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無関心だいうことの怖さ

どうも、ウクモリ ヒロオです。

週末は福島で過ごした訳ですが、水中ロボットのイベントが盛り上がった一方で、私にとってはかなり考えさせられた3日間でもありました。

今から書くことは、かなり個人的な想いであり、途中までしか読まないと誤解を生じてしまうかもしれません。良い意味で、無関心から脱却出来たことを書き残しておきたいと書いたnoteなので、宜しければ最後まで読んで頂ければ幸いです。

会場の安全性

今は考えが違うからこそ書きますが、イベントにお誘い頂いた際、会場が福島ロボットテストフィールドだと聞き、実は少し恐怖を感じました。なぜかというと、海からほとんど離れていない施設だからです。

なので、地震が来たらどうしよう…正直なところ、そう思いました。しかも現地出発の前日、関東ではある程度大きな地震が発生。余計、不安に襲われました。先週水曜日、水中ロボットを届けるため南相馬に向かいましたが、予備知識無しに訪れたロボットテストフィールドは、原ノ町の中心地から少し離れただけなのに、周囲には何もないというロケーションにとても驚きました。

状況を知ること

福島ロボットテストフィールドというより、南相馬周辺の海辺については、震災後に防波堤などが築かれていて、波を吸収するようになっている訳ですが、現地に行って話を聞くまではそんなことすら知りませんでした。

なので今回、ニュースなどの限られたリソースから得られる情報は、やはり限定的なものなんだということを、改めて認識。知らず知らずに「井の中の蛙」になっている恐ろしさを、体で実感した次第です。

常磐道を降り、大勢で賑わう地元の食堂に入り昼食を取りました。長い時を経て、震災前の状況を取り戻しつつあるんだな…そう思いました。

しかし、海に近くなりにつれ、震災後に増えたであろう同じ形をした住宅が並ぶ姿を見て、そこにまつわるあらゆる人間模様を想像し、まだまだ多くに方が苦悩の日々から解放されていないだろうと、容易に想像することが出来ました。

冒頭で「考えさせられた3日間になった」と書きましたが、決してネガティブな訳でなく、良い意味で多くの気づきが得られました。

少しは貢献出来たかな

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何気に今回、初めて福島に行きました。
ボランティアで行ったことがあるという方は周りに大勢いますが、東日本大震災が起こったのは、私が経営者になって3ヶ月後。会社を必死に守らなければいけなかったあの当時、ボランティアという言葉には興味はあれど、一歩踏み出すことは出来ませんでした。

10年が過ぎ、あの当時の経営者としての判断に間違いはなかったと思っています。が、大変な思いをしている人たちに、何も出来なかったことに悔いがないといえば嘘になります。

今回、ご縁があって南相馬に行き、福島県立平工業高校の学生が作った水中ロボットが、水槽で泳ぎ回る姿を見て、地元の皆さんに少しだけ貢献出来たのかなと実感することが出来ました。

自分ごとに出来れば

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今回の経験を通じ、より多くのことを自分ごとに出来ればと思いました。当然、出来ることに限りがあることを理解しています。言葉を言い換えれば、無関心な領域をいかに少なくできるか…今回の福島の訪問によって、意識する機会を多く出来ればと感じるようになりました。

今回のろぼいちでは、地元のエアレースパイロット、室屋義秀さんのアクロバット飛行が披露されました。数年前まで、レッドブルエアレースで活躍されていたのをテレビで観ることはありましたが、実際に飛んでいる姿を見たのは初めてでした。

技術が無ければ出来ないであろう技を繰り出しながら、多くの観客を圧倒した室屋さん。地元に勇気を与えたいという想いが詰まった、青空に飛行機雲で描かれた駿馬の姿を見ながら、福島での出来事が自分ごとになっていくのを実感していました。

そんなことを思いつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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