荷を背負わされている。 好きなことをしていこうと思った原因が 会社の都合で、違った結果が現れる。 道理に合わない仕事を続けていくことが望んでいた正解なのだろうか。 これは自分の本心なのだろうか。 もっとやるべきことは他にもあったはずだと僕は思う。 そこで、経典『成功の法』(※主のこと

自論①⑦:「主の御生誕を祈ろう!」

ぼくは幸福の科学の信者として学ばさせて頂いている日々である。 幸福の科学では、 ”7”がつく数字は勝利の数字であると教わっている。 たとえば、 ”7”がつく「日」は[七の日感謝式典]が各施設で開催される。 そして、 ”7”がつく「月」は[主エル・カンターレの御生誕祭](7/7)が全世界同時中継で行われる。 全世界で、エル・カンターレに祈りを捧げる信者さんが思いをむける。 なぜ、”7”という数字が勝利の数字であるかというと、 インドの仏陀の帰天の日にちと関係す

自論①⑥:「幼少の記憶⑶ <子供の頃のお盆休み>」

九州の田舎に 父方の祖両親の民家がある そこへ遊びに行った あの夏の20年前のこと。 民家から歩いて森道を歩くと、 海辺が広くある。 そこの浜辺の奥にはクラゲが立ちはばかり 浜辺の手前では砂の中から、小ガニが数十匹戯れている。 また、民家の海側とは反対の方向へ歩くと、 アメンボはスイスイ、トンボが高い山の付近の小川からウヨウヨと飛んでいく。 民家は農作物も蜜柑畑もある。 民家の田んぼには、カエルがぴょこぴょこ跳んでおり、 虎柄の巨大な蜘蛛も潜んでいた。

自論①⑤:「主が説かれた幸福原理と僕が想う理念哲学」

人は自分のために生きようとすれば 真理的安全性ではなくなるが、 誰かのために生きようとすれば 自分の都合の良さだけでは人に迷惑をかけることさえある。 ゆえに、人は「世のため・人のため・主や神仏のため」に生きようとする行為 この行為こそ人間が幸福になるための道なのだと思う。 つまり、「世人主のための幸福」こそ人間の理想なのではないだろうか。

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自論①④:「焦らず、やってみよう!」

僕より恋人が早くできる人。 僕よりお金をたくさん稼ぐ人。 僕より先に大人になってしまっている人。 僕より勉強ができる人。 僕より仕事がやれている人。 僕より人間関係が上手な人。 僕より経験が多い人。 僕より病にならずに健康でいられる人。 そう考えてしまうと劣等感に悩まされるだろう。 それでも、例え浪費した時間が多かったとしても、 なすべきことは成していこう。 運命は向こうからやってくる。 チャンスと思った後ろ髪を掴まえようとしても掴まえられない。 前

自論①③:「”天なる父の言葉”を読んで」

”天なる父の言葉” この文章を読んで、僕はこう思った。 前が真っ暗でも、まだまだやれるチャンスはある! 諦めないことが二度とないチャンスをつくりだすんだと思う! 《完》 どうも、丸々です!ァディオ───(`・ω・´)ノ───ス こんなこと、書いてみました(๑•ω-๑)♥ よかったら、コメントくださいな(✽´ཫ`✽) 【『黄金の法』 感想ブログ 】も書いていますヽ(´ー`)ノ あと、自費出版で、 『宇宙人の書』を 📔 来年度あたりに発刊する予定です。 発刊