赤雲
それを話したところで一体誰が信じるのだろうか。
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古い公営団地が侘しく立ち並ぶ迷路のような道を、男は寒風に逆らうようにしてせかせかと歩いていた。
「本当に見たのか?」
「本当に聞いたのか?」
「そんなはずはないだろう」
随分とそんなやりとりをしてきたもんだ。全く飽き飽きする。
もちろん信じるか信じないかは個々人の勝手である。たとえ、目の前にいる人よりも、遠くの他人を信じたとしても構わない。
しかし、当人が「見た」と言っているものを、どうして他人が「違う」などと否定することができよう。科学も人間が行うものである以上、絶対ということはあるまい。
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ああ、寒い。昨晩の嵐が去って、ようやく午後から陽が差してきた。だが、団地の壁は男の行く手に陰を落とし、冬の凍てつく空気は容赦なく体の中心を突き刺す。
ふと、臙脂色のブロック舗装の上に、黄褐色の枯葉が勝手気ままに飛んできた。男はいらつきながら素早く右足を前に出し、道に居座る枯葉を踏みつけた。パリッと乾いた音が只聞こえた。
理不尽の洪水はいったい何を運んでいるのだろうか。見えない川底に、偽りで濁った灰色の雪が降り積もるのならば、きっといつか氾濫する。
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男はようやく迷路を抜け、街外れの高台に出た。視界がひらけると、凜凜とした寒空が広がっていた。眼下には戸建ての住宅がせわしなく並び、三角屋根の方々が夕焼けの光に照らされていた。
男はそこで歩みを止めた。息をのむほどに美しい赤雲が見え、その色の世界に吸い込まれそうになったからだ。
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まさかと思った。今、真っ白な鳩が視界を横切ったように感じた。慌てて目で追いかけると、やはりどうみても鳩に違いはない。ただ、その姿は雪よりも白い。あまりにも白い。その白さを見て、男は思わず笑った。
白い鳩は笑う男を見下ろすように、しばしあざけて旋回すると、そのまま暮れゆく茜の空へと消えていった。
おそらくこの瞬間、あの白い鳩を見た者は他にいないだろう。それは幻だと言われても返す言葉は見つからない。だけれども、白い鳩はたしかに空を飛んでいた。いつの日か禍の終焉を知らせに戻ってくるに違いない。濁った灰色の雪もきっと溶ける。
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師走の日没は早い。街の明かりが灯り始めた。宵の西空にひとつ星が誇らしげに輝いていた。
「あれ、金星じゃない?」
人の声がしてハッと男は振り還る。小さな男の子が母親の手を握り、無邪気に見上げて話しかけていた。
「先生がね。今日の西の空に見える1番星は金星だって言ってたんだよ!」
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母親が訊く。
「サンタさんには何をお願いするの?」
「あのね、僕、赤いスーパーカーのラジコンが欲しいんだ。もうサンタさんにはお願いしたもん!」
男の子は続ける。
「ねえ、ママ」
「なあに?」
「僕ね、去年のクリスマスイブの夜、鈴の音が聞こえたんだよ。夜、寝ていたらね、サンタさんの鈴の音がたしかに聞こえたんだよ!」
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I wish you a merry Christmas !
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