49日の法要を終えて


やっとこさ49日の法要を終えて、帰路についてる。
疲れた。あっという間の49日だった。

朝、会社で母から「おとうさん、しんじゃった」って電話を受けてから、もう49日たったらしい。時間と言うものは早くて、もう一日のなかで父のことを考える時間も以前より減ったなと思う。

まさか自分が自殺者遺族になるとは思わなかった
今回のことで深く感じたのは、家族といえども血を分けただけの他人であるということ。家族だからなんでもわかるだなんて傲ってはいけない

毎日を生きてると、ふとした瞬間に「あ、しにたいな」と引き込まれることがある。ハッとしていかんいかん、と思い続けて今も生きているわけだけど、父はそのまま死にに行ってしまった。
一瞬の思い付きで死んだとしても、悩み抜いて苦しくて死んだとしても、父は他人に愚痴を言わない人間だから私たちにはなにもわからなくて、残される側は一生こうやって自分を責めていきていくことになる。
私だって知ってるんだよ。私「だけ」が悪くないことくらい
すべてが一因となった結果、父の死があることだって、頭ではわかっているんだけど
私がマフラーをあげなければ。前日、ふと思い立って電話していれば。
なにか変えられたかもしれないのに、疲れてるとそんなこともあるよねとサインを見逃してしまった。どうしてわかってあげられなかったんだろう。そんな思いが消えない

親戚やまわりの父の幼馴染みたちは「実感がわかない」と口を揃えて言うけど、私は仏間に寝かされている父を毎日眺めながら、首もとにあるかすり傷がなおらないまま腐りかけていくのを4日間見て、死んだんだって強く感じた。起きないんじゃなくて、生が終わってしまうって言うのはこういうことなんだな。って
変わり果てた爪のいろ、冷たくなった体、ハリのない肌、血が通わなくなったせいで紫になった爪の色、全部全部死んだっていう事実を自分に突き付けてきたよ。ちゃんとね。

だからこそ、悔しい。かわいいし、赤色の似合うお父さんなら私がつけてるよりもいいじゃんってあげたBLUE LABELのマフラー。レディースでもわかんないでしょ(笑)つかってあげてよってあげて、毎日使ってくれてたことも聞いたよ、聞いたけど、死ぬときも使うなんてきいてないよ(笑)
なんであんなものあげちゃったんだろうね、マフラーなかったら死ぬものないしなぁって思い止まってくれたかもしれない
死ぬためになにかロープ、、って探してる間に馬鹿馬鹿しくなったかもしれないのに、わたしがマフラーなんてあげたばっかりに
殺したも同然なんて思ってない。ただ、死ぬチャンスを与えてしまったと悔やんでいる。苦しい、どれだけ責めても、苦しくても、わたしは生きていかなきゃいけないのに、日々にかがやきがなくなってしまった

わかってあげたかったなんて思ってないといったら嘘になるけど、わかってあげるための努力をさせてもらえなかったことが悔しい
苦しいことを家族に吐き出すのはそんなに恥ずかしいことなわけ?
ださくないよ、仕事なんてやめたって生きていけるのに

それでもさ、自分で選んだ「死」という選択肢を、誤った選択だと思ってほしくない。私たちは色々と思うことがありすぎて毎日苦しいけど、父の人生は父のもので、私の人生ではないから。
やめ時を自分で決められるのはある意味いいことかもしれない
ちょっと早すぎた感じは否めないけどね

でもだからこそ、私たちの人生にも「死ぬ」という新たな選択肢ができて、毎日葛藤し続けてる。ああそうか、死ぬということもできるんだって、苦しみを終わらせるには、死ぬということもありなんだと
この与えられた選択肢っていうのは私たち家族にしかわからなくてもいい、私が家族が心配で「いきてる?!?」って連絡することを死を連想させるからやめたほうがいいって言ってきた友人がいるんだけど、わたしはそう思わない。父が死んだ瞬間、既に私たちには生きていく選択肢のなかに「死ぬ」ができてしまってるから。もう遅いんだよ。

今回のおかげで、妹の就活はそれどころじゃなくなったし、遺体を発見した弟はあなたのせいで鬱ですって責め立てたい気持ちも山々。だけど、それ以上に父には「お疲れ様」と伝えてあげたい。愛してるよ。ありがとうね。

みんなが口を揃えていう「時間は薬だ」という言葉をまだ実感してなくて、まだまだ悲しみの渦中にいて、辛くてもがいてる最中だけど、
父が死んでも私は父が築き上げた家族の一員で、これからもそれは変わらないから、一人減った家族でなんとかやっていかないといけないね

がんばれ私
いつか時間は薬だと実感する日が来るまでは生きていようと思う。

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