コミュニケーションをとっている間、絶え間なく考える(ADHD/ASD絵日記)
わたくし、コミュニケーション大好きです。
できるだけ、いろんな人と楽しく話したいなあと思います。
だけどそれってとっても難しくて…
ADHD/ASDを持つとり🐤が、そのあたりで奮闘したことについて描きました。(※個人の体験談です。似た状況でも当てはまらない方もたくさんおられると思いますので、その点ご容赦ください。)
ADHDとASDふたつの特性が混じり合っているわたしですが、今回ピックアップしたあたりはASDの特徴が強めに出ているかな?と思います。
だいぶ色々調整できて、のんびり自分の心地いい環境に暮らしてはいますが、学生時代なんかは特に、適応のために頑張りすぎちゃうことが多かったなと思います。
「暗黙の了解」みたいなものを掴むのが苦手です
会話や、仲間意識みたいなものって、色々なルールがあるものだなあと思います。
その中には「〜が当たり前」みたいな、わざわざ言葉にしないような感覚、いわゆる暗黙の了解があったりするんですが、それをさっと汲み取るのが苦手です。
時々は勇気を出して「なんでこうなの?」って聞いてみたりもしましたが、不思議な子扱いされてしまってしょんぼりしたり…🐤
ピンと来ないことでも、頭で考えて理解することはできました。
なので、「できるだけいっぱい考えることで、不自然にならないように振る舞えるかも」という希望を持って社会生活を頑張っていました。
💪🐤やったるで
絶え間なく考えるコミュニケーション
人とおしゃべりしているときに、とり🐤がいつも難しいなあと感じることのひとつが、文脈に左右され続ける言葉の意味を、本当〜にリアルタイムで理解して適切な反応をしなければいけないことです。
本に出てくる言葉の意味なら、前後の文章や、それまで/それからの記述で分かることがほとんどです。
時間をかけて考えたり、人に聞いてみることもできます。
でも、リアルタイムの会話では、その場で得られる情報を瞬時に判断して受け答えをします。
だからすっごくいっぱい考えることが普通になっていました。
でも、自分自身が話をする側のときもそうですが、頑張っても伝わらないことはどうしてもあるもの🐤ウンウン
コミュニケーションで「完全に理解し合える」ことなんてないんだろうな〜と、たくさん失敗してから今は少し気楽になってきていますよ🐤🎉
それに、「楽しくコミュニケーションとれるようになりたい」とたくさん勉強したり試行錯誤した過程で得られたものもありました。
それも自信のひとつになっています。
自分が「無理をしている」という気づき、だいじですね
とり🐤にとってコミュニケーションは、うまくできるとすっごく楽しいし、生きていくうちでの大きな喜びのひとつです。
自分の発達の偏りを知り、今まで「自分が適応しようとすごく頑張ってきたこと」について改めて理解しはじめました。
できないこととはうまく付き合えたらな、と思うので、
向き合いすぎないということも大事ですね。
疲れたらやすむ、大事です。
また読んでね🐤
ここのところ、梅雨入り前の寒暖差でちょっぴり疲れ気味です。
「きっとまた浮上できる」と信じて休むっていうのも大事だな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん
↑ノートに書いて客観視だいじ