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なぜ辛いのか、自分は一体何と戦っているのか

最近は夕方ぐらいに少しだけランニングしてます。

今日は走りながらふと、「死んだように生きるなら死んだほうがマシ」とどこかで聞いたことあるような無いようなフレーズが浮かびました。

「生きるなら、今はまだ死にたくない!と思える生き方をしたい」
と、続きが浮かびました。

「それで、自分は何と戦ってるの?何がそんなに辛いの?」
「…分からない」

とりあえず、飽きるまでボーッと走り続けて、家にそろそろ着く頃、
今度は自分がやりたいと思っているお店のマークのイメージが浮かんだ。

すると、そのイメージが頭の中で明瞭になっていくのに重なるように

「デザイン的にどうなの」
「ダサくない?」
「遊びじゃないんだから」

と、頭の中の自由帳が破かれる感覚。

このときに、
「あ、自分は仕事をする中で、成功体験が無いだけでなく、コンプレックスもこしらえてしまったのかもしれない」
と、思いました。

誰よりも早く契約をとって活躍したいと入社した営業職では、後輩にも先を越され丸3年契約件数ゼロ件、デザイン職では曖昧な指示と説明のない否定ばかり、提案ごとはスルー。

売れない、デザインセンス無い、休職しちゃうメンタルの弱さ、これらのコンプレックスが、今の私の行く手を阻む敵なのか。


でもでも、ここでお得意の他視点で見てみると

私は一件の受注もとれなかったけど、お客様に嫌われたことは一度も無かった。
クレームをもらったことも一度もない。

それどころか評価してくれたお客様は少なく無かった。それは営業としてもあれば、私の絵手紙を見てものづくりの道の方が良いんじゃないかとも。

ネットで飲食店探しをすると、お店の評価は商品より従業員の接客態度で左右していることがよく分かる。
「美味しかったけど2度と行きたくない」
なんてコメント沢山見たことある。
つまり、良い接客って誰でもできることじゃないし、それだけで店の価値になるんだなと改めて。


デザインでは、会社のパンフレットも見学会チラシもまともに1人で作れていないし、年賀状のデザイン案では話も聞いてもらえなかった。
営業経験を踏まえて、デザイン課からの提案を提案したがこちらも聞いてもらえなかった。

でも私が営業時代に作った季節ごとの絵を添えた便箋は、営業とお客様から好評だった。
「商品は建物じゃなくて人だ」という上長の教えに共感し、「社員紹介」を営業ツールとして作成したが、これをずっと覚えてくれているお客さんもいる。

私は飲食チェーンっぽい「出来上がってるチラシ」より、個人店主が手書きで作ったんだな〜っていうチラシ(デザイン的にうんぬん以前の話)の方が親近感が湧く


物事は多面的だから、悪い方から見たら悪いものになっちゃうけど、良い方から見たら良いものにある。
水の値段が売る場所で変わるのとも似てる。

ダメだった事実もあるけど、上手くいっていた事実もある、だから全部ダメって訳じゃない。

会社員になって押し込めていた自分の感覚を、また信じて従って動いてみよう。と、
自分のことを応援・評価してくれていた人たちの顔を思い出しながら思いました。

私は私の道を作って歩いていくぞ〜

「イクゾー!!」
※全身をブルブルとふるっているときの一瞬
通称:トルネードポヤッケ

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