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誰も彼女たちを笑えない。

子どもの頃、自分の母親が働いてるところを1度も見たことはなかった。見せれなかったかもしれない。
夜の街で働く彼女は母親という一面とスナックのママという二つのママをやっていたわけで、子どもながら、夜のお店はなんだか悪いような気もしたし、周りの友人に自分の母親がなんの仕事をしてるかなんて言っちゃダメだと思っていた。

「フルーツ宅配便」という、濱田岳と仲里依紗が主演のドラマがとても面白い。脇には前野朋哉、荒川良々、徳永えりなど、錚々たるメンバーに、監督は白石和彌と、作品性にぴったりなチョイスだ。さらにはゲストデリヘル嬢で、登場する個性豊かの女優陣、一話完結の見てて飽きの来ない作品は物凄くいい。フルーツ宅配便というタイトルは、物語の舞台であるデリヘル店から由来する。フルーツ宅配便だから出てくるデリヘル嬢はみんなフルーツの名前が源氏名になっているから、わかりやすくかわいくていい。

特に、前回放送された第10話は、とてつもなく良かった。一気でこのドラマをただの深夜枠のよくあるやつから、描くべき意味のある彼女たちの姿を映し出す傑作ドラマへと進化させた。

昼はデリヘル嬢、夜はスナックのママとして、我が子のために奮闘する松岡依都美演じるグァバの姿を見て、濱田岳や前野朋哉演じる人物たちが、夜職とは何か?と思う場面がある。その後、フルーツ宅配便の山下リオ演じるイチゴが、送迎中の車の中でふと濱田岳にこんなことを言う。
「イチゴちゃんのフェラチオじゃないとイケない。普段褒められることはないからさ」
「私ってなんもない、あるのフェラチオと素股のテクぐらい」
「私がさ、どっかで努力してたら人生変わってたのか、人生って努力でどうにかなるもんかな」

ふと、自分の中で、色んな女性のことを思い出す。
彼女たちは風俗嬢という肩書きを背負ってはいて、その言い方が少し嫌なんだけど、やっぱり風俗という語源からは逃れられない。もっとこういい表現はないかな、スーパーガールとか可憐少女そんな感じで、表現できたらいいのだけど、やっぱり彼女たちを指す言葉は風俗嬢でしかない。

なんとなく、抜けきれないのは風俗嬢という響きが悪い意味に捉えられてしまうということだ。
彼女たちは好きでそんな仕事をやっているわけでもないだろうし、もちろんやってもいいからやってる子もいるだろう。
収入は僕みたいなうだつの上がらないサラリーマンの3ヶ月分の休憩をあっさり稼いだり、それ以上に稼ぐ子もたくさんいる。
そんな彼女たちが努力をしていないと言えるのだろうか?

自分はあの頃の母親の姿を見たことがない。きっと嫌なことも山のようにあって、自分の店の手伝いをさせている姉に負の感情もあったことだろう。才能もなければ、努力もしないかわいい息子のために、母親も姉も、嫌な客にお尻を触られたのかもしれない。
でも、それを恥ずかしいというのは、何か違う気がする。

2つのママだった彼女を情けない母親だと思ったことも事実だし、もっとちゃんとした家に生まれれば良かったのになと思ったこともある。
それでも、あの人は1度たりとて、留守番をしている僕に腹を空かせるようなことはしなかったし、眠たい目をこすりながら、お弁当をいつも作ってくれた。
多分、それがあの人のできる、1番の子育てだったに違いない。
人はどうしても、見せたくない面を持っていて、それをさらけ出すということはとても怖い。
濱田岳が演じるデリヘル店、店長という肩書きを、合コンで出会った女性に人材派遣の管理職と言い換えていたが、10話の終盤にしてそのことを告白する。

「デリバリーヘルスご存知ないですか?風俗嬢がお客様のご自宅やラブホテルに赴いて、フェラチオや素股などを性的サービスを行う風俗業です。」

すると、目を輝かして彼女は一瞬にして濱田岳の前から去ってしまう。

誇ることのできない仕事だと言われるのもしれない。でも、彼はいう。

「デリヘルだって、誰かを救ってるかもしれないし」

そう、キャバクラもスナックもショーパブもホストクラブもデリヘルもソープも何にせよ、誰かを救っているはずだ。
きっと、自分の母親も、誰かを救っていたに違いない。
風俗業の規制がどんどんと激しくなる昨今、よく行くお店で、トップレスが禁止になった。噂では、とある遊郭が、万博時に暖簾がかかって、女の子たちが見えなくなるという話も聞いた。
エロで世界は救えなくても、1人の人間を笑顔にすることはできるかもしれない。
決して日の目の浴びることはない。
フルーツ宅配便のNo.1デリヘル嬢みかんが言った。

「うちらって お天道様の下歩いちゃいけないのかな。」

という言葉がえぐく、心に響く。

夢のために、頑張る人もいる。
我が子のために、頑張る人もいる。
這い上がるために、頑張る人もいる。

戦っている人たちは、どんなところでもカッコいいのだ。

でも、心の中に葛藤は生まれてしまう。
それが、人間という生き物なのだけれど、そんな葛藤を忘れるぐらい、ひとときの幸せに、お金を使うことは、決して愚かな行為ではない。

スナックのママ、我が子のママのグァバがうるさい客を収める場面を見て、国境なき医師団で働く、濱田岳の知人井上がこんなことを言う。

「ママさんみたいな人が、本当に立派な人なんだと思います。俺も頑張なきゃって思いました。」

誰かの頑張なきゃ、教えてくれるそんなグァバの花言葉は「強健」
言われてみれば、うちの母親も「強健」でしかなかった。冗談でのしかかった僕に肋骨を折られても、1日も休まずにあの人は働いた。人の骨が折れる音を聞いたことはあっても、母親の心が折れる音は聞いたことがなかった。

外からは「行ってきます」と少女の大きな声が響く。塾に行くのか遊びに行くのかはわからないけれど、そんな当たり前の日々が出来る限り長く続いてほしいとも思う。もうすぐ、日が暮れる。「行ってきます」と言って夜の街に消えていく、母親を思い出す。そんな瞬間が当たり前だったあの頃に戻りたい。気もする。
今度、田舎に帰るときがあれば、あの人のご飯をたらふく食べよう。

誰も彼女たちを笑えない。

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